第二章 王都訪問

4.2.1 牢屋の眼光

――王国歴 302年 中夏 ガルミット王国

――ハフトブルク辺境伯 イシュトバーン城


 アリエル・フォン・ハフトブルクは小窓のカーテンを手で押さえ、黒塗りの馬車が城門を走り抜け、東の街道へ走り去るのを見つめていた。


「父上が呼び寄せたエグゼバルトの修道士が出て行く……自らの死期を悟り、遺言書を託したに違いないわ。サルエゴ、手筈通り始めなさい。エグゼバルトの修道士を一人残らず殺して遺言書を奪うのよ」


「畏まりました。既に潜伏させている襲撃部隊に合図を送ります」


 鉄血鎖親衛隊(アリエル直轄部隊)の隊長であるサルエゴ大佐は小声で答えると静かに部屋を出て行く――小さなベッドに寝ているアリエルの子供への気遣いだ。


「私が貴方を必ず次期当主にするから安心して寝ていなさい」


 アリエルは子供に近づき小声で囁く。


 彼女は先の戦役で不倫相手との間に子を授かり、初夏に出産した。不倫相手は、養子である夫、ミハエラの兄弟である。


◇ ◇ ◇ ◇


 その日の午後、アリエルはハフトブルク辺境伯の病室へと呼び出された。


「ア、アリエルか……近くに寄れ。人払いは済ませている」


 アリエルは病床に伏す父親——ハフトブルク辺境伯、ザナトス公へと近づく。


「父上、永遠の旅路への支度はお済になりましたか?」

「遺言書のことか……先ほどエグゼバルト公国へ託したところだ」


 枕元の近くにある椅子へ座り、ザナトス公へ話かける。


「そのようなもの不要でございます。後は私と私の子供にお任せください」

「馬鹿者め、不義の子を当主にするなど許さん。知らないとでも思っていたか?」


 ザナトス公は顔を赤らめて振り絞るように声を荒げる。


「ミハエルは先の戦役における西方軍大敗の責任を問われ、幽閉されていますわ。直系である私たち以外に誰が父上の後を継げるのですか?」


「幽閉したのはお前ではないか。儂が死ねばお前はミハエラを暗殺し、実権を握るつもりであろうが、そうはさせん。お前たち以外にも直系の血を引く者はいる。我が辺境伯家に伝わる‟継承の指輪”を既に渡しておる」


「随分と含みのある言い方ですわね。私が知らないとでも思いましたか? どなたに渡されたのかは存じませんが……未だ生きているとは不思議ですわ」


「指輪に呪術を掛けていたのはやはりお前か。ミハエラから聞いたときからお前だと確信していたがな。ふふ、遺言書がある限り、お前たちは当主になれない」


 アリエルはザナトス公の告白に動ずることなく細く微笑む。


「遺言書が無事、エグゼバルト公国に届くと良いですね」


「お前はまだ何か企んでいるのか……考えてみれば可哀そうな娘だ。直系の血族ながら当主の座から見放されてきた。お前の神威シンイは自らの血で他者を操る能力。その身に流れる血が尽きるまでせいぜい足掻くが良い」


「言いたいことはそれだけですか……さようなら父上」


 アリエルは寂しそうな表情をして立ち上がる。


◇ ◇ ◇ ◇


 サルエゴ大佐は翌日の午後、襲撃結果の報告に訪れた。


「報告が遅いわ。几帳面なお前にしては珍しいわね……どうかしたの?」


 アリエルは伏し目がちなサルエゴ大佐に問いかける。


「襲撃部隊からの連絡が途絶え、偵察を向かわせたため遅れました。申し訳ありません。偵察からの報告では、襲撃部隊の兵士全員が遺体で発見されたとのことです」


「襲撃部隊が全滅? 葬儀屋ごときに信じられないわ」


「遺体には刀傷がありました。盗賊に扮していたため腕利きの冒険者に倒された可能性はありますが……五十名近くの正規兵が全員殺されるとは考え難いです」


「どちらにしろ、葬儀屋は生きているのね。遺言書が公表されると厄介だわ……それまでに邪魔者を排除しなければ。来月、私は公務で王都へ出向くわ。私が帰るまでに父上が死んでも公表は控えなさい」


 アリエルはサルエゴ大佐に命じると黒い鞭を手に取り部屋を出て行こうとする。


「畏まりました。ところでアリエル様はどちらへ行かれるのですか?」

「久しぶりにミハエラの様子を見て来るわ」


 手にした鞭をしならせながら彼女は答えた。

 

――イシュトバーン城 地下牢


《…ハ…ラ殿、ミハエラ殿、ご無事ですか?》


 黒猫ガリウスは鎖に繋がれ血まみれのミハエラに念話を送る。


《……う、うん。まだ、残念ながら生きている……いや、生かされているようだ。そうだ、ザエラに至急伝えて欲しいことがある……》


 ミハエラは微動だにしないが、念話を続けるために集中している様が見られた。

 ちなみに彼は小型の念話の魔道具を耳の穴に埋め込んでいる。


《アリエルが‟継承の指輪”の持ち主について問い詰めて来た。おそらく、義父から話を聞いたのだろう。彼女の拷問は熾烈を極めている……オルガとカロルのことを守り切れる自信はない……相変わらず僕は情けない男だ。ザエラに約束を果たすときだと伝えて欲しい》


《そのお言葉、我が主にお伝えします。貴方との約束を果たすべく、我々は戦役直後から準備を始めました。警備が厳重なため時間がかかりましたが、ようやく完了しました。今しばらく気を強く持たれて耐えてください》


《……ああ、頑張るさ。ミーシャに再び会うまでは死ぬものか》


 ミハエラは顔を上げ、牢屋の外を眼光鋭く睨みつけた。


――自治領館 ザエラ執務室


「そろそろ決断の時期だな」


 エグゼバルト公国のソニア公女から届いた書状には、ハフトブルク辺境伯の遺言書の内容とアリエルの部下に襲撃されたことが記されていた。なお、襲撃者の魂を尋問することでアリエルの部下であることを特定したそうだ。


 また、黒猫からミハエラの言伝と準備完了の報告を受けた。


 アリエルを焚きつける材料を揃えることができた――後はどう料理するかだ。

 目の前のことに囚われず大局を見なければ……心の中で唱えながら思案する。


◇ ◇ ◇ ◇


「ヒュードルです。参上しました」

「急に呼び出してすまない。椅子に掛けてくれ」


 ある程度考えが纏まると、副団長であるヒュードル少佐を呼び出した。

 そして、状況の説明と今後の進め方について相談を始めた。

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