第7話 燃えてる
意味が分からない。
朝起きて、リコっちから何かメールが来ていると確認してみれば内容は「カノコのもとへと行ってくる」とだけの簡素な内容。
確認した瞬間、私はまだ夢の中にいるのかも知れないと思った。そして強くそう願った。でも現実は残酷だ。
折角アイツが居なくなってリコっちを私のものにできると思った矢先にこれだ。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!
二年前からやめていたはずの癖である指の爪を噛む動作を繰り返し繰り返し行う。
カチカチと派手な音を鳴らしながら親指と人差し指、中指薬指小指すべての爪を噛みちぎる。
「痛っ!」
気づけばもう噛む爪もないままに、ひたすら口を動かし続けていたせいで指先から流れる真っ赤な血。
鮮やかに流れ出るそれを、まだ何も描かれていないカンバスへと指をこすり付けて塗りたくれば嬌声をあげながら作品を描き出す。破れた皮膚はさらに裂け、肉が飛び出すのも厭わずに、その痛みすらも憎くて愛おしいとひたすらにこすりつける。
鮮血の香りは
しくじった。あの時だ、合格発表の日。
あの時からリコは変だった。カノコを見たと言い、それからは数日はしばらくアイツの行方を探り続けていた。
そこで止めておくべきだったのだ。いや、違う。これはまさかアイツの方から接触を図ってくるとは考えていなかった私のミス。しかも取り返しのつかないほどの大きな思い上がりだ。
あの日にカノコがリコに接触してきたと分かった瞬間に行動を起こすべきだったのだ。リコの足の一つや二つ奪って動くことのできないようにして私の家に縛り付けておくべきだった。
私のほうから先にアイツを見つけ出して、殺して中身を引きずり出しそれで彩られた作品をリコに見せつけてあげるべきだったのだ。
外見は美しくとも腹の中身の血生臭さまでは美化できないだろう。
あとはリコの陶器のように美しく繊細な両手を
私なしでは生きられない体にして、おなかを空かせた彼女にアイツの中身を食べさせる。
到底飲み込むことなどできはしない。吐き出したそれがなんなのかをまざまざと見せつけてアイツは汚い人間なんだと教えてあげなくてはならなかったのだ。
ここまでしてやっと初めて私の純情な恋は実ったのだ。
私はその機会を失ったにも等しい。
どうする。どうすればいい。わからない。グルグルと回転する脳みそは本当に私の頭蓋の中に納まっているのかを開いて確認したい。
金に染めていた毛髪が絡みつき抜け落ちるのも構わずに頭をかきむしる。
皮膚が破れ血が滲み目に染みる。
絶え間なく流れ続ける赤い血液は炎のように世界を揺らめかす。
ああ、そうだ。燃やしてしまえばいいんだ。
寒空の中ガソリンスタンドへと歩みを進める。
ボロボロの私の格好を訝しみながら通行人がチラチラとこちらを見ては避けてすれ違っていく。
右手には携帯電話。もしかしたらという淡い期待を抱きながら何度も何度もリコに電話をかける。
繋がらない。繋がらない。繋がらない。
もしかしたら私を止めてくれるかもしれないという、どこかに存在した私の最後の良心はそれを最後に行方をくらませた。
酷く怯えた顔の店員が私にガソリンを売る。
用途を聞かれたから、ストーブに入れるんですよ最近は寒いですからねとにこやかに答える。そしてそれは嘘じゃない。思い通りにならないリコに関係するものすべて、私の心を温める暖房器具になればいい。
私の感情は晴れやかだった。全部全部なくなってしまえばいい、そしたらすっきりとする。きっとまた私のもとへとリコも戻ってきてくれる。
寒い。
気づけば肌が冷たく濡れていることに気づく。雪が降っていたのだ。
そりゃそうだ、もう冬も本番の十一月だ。
このままでは体が濡れて風邪を引いてしまう。だからほら早く、温かいストーブをつけてリコを迎えてあげなくちゃ。
トボトボとゆっくり歩いてたどり着いたのはリコの家。
綺麗な門扉に守られた、桃色の壁の映える一戸建てである。
ふと腕時計を確認すると時刻はもう十七時半を過ぎていた。オレンジ色の大きな夕焼けに照らされながらインターフォンを鳴らす。
「はーい」と元気に返事を返してくれたのはおばさん、つまりリコのお母さんだ。
良かった。今日は両親が出かけていると聞いていたのだけれど、どうやらもう帰ってきているらしい。
燃料が二つ、増えた。
玄関を開けてくれたおばさんは私の格好をみて驚いている。おめかしをしてきたのだけれど、どこかおかしなところでもあったのだろうか。
リコのお母さんは「少し待っていて」と一度部屋の奥に戻り、毛布をもって出てきてくれる。
どうしたのと優しい声色で私の心配をしてくれて、温かい毛布で私をくるむ。
でも違う。私が欲しいのはあなたからの温もりじゃない。
私が欲しいのは、欲しいのは......リコっちからの温もりだけ!!!
私はタガが外れたようにケタケタと笑い出しおばさんの体へとガソリンを振りまく。驚いた顔をした彼女はやめてと叫びだす。
ほら見たことか、あなたも私を拒絶するのだ。
カッとなった私は彼女の足を蹴って転ばし、顔を蹴り上げる。
鼻の骨が折れる感触が足の先を通じて伝わってきたが、ただひたすらに気持ちが良い。いくら暴力を振るおうが体を駆け巡るのは得も言えぬ快感。鼻血がとめどなくあふれ出す顔を何度も何度も踏みつける。
それに飽きたところで隠し持っていたスタンガンでおばさんの服に引火させると弱り切った蝉の声のような悲鳴をあげる。おかしな話だ、今は冬なのに蝉の声。季節外れが過ぎますよお母さん。
そんな温かい談笑の最中、私たちの声を聞きつけておじさんが出てくる。
後手に回ればこっちがやられてしまう。そう思った私はすぐに彼の懐へと潜り込み、再びスタンガンで襲いかかると簡単に動かなくなった。
目の前の光景が理解できなかったのだろう、抵抗らしい抵抗はなく、されるがままにスタンガンを食らい、私の服についていたガソリンに引火して二人同時に体が燃え盛る。
三人を火種としてガソリンを家の中に振りまきながら一部屋ずつ回っていく。
どこがリコっちの部屋なのだろうか。頭だったところを持ち引きずっている二人の人間によって作られた赤いラインがフローリングの床を汚すのも気にせず探し回る。
部屋の前にたどりつくたびに礼儀正しく、三回のノックを行う。
失礼しますの掛け声とともにドアを蹴破って見回すとそこには、ビリジアンで彩られた描きかけのカンバス。
「あはぁ、ここだ。ここだ。ねえリコっち。リコっちはこの絵をどんな風に完結させようとしていたのかな」
答えるものの居ない問いかけはむなしく室内に反響する。
それと同時に少しだけの後悔を胸に抱きながら部屋の中央へと向かっていく。
そこにあるのは勿論先ほどのカンバス。
気づけば焼け爛れボロボロになった両手でそれを抱きしめる。
「ねぇ、この絵は......この絵は、私を愛してくれる?」
そう口にしながら、ポケットから携帯を取り出してリコの番号を押す。
プルル、プルルとコール音が二回ほどなったのちに、今日一番聞きたかった声が答える。
意識が飛びそうになる中、やっと聞けたその声にすがるように言葉を
「ねえ、リコ......リコの家が、燃えてる」
そこで私は意識を手放した。
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