其の弐拾

「ミキ?」

「……ここで待っててくれないか。一人で行きたい」

「はい」


 鎖が絡まっていた刀を回収し、ミキは相手の武器を横たわる遺体の胸元に置いた。

 自分がそうだったように、もしかすれば相手もまた異なる場所へと行くかもしれない。

 武器を持ってはいけないと思うが、腕の中にあれば……その感触は忘れないはずだ。


 一度自分の服装を確認し、彼は小屋に向かって歩き出した。


 少なくとも義父を知るかもしれない相手だ。

 見た目で家名を笑われるようなことはしたくなかった。


「失礼」


 入り口には扉では無く獣の皮が垂れ下げられていた。

 近づくにつれて感じたのは安い酒の嫌な臭い。

 想像していた通り、酒の瓶が転がる室内の奥に相手が居た。


 年老いた老人。目も窪み……その顔の皮膚は、干からびた様に乾いている。

 口の周りの白と黒とが混ざる髭を濡らしているのは、酒か血液か。

 傍から見てももう長くはないと分かるほど、相手は病んでいた。


「貴方がシードか?」

「何者だ? ディクスはどうした?」

「彼なら一足先に黄泉の国へと参りました」

「よみ? 黄泉と言ったか!」


 くわっと開かれた目と激しく吐き出された呼気。

 突然の動きに耐えられなかった彼の体が悲鳴を上げ……ゲホゲホと咳き込みまた口の周りを汚した。


「何者だ?」

「名乗れば争いとなりましょう。宍戸殿」

「……何者だ!」


 手元の鎖鎌を掴み立ち上がろうとする彼だが、足が動いただけで体は動かない。

 もう本当に限界なのだな……と、ミキは冷めた視線で見つめていた。


「作州浪人、宮本武蔵が一子……三木之助」

「……むさし? くく。そうか。武蔵の子か!」

「如何にも」

「奴に殺されこんなふざけた場所に来てからずっと……復讐の為だけに生きて来た! 本人にそれが出来ないのが腹立たしいが、その息子の首を刈り取れるとは!」


 枯れた古木の様に見える骨と皮だけの体を震わせ、彼……宍戸はどうにか立ち上がった。


 手に持つ鎖鎌は鎌の方を床に落としている。

 だが鎖分銅を持つ手は必死に動こうとしていた。


 ミキは鞘に戻していた刀を抜いた。


 窪んだ目に怪しげな気配を発し、宍戸はその口を開く。


「殺してやる。殺してやるぞ……武蔵」

「……」

「お前を殺す為に生きて来たんだ。泥水を啜り、腐肉を喰らい……必死に!」


 口から血を吐きながら彼は一歩進む。


 その度に崩れそうになる体を支えているのは執念と言うものなのだろうか? ここまで来れば怨念にしか見えない。

 だが……相手が誰だかを忘れるほど正気を失っている彼は、ただ復讐を遂げる為だけにその残り少ない命を燃やしている。


「南無八幡大菩薩」

「神仏に祈るか武蔵!」

「いや……俺にでは無いよ」

「ならばが為に!」


 はなったと言うよりほうったと言う方が正しい鎖を……ミキは交わすことなく足に受け、振りかぶった刀を上から下へと真っ直ぐに振り抜いた。


「もう逝くが良いさ宍戸。それに俺は……三木之助だ」


 左右に分かれて倒れた相手に目も向けず、ミキは刀を払って背を向けた。




 爆ぜる木々の様子を眺めミキは深く息を吐いた。

 シードが居た小屋にディクスの遺体を運び火を点けたのだ。


 周りに燃え移りそうな物が無いから山火事になることはない。


 その燃え上がる小屋の前で……レシアが鎮魂の舞を捧げていた。

 まるでかがり火の前で踊るかのようなその舞はいつもながらに美しい。

 爆ぜる火の粉が、茜色になり始めた空に吸い込まれて行き……その夕暮れを染める色の様にすら見えて幻想的な風合いを出している。


 本当に綺麗だ。


 だがミキはその踊りから視線を外した。

 地面に寝っ転がり空を見上げる。


 自分と宍戸のことを考えまた息を吐いた。


 彼はこの世界に来たことを受け入れられなかったのだろう。

 だから自分の腕を磨き、義父に対する復讐だけを考えて現実を逃避していたのだ。


 もし彼がこの世界を受け入れていたら?


 弟子であるディクスの腕前からすれば、一角の地位などを手に入れられたはずだ。

 こんな場所で病に蝕われて死を迎えるような生活など送ることはなかった。だが彼は受け入れず、復讐のみを友とした。


 そこで思考を止め、ミキは自虐的に笑った。


 偉そうに宍戸のことを言えた身で無いと気付いたからだ。

 自分とて、この世界を夢か幻かと思っていたのだから。

 現実として受け入れたのは……ひとえに彼女のおかげでしかない。


「ミキ~」

「ぐぅおっ!」


 駆け寄って来た相手が数歩手前で飛んで抱き付いて来た。

 飛び込んできた衝撃を受けたミキは目を白黒させながら……今にも泣きそうな顔をしているレシアを見る。


「今日の踊りはダメでしたか?」

「いや綺麗だったよ」

「でもミキが見てくれてません! 空ばかり見て!」

「……そうだな。今日はお前の踊りより、この空の夕暮れの方が綺麗だ」

「む~! ……でもそうですね。自然の美しさには敵いません」


 彼の隣に降りて寝っ転がったレシアも空を見る。

 ただその両手両足がミキに纏わりついて、甘えているのか不満を体現しているのか……何やら訴えて来る気配が強い。

 口元に笑みを浮かべて彼は相手を抱き寄せた。


「レシア」

「はい?」

「ありがとうな」

「……な、な、な、なんですかいきなり」

「ありがとうレシア。お前のおかげだよ」

「ちょぉ~! ……ミキ?」


 体を動かし自分の胸に顔を当てる様に抱き付く彼に、レシアは戸惑いつつもどこか優し気な気持ちに襲われた。相手は疲れているのだと……その様子から理解出来たからだ。

 ギュッと相手の頭を抱きしめて、レシアは静かに口を開いた。


「少し休んだら天幕張りますからね?」

「ああ」

「ミキ。お疲れ様」


 とびきりの笑みと一緒に。




~作者より~


『宍戸の名前が何故出ない?』と思われる方もいらっしゃると思いますが、調べてみると『宍戸何某』扱いがほとんどで、あの有名な名前は創作の可能性が高いと思われます。

 皆が使っているんだから良いかとも思いましたが、逆に使わないのも面白いかと判断して使いませんでした。




(C) 甲斐八雲

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