4.3.11 汚れた血

――ハフトブルク辺境伯 イシュトバーン城

――アリエル夫人 執務室


 サルエゴ大佐に化けたジレンは、アリエル夫人に敵襲を報告した。

 アリエル夫人は怒りに震え、直接指揮すると言い出す。

 そして、侍女に命じ、ドレスを脱ぎ捨てると、防具を身に着けた。


 ジレンは必死に説得する――佐官殺しがばれることもあるが、指揮官を失い混乱している直轄軍が態勢を立て直すことを恐れたのだ。


 敵兵は五百足らず、居城の広場に展開した直轄軍、三千に敵うはずがない。それよりも、敵兵が居城に忍び込み、ご子息の命を狙われるほうが危険だ。敵兵を完全に排除するまで、居城奥の謁見の間にご子息を連れて避難することをジレンは提案した。


 抱きかかえた我が子を見つめ、「そうだな」とアリエル夫人は答えると、十数名の護衛兵と侍女を引き連れて謁見の間へと移動した。


――謁見の間


 アリエル夫人は落ち着かない様子を見せた。時々、我が子をあやしたり、窓際から外の様子をうかがいながら、部屋の中を歩き回る――。


 「トン、トン」、固く閉じた扉を叩く音が響いた。

 ジレンが扉を開くと、女性の騎士が現れた――オルガだ。

 オルガは防具から血を滴り落としながらアリエル夫人へと歩み出た。


「サルエゴ大佐、これはどういうことじゃ?」

アリエル夫人の問いに答えることなく、サルエゴ大佐の姿がジレンへと変化した。


 護衛兵はアリエル夫人の前面へ出るとオルガとジレンに向けて剣を構えた。

 両者の間に緊張が走り、沈黙が続いた――。


 アリエル夫人はオルガを見つめ、口を開いた。

「ほう、そなたは晩餐会に来ていた……オルガと申したな。“継承の指輪”を返しに来たのか? 素直に渡すのであれば命までは取るまいぞ。我が愛しの姪よ」


 アリエル夫人はオルガがスカーレット(妹)の子供であることに気づいていた。旧当主であるザナトス公の死亡後、彼のベットの下からオルガとカロルに関する大量の資料――クロビス(兄)が所持していたと思われる調査報告書や二人との手紙など――が出てきたからだ。


「“継承の指輪”というのはこれのことか? 叔母さん」

オルガは首元のネックレスに通された指輪を取り出して見せた。


「そう、その指輪のことよ。さあ、いい子だから渡しなさい」

アリエル夫人は衛兵を押しのけ、オルガの手を優しく握ろうとした。


 オルガはその手を払うと首を横に振りながら、

「ミハエラからの使者だよ。降伏しろだとさ。広場にいる親衛隊はあたしの部隊と応戦中だが、あたしがここにいるということは、どちらが優勢かわかるよな? 叔母さん、あんたはもう終わりだよ」

と冷たく言い放つ。


「妹と大違い……残念ね。貴方は凶暴で残忍な魔人の子だわ。妹がゴブリンに凌辱されて生まれた子――あの子が受けた屈辱を思うと胸が張り裂けそうよ。貴方を殺すことがあの子への弔いなのだわ」

と言うとアリエル夫人は寂しそうな表情を見せた。


「あんたの口ぶりが気に食わねえ。あたしの何がわかるんだ」

オルガはアリエル夫人を睨みつけ、神威シンイ狂戦士パーサーカー”を発動させた。


「禍々しい漆黒の鎧、血が滲むような赤い瞳――我が伯爵家の高貴なる血を汚す者よ。次期当主の我が子に代わり、お主を成敗してくれるわ」

アリエル夫人は神威“血呪女王ブラッディ・クイーン”を発動させ、オルガに斬りかかる。


 狂戦士オルガ血呪女王アリエル夫人の斬り合いが始まる。

 「ガキン」、「ガキン」、互いの手刀が猛烈な速度でぶつかり合う。

 ジレンと護衛兵は固唾を飲んで二人の戦いを見ていた。


 ジレンはふと我に返り、オルガへ叫ぶ。

「絶対に殺すんじゃねーぞ。止めは俺が刺すからな」


 身内殺しは呪いだ。時間が経つほど後悔の念に蝕まれる。オルガをこれ以上、苦しめたくない。辛そうに泣いていたオルガを思い出しながら、ジレンは誓う。


「邪魔者は不要じゃ。護衛兵たちよ、あの者を倒せ」

アリエル夫人は赤い針を飛ばし護衛兵の首元に突き刺した。

護衛兵は瞬く間に正気を失い、唸り声を上げてジレンへと襲い掛かる。


「シルバから話は聞いたぜ。全員、俺の拳で頭を砕いてやる」

ジレンは両腕に雷を纏い、護衛兵を殴りつけた――。


――乱戦が続く中、オルガが叫ぶ。

「この程度か……ぬるい。もっと速く、もっと重く、あたしを満足させな」


 オルガは剣の速度を速めた。

 アリエル夫人は圧倒され始め、防御に徹する。


 オルガの剣戟を受け続け、アリエル夫人の手刀に亀裂が入り砕ける――彼女はすかさず‟血呪の鎖”を唱えた。床から鉄鎖が現れ、オルガに巻き付き自由を奪う。


「ウガアァ」、狂戦士オルガは唸り声を上げて鉄鎖を引き千切ろうともがく。


「神威は心の有り様を映す鏡――可哀そうな姪よ。苦しまずに殺してやろうぞ」

血呪女王アリエル夫人は兜を解除すると、オルガを見つめ、呟いた。


「可哀そうだと? あたしは最高の気分なんだ。奥底から湧き上がる憎悪に身を任せるだけで迷いが消えて力が漲るんだ。殺すなら早くしなよ」


 オルガの漆黒の鎧から黒い瘴気を溢れ出しだ。手刀が消滅し、拳を持つ太い腕が現れる。そして、赤い瞳を見開き、両腕に力を込めた――鉄鎖が音を立てて震える。


 アリエル夫人が手刀を再び生成し、オルガの心臓を狙い、鎧の上から突き刺そうとした。しかし、紋様が鎧に浮かび上がると、漆黒の盾へと変化し、彼女の力強い一撃をはじき返した。


 鉄の鎖を引き千切ると、オルガはアリエル夫人に連続して打撃を加えた。オルガの拳の力に、血呪女王の鎧は砕け、身体は壁へと叩きつけられた。


「ウォオオォオ」

オルガは叫ぶと大きく振りかぶりアリエル夫人へと拳を落とす。


「我が子を残しては死ねぬ。刺し違えても殺してやろうぞ」

アリエル夫人は手刀を発動し斬りかかる。


 ――二人の拳と手刀が交わる瞬間、その間に割り込む者がいた。


 両手を上げてオルガに向かい叫ぶ。

『オルガ、おやめなさい』


 オルガの拳はその者の腹をえぐり、アリエル夫人の手刀は背中を貫いた――。


 アリエル夫人は栗毛の長い髪の後ろ姿を見て問いかける。

「その声、その姿……スカーレットなの?」


 その者は振り返り、アリエル夫人へと微笑んで答えた。

『そうよ、アリエル姉様。もう剣をお納めください』


 アリエル夫人は神威を解除するとへたりと床に座り込む。


 スカーレットはオルガに向き直り、彼女を抱きしめる。

『可愛い娘よ。よく我慢したわね』


 オルガは神威を解除すると涙に濡れた顔が現れた。

「あたしは母親なんて知らないんだぞ。下手な芝居をするなよ、ジレン」


『オルガ、愛しているわ……』

スカーレットはジレンへと姿を変え、血を流しながら倒れ込んだ。

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