其の弐拾肆

 暖かなまどろみの中で、ミキはそれを客観的に見つめていた。


 夢か現か幻か……随分と前のことを思い出したものだと。

 ああ。それに気づくと言うことはこれは夢なのだろうな。

 でも暖かくて柔らかい。ギュッとすれば花の匂いが広がって心地が良い。


 と、こちらの抱きしめる手を逃れてそれはゆっくりと動いた。


 はむっと伝わって来た柔らかな感触を味わう。

 ゆっくりと目を開ければ、天幕の隙間から朝日が丁度差し込んで来ていた。

 何度か瞼を動かして日の光で眩む目を元に戻るよう努力する。


 その間も……はむはむと蠢く感触がはっきりと伝わって来た。


 回復した視線を向ければ、今朝も元気なレシアだった。

 寝ている間にズレ落ちたのだろう肩紐のおかげで、胸の上半分が顔を覗かしている。

 相手の年齢を考えれば発育状況は悪くない。そっと手を動かして相手の頭を軽く撫でてやる。


 と、もぞもぞと蠢いていた彼女の唇が止まった。


「起きていたのですか?」

「それだけやれば誰でも起きるだろう」

「む~。恥ずかしいです」


 ずっとキスして来る相手の言葉とは思えない。でも一応彼女にも恥じらいが存在していることを知った。

 ミキは呆れた表情で体を起こし、覆いかぶさるようにして居たレシアを支えてベッドの上に座る。コテンとひっくり返ったレシアは、彼の足の上に背を預けその顔を仰ぎ見る形となった。


「朝はもう少し静かにして欲しいんだけどな」

「……酷いです。わたしはミキとの子供が欲しくて頑張っているのに」

「だから夜なら頑張っても良いから。朝は出来たら」


 泣き出しそうな表情を見せる彼女にミキは折れた。


「朝は短く一度だけで頼む」

「……分かりました」


 渋々と言った様子で承諾する彼女をそっと起こしてやり、その動きに合わせてズレた肩紐を直す。

 転がった衝撃で自分の胸を晒していた事実に気づいていない彼女は、ベッドから降りて軽く背伸びをした。


 イルドとの戦いが終わってから数日が経過している。


 現在シュバルの一団は、興行の後始末と次の興行先への移動準備で大忙しだ。だが雑用係を卒業したミキは、借り受けた天幕の中でのんびりとした日々を過ごしていた。

 鍛冶仕事が終わるのを待つのが仕事だから仕方は無い。追加注文までしたのだから向こうから文句を言われても仕方ないが、こっちから催促などとんでもない我が儘だ。


「ミキ?」

「ん」

「いつになったら旅に出るのですか?」


 今すぐにでも旅に出たいレシアは、軽く体を揺らしながら落ち着きが無い。


「もうすぐだよ。クックマンとは話が纏まっているから、まずはどこかの街へ出よう」

「どこか……ですか?」

「そう。その街で何か話を拾って行き先を決めよう」

「……行き先を決めて無いのですか?」

「ああ。どこか行きたい場所でもあるのか?」


 ん~と軽く体を動かしながら彼女は思い悩む。

 行ってみたい場所なら何個かあるのだが、ただ今すぐ行きたいと言うほどの場所では無い。


「どこか綺麗な景色の見れる場所に行ってみたいです」

「綺麗な景色ね」

「はい。あっ……ミキ。ありました。私は海が見てみたいです」


 思い出したとばかりにレシアが嬉しそうな表情を見せる。

 海か……とミキは自分の知る限りの地図を頭の中に思い描いた。


 ルオンタ大陸は大きな三角形の形をしている。大陸の東部には三角形の頂点があり、それから東は山脈が連なり前人未到の領域となっている。

 故に大陸の東に陸地はあるが、『人は住んで居るのか? そもそもどうなっているのか?』など疑問はあるが分かっていない。


 大陸の西は三角形の底部に相当するので、進めば進むほど陸地が広がって行く。

 だから今居る場所から北か南に向かえばすぐにでも海にたどり着ける。

 しかしそれは面白くない。

 ならば一番時間のかかる道を進もう。迷うことなく西へと向かうのが一番だ。


 西の海は結構どころではなく遠い。

 ただ歩いて行けない距離では無いはずだ。ルオンタ大陸に存在する最も東にあるハインハル王国から徒歩で西の海に向かう酔狂な者など決していないだろうが……旅の目的はこの世界全てを見て回ると決めたのだから、西の国々にもいずれは行くのだ。問題は無い。


「なら最初は海を見に行くか」

「はい。そうしたいです」

「分かった。そうしよう」


 パッと笑顔をその顔に咲かせて、レシアは軽い足取りでミキの胸元に飛び込んだ。

 咄嗟に両手を広げて向かい入れた彼は、相手が顔を上げるなりその口を塞がれた。


「……なあレシア?」

「何ですか?」

「一つだけ頼みがある」

「はい」

「人前ではやらないでくれ。二人きりの時なら良いけど」

「……二人きりの時だけですか?」

「ああ」

「……分かりました。ミキは色々と注文が多いです」


 困った様子で肩を竦めるレシアに、彼は苦笑いを浮かべた。

 一応彼女の所有者であるはずだが、その辺りの取り決めは正直曖昧だ。


 彼女はたぶん首に縄を巻いて飼いならしたりするのは難しい人間なのだろう。

 自由に生きて自由に死ぬ。

 義父が追い求めて実行していた様にすら見える生き方を、この少女もまた行っているのだ。


 優しく相手を抱きしめて、ミキは怒っている彼女の唇を塞いだ。

 見開いた少女の目が……ゆっくりと弓になり、唇を離した時には柔らかな笑顔になっている。


「二人きりの時は、俺からもするからな?」

「はい。嬉しいです。ミキ」


 ギュッと手を伸ばし抱き付いたレシアは、もう一度キスをしてきた。




(C) 甲斐八雲

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