其の陸

 自分は男だと言って騒ぐ相手を見つめて、レシアは前にもこんなことがあったことを思い出した。何故だか本来の性別を言うと怒られることが多い。

 だったら首から『私は男です』と札でも下げて欲しいと思う。


 肩を怒らせフーフー唸っている相手は、どうやら騒ぐことで気を紛らわせたらしい。


「俺は男だ。良いな?」

「……は~い」


 ここで言い争っても面倒臭いことになるのは分かる。

 だからこそレシアは迷うことを捨て、相手の主張を受け入れることにした。

 何か不都合があるならきっと彼がどうにかしてくれる……その絶対的な相手への信頼が、彼女の思考を単純な物にしてしまうのだが。


 降ろしていた鍋を掴み直し、レシアはカロンを連れてまた歩き出した。


 木々の一つ一つが帰りの道順を教えてくれるから迷うことは無い。

 でも出来たらテイの村とか言う場所までの道順を教えてくれれば……こんな木々の中で三日も迷わずに済んでいるのだ。


 また怒らせると厄介だからレシアは足を速く動かし相手を連れて歩く。

 何でも彼女……彼は、この辺りを縄張りにしている狩人の弟子らしい。普通テイの村の場所を聞いて教えて貰えば良いのだが、レシアは旅の連れであるミキからきつく言われている言葉がある。

『勝手に他人にお願いごとをするな』だ。


 何でも時と場合によっては見返りを求められるらしい。普段からお金になど縛られない彼女からすれば、交渉事は一目散に逃げだしたくなる危険行為だ。

 変なことをして怒られるなら、相手を連れて行った方がまだ怒られない。


「もう少しですからね」

「本当にこんな場所に居るのか?」

「居ますよ」

「だってこんな奥まったところ……危ないだろう?」

「危ないですか? ここ数日生き物を見てません。ようやく見たのが貴女です」


 足取り軽く歩いて行く女性に……カロンはようやくここで恐怖を感じた。


 相手は本当に人間なのだろうか?


 どこかこう世間離れした様な感じがするし、何より昔話に聞く旅人を誘い込んで食べてしまう恐ろしい化け物に……見えないけれど、もしかしたら化けているのかもしれない。


 ギュッと拳を硬く握って、カロンは何かあったら一発殴ってその隙に逃げようと決めた。

 今逃げるのは相手に背中を見せるだけだから危険だ。出来たら相手を怯ませて逃げた方が助かりやすいと……親方に何度も言われたことだ。


 そうだ。自分は"あの"親方の弟子だ。


 小さな時……赤子の時から育てられ、狩りのことを色々と学んで来たんだ。

 女に化けた化け物ぐらいを怖がっていたら、親方に怒られてしまう。


 カロンはその小さな体にこれでもかとやる気を漲らせ、キッと前方を睨む様に見つめた。


「ミキ~。ようやく生き物を発見です~」

「ほう。それは食えそうか?」


 視界に入ったのは、長い白金色の刃を持つ青年の姿だった。

 その足元には調理道具や調味料などが置かれ、今直ぐにでも料理が始められそうな感じである。


 一瞬で恐怖に心を圧し折られたカロンは、ブワッと涙を溢して悲鳴を上げた。




「本当に済まんな……ここ数日生き物を見ていなかったので、てっきり夕飯のおかずかと思ったんだ」


 外聞など気にしている様子など微塵も見せず、カロンは何度も鼻を鳴らして涙を溢し続けている。逃げ出さないのは腰が抜けてしまったからだろう。


 まだ幼くも見える"彼女"を石の上に座らせ、ミキは早速レシアの頬を両方から引っ張っていた。


「いらいれふ」

「風邪が治ったばかりで水浴びしたのはどこの馬鹿だ」

「らって……そこにみぶばあっぱから」

「昔闘技場に居た男が同じことを言ってたな。『そこに女が居たから買い続けたんだ』と……それで借金が膨れて払えなくなって奴隷になった男だが」


 瑞々しい頬をこれでもかと引っ張り続ける。

 両目に涙を貯め込んだレシアは、必死にその手を剥そうと抵抗しているが……本気で怒っているミキがその手を緩めるようなことはしない。


「みひぃ」

「……」

「ごめんにゃらりぃ」

「……」

「うにゅ~」

「……はぁ」


 すでに一人泣いている少女が居るのに、もう一人泣かせている自分の姿に嫌気を覚えたミキは手を離した。

 両手で頬を擦る彼女は脱兎のごとく逃げ出し……カロンと紹介された少女の背中に隠れ、どこか非難染みた視線を向けて来る。


「私は病み上がりなんですから、もっとこう優しくしてくれても良いと思います!」

「優しくするとお前はつけ上がってばかりだろう?」

「甘えたい時に甘えるのは普通です!」

「最近のお前は甘えが過ぎる」

「……ブ~」


 まだ赤くなっている頬をパンパンに膨らませて、レシアは完全に拗ねてしまった。

 相手にしているのも面倒臭くなって来たので、ミキはさっさと頭の中を切り替えた。


「重ねて済まんな」

「……」


 存在を忘れられたかのように勝手に進んでいる会話に、泣くことを忘れて呆気に取られていたカロンが、その声で正気に戻った。


「いえ」

「そこの馬鹿にどんな説明を受けたかは知らんが、俺たちはテイの村と言う場所に向かい……まあ見事に道に迷っている。出来たら近い場所に連れて行って欲しい」

「テイの村ですか?」

「ああ。レジックを一目見たいと駄々をこねるのが居てな……それを探してここまで来た」


 自分の背後に居る女性なら確かに言いそうだと、カロンは思わず納得してしまった。


 出会いがあれだったが……見ている様子から二人が悪い人には見えない。

 そう判断しカロンは口を開いた。


「分かりました。連れて行きます……どうせ帰り道だから」




(C) 甲斐八雲

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