幸福のための必要最小限の犠牲を
古日達 奏
第1話 アヤマチ
人は、受けたものしか与えることは出来ない。
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始めて抱いたのは、もったいないといった気持ちだった。綺麗な容姿でまるで御伽噺に出てくるお姫様のようだった。それだけ恵まれていながら「この世界は理不尽だから。」とその人はずっと俯いていた。今にも消えそうで、胸が痛かった。何か辛いことがあったのだろうが、それで全て諦めるのは何か違うだろう。それは、あくまで体裁で、本当は―
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目を覚ますと、所々薄汚れた白い天井が映り込む。まず、わき上がったのは、生き残ってしまったという後悔だった。もっと難しい手術でも、酷い事故でも死ねなかったからそんな気はしていた。ふとベットに取り付けられている台を見ると、そこには手紙があった。どうやらクラスメートからのようだ。内容を見ると、どれも頑張れといった内容だった。中には、《彼女と頑張れ!》などと意味不明なメッセージが書かれたものもある。どうせ、先生が書かせたものだから心なんてこもってないだろう。
...彼女がいたら手術室に一人で入っていくことなかったかもな。
胸の痛みは手術の傷によるものだろう。もう、起きているのも気だるいや。
昔、願っていたことがあった。
全ての病気をなくす薬を作る。
それが、俺の夢だった。馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽な願い。
夢は耐えきれないほどの熱さとともに沈む。もはや、かつての夢は朽ち果てた。
傍に人はなく、希望もなかった。
中学一年の冬の、クリスマスのことだった。
退院後、年が明けてから最初の登校日、俺は同級生から労いの言葉と入院中の授業のノートを貰った。形だけの感謝を伝える。
授業が始まる。いたたまれなかった。
誰も、見舞いに来なかった。それだけが結果。最初の頃は明るく振る舞い、それでクラスメートと仲良くなったつもりだった。
つまり、今の親切は、只の同情に過ぎないのだろう。
気付けば授業は終わっていた。もう、時計は16時をさしていた。
あれ?俺、飯とかどうしたんだろ?
胸が痛む。
何も、考えたくない。
気付けば足は生物部の前で止まっていた。
何で、こんなとこ来てんだろ?
運動部に入れない俺は、文化部に分類されていた生物部に入っていた。
すぐに帰ろうと思ったが、部室で飼っていた兎がふと気になった。名前はきなこ。ミックスで、ツンとたった耳と茶色と白のブチ模様、スライスした人参を少しずつかじって、口を擦る。その姿を見るのが一番心地よかった。それに、すがりたかったのかもしれない。
ただ、夏からめっきりいかなくなっていたのに、俺の居場所なんて...
悩んでいるうちに部室の扉が開く。
「ああ、久しぶりだね。
突然のことにあっけにとられる。
元気にしていたかい?と相手が続ける。ああ、思い出した。
「お久しぶりです。
高薙先輩は一つ上の先輩で、面倒見の良い人だ。何処かに生き物を採集しに行く時は、遅れている人を慮り、体力のない人は比較的平坦な道を、体力の有り余っている人には険しい道を提示する。恰幅が良く、周囲からは山男と呼ばれていた。
「はやく入りなよ。こんなところで立ち話もなんだから。」
言われるがまま部室に入る。他の人の姿はなかった。きなこは、部室の隅でボケーっとしていた。
気持ちが楽になる。
「あの、他の人は?」
「ああ、虫を獲りに行ってる。どうする?一緒に行くかい?」
「いえ、僕はいいです。」
「そうか。大変だったね。」
「いえ。別に。」
「でも大事なくてよかった。」
「あの、ありがとうございます。」
「僕ももっと早く知ってれば見舞いに行ったのに、すまなかったね。」
胸が暖かくなった。まだ、自分を慮ってくれる人はいる。それだけで、まだ...
「そういえば、さ」
「ええ。」
必死に涙を堪えて返事をする。
「文化祭の時に君を訪ねてきた子がいたが、その子とは上手くいっているのかい?」
世界が、モノクロに見えた。
吐き気がした。何を言っているのか訳が分からなかった。
限界だった。脇目も振らず、足を動かす。
先輩は、俺に希望を与えたかったのかもしれない。
だけどさ、結果が結果なんだ。もう、過程はいらない。限界だった。すぐにこの命を捨てたかった。もう、ショーケース越しに綺麗な物を見るのはこりごりなんだ。
前が見えなかった。さっきは堪えられた。でも、これはもう無理だ。
声にもならない声が出る。嗚咽は自分でも聞くに耐えなかった。
ふと、笑いがこみ上げる。
そうだ。人はいつか死ぬ。だけど、俺は救われた命だから、返さなきゃいけない。
いや、返せばいいんだ。
その時から俺は、生きる為の夢を手に入れた。
両親に今まで育ててくれた分の金を叩き返して、誰かを救って自殺する。
それがその時からの、俺の夢だった。
何事もなかったかのように授業についていった。
誰からの同情も、憐憫も、受けるつもりは毛頭ない。自分を守るのに必死だった。
だってそうだろう。あれだけ自分はクラスに馴染めていたと思っていたのに“誰も見舞いに来なかった”んだから。
いや、馴染めていたなんて思い上がりも甚だしい。
笑いがこみ上げる。結果が駄目だったんだからそんな過程はいらないよな。
夢は枷となる。彼にとっての現実は、枷により歪まされる。
彼は、人の好意を受け取れなくなっていた。
だから、彼の話はすでにここで終わっている。もうこれ以上は進めない。
今でも、思い出すのはあの光景。
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「私も直前までついていく。」
「いや、いい。一人にしてくれ。」
母がついて来るのは、あくまで罪悪感によるもの。
いられても、虚しくなるだけだ。
死ぬときは、一人。
これで終われるのなら、それが最善だ。
ここで、誰も来ないのなら、俺が死んだところで、悲しむ奴もいないだろう。
看護師に連れられて、手術室の前に着く。
気付けば涙を流していた。眼を閉じると、子供の頃の自分が、誰かと手を繋いで歩いている光景が浮かぶ。
「大丈夫?気持ち、落ち着いてからにする?」
俺の、気が狂ったみたいだな。
「申し訳ありません。ヤキが回ったようです。」
もう一度、思い起こす。
誰も来なかった。それが事実。過程が何であれ、俺はここで終わりなのだろう。
「もう、大丈夫です。」
「本当に?急いでないよ。」
「いえ、全く問題ありません。」
手術室に連れられ、麻酔をかけられる。かすれていく意識の中、俺は、思い浮かぶ過程を消すことに、必死だった。
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