赤い蜘蛛と将軍の夢~辺境に生まれた少年が「混魂の将軍」と呼ばれるまで~

くじら雲

第零部 受胎

0.1 道を外した者

――晩秋 アニュゴンの街 郊外の森


 雪が薄く降り積もる森の中、一人の女が焚き木を集めている。


「こんなに早く初雪が降るなんて、今年の冬は寒くなりそうね」

彼女は呟きながら、黙々と枯れ木を拾い、大蜘蛛デビルスパイダーの背に乗せる。


「ドスン――ドサッ」

突然、近くの木が揺れ、葉に積もる雪が音を立てて地面へと落ちる。


 彼女は音がした方向に顔を向けた。すると、木に寄りかかる男の姿が目に入る――見知らぬ人族だ。


「名を名乗りなさい」

そう言うと彼女は腰帯から小刀を抜き出して構えた。


「……」

その男は虚ろな眼差しを向けると無言のまま地面へと倒れ込んだ――。


「“落ち人”か……さて、どうしたものかしら」

彼女は地面に横たわる男を見つめ目ながら思案する。


 ここは王国の北西の端に位置する。彼のように行き倒れる人族は少なくない。何らかの理由で人族の社会から脱落した者―“落ち人”―がここに行き着くのだ。


「綺麗な横顔だわ、“落ち人”とは思えないわね」

彼女は男の顔についた雪を払いながら見惚れていた。


 彼女は落ち人を森で見かけたことがある。彼らは痩せこけて精気のない顔に苦悶の表情を浮かべながら森の中を彷徨い続けていた。しかし、目の前の男性は違う。身だしなみは整えられ、やつれてはいるが色白で端正な顔立ちをしている。


 彼女は覚悟を決めたように大蜘蛛に合図する。すると、大蜘蛛はその男を糸で縛ると背中へ乗せた。そして、彼女は大蜘蛛に乗り、その男が転がり落ちないように手で押さえながら、家路へと急いだ。


――晩秋 アニュゴンの街 彼女の家


 男は青ざめ、その身体は冷たい。家路への道中、彼女が呼び掛けても応じることなく、紫色の唇を震わせ、うわ言を呟くばかりだ。


 彼女は家に戻るなり、男の服を脱がした。そして、お湯で身体と頭を洗い、暖炉の前で毛布に包んで暖める。男が寝息を立てるのを確認するとベットへと運び、冷えないよう抱きしめて添い寝した――。


「ここはどこだ……私はまだ生きているのか」

その男は目を覚ますと呟いた。


「あら、気が付いたみたいね。体温が低くて死ぬかと心配したわ」

彼女は耳元で男に囁きかける。


「君は……蜘蛛の魔人アルケノイドかい?」

男は彼女の額にある赤い六つの触眼を見ながら問いかける。この近辺にアルケノイドと呼ばれる蜘蛛の魔人が住んでいることを彼は思い出したのだ。


 彼女は頷くと男の髪の毛を撫でながら顔を見つめる。

「疲れた顔をしているわね。私の家で好きなだけ休むといいわ」


「すまない。しかし、アルケノイドは美人と聞いたが君を見て納得したよ」

と言いながら、赤い髪と瞳を持つ優しい顔立ちの彼女を見つめ返す。そして、彼女から匂う女の香りフェロモンを嗅ぐうちに、下半身が瞬く間に膨らむ。


「元気になってよかったわ」

彼女は嬉しそうに男性に口付けをしながら太腿に当たるそれを優しく摩る。男性は仰向けになり、彼女の舌と手から伝わる快感に身を委ねる。


「そういえば……君の種族は女性しかおらず、人族の男性と交わると食べてしまうと聞いたことがあるけれど……大丈夫だよね」

男は快感に飲み込まれながら、不安そうに問いかけた。


「ふふ、どうかしら」

彼女は笑みを浮かべながら馬乗りになり、彼のそれを体の中へと導いた。


――初冬 アニュゴンの街 彼女の家


「ふう、外は冷えるわね」

彼女は家の扉を閉めて暖炉で手を暖める。


「随分と話し込んでいたみたいだが……僕のことかい?」

彼女ともう一人の女性が家を背にして立ち話をしている様子を男は窓から見ていた。話し声は聞こえないが、身振り手振りから何やら言い争いをしているように感じた。


「あら、見ていたのね。貴方を勝手に家に連れ込んで街長オサに叱られていたの。男と一緒に暮らすことは禁止されているのよ。さらに交わるなんて……街から追い出されても文句が言えないわ。でも、彼女は幼馴染だから大丈夫。なんだかんだ言いながら、いつも助けてくれるから」

と言いながら、彼女は長机テーブルの椅子に腰かけ、男に向かい合う。


 そして、男へ寂しそうにほほ笑みかけながら言葉を続けた。

「いつまでも居て欲しいけれど……貴方の端正な顔と綺麗な手を見ればわかるわ……ここに留まるような人ではないと」


 男は彼女の話を遮ると、

「いや、僕は最低の人間だ……僕の犯した罪は多くの人を不幸にした。君に見つからずに、野垂れ死にすればよかったんだ」

と押し殺した声で喋る。長机の上に組んだ両手に涙がこぼれおちる。


 彼女は男性に近づき抱きしめる。そして、彼の涙を頬から目に掛けて舌で舐める。最後は彼の左目の下にあるほくろに口付けをして涙をすする。


「しょっぱい」

彼女はそう言いながら男に笑いかける。男は彼女を強く抱きしめて口付けをしながらベットへと押し倒した――。


 行為の後、男性は天井を見ながら呟いた。

「春が来たらここから出ていく」


「……わかったわ。ここは春でも寒いから服を仕立ててあげるわ」

しばらくの沈黙の後、彼女は男性の胸に顔を埋めて答えた。


――初春 アニュゴンの街 彼女の家


「支度は自分でするから大丈夫だよ。君は休んでおいて」

男は彼女が仕立てた外套と帽子を身に着ける。


 これらは彼女が冬の間に仕立てたものだ。魔獣のなめし皮に彼女の糸を紡いだ布を裏生地として縫い合わせている。男性は外套の襟を裏返し裏生地の香りを嗅ぐ。


「この外套を着ると君に包まれているみたいだ」

男は笑顔で彼女に語り掛ける。助けたときに比べて血色は良くなり、時々笑顔を見せるまでに回復した。彼女は大きなお腹を摩りながら笑顔で返す。


 男は彼女に近寄るとお腹を撫でながら耳を当てる。

「君に包まれている生命がここにもいた……動く音が聞こえる、男の子かな?」


「アルケノイドからは女性しか生まれないわ。貴方みたいな男の子が欲しいけれど」

彼女は男の髪の毛を撫でながら寂しそうに呟く。


 男は彼女の手を取り口付けをする。そして、しばらく彼女を見つめた。

「今までありがとう。そろそろ出発するよ。僕たちの子供の幸せを祈っている」


 長い口付けを交わした後、男性は扉を開け外へと歩き出した。


――中春 アニュゴンの街 彼女の家


 彼女は街長に介助されながら出産した。


「うん? あれ……なんだこれは」

街長は赤ん坊の体を拭きながら股に目を遣り、驚きの声を上げる。


「どうしたの? 早く子供の顔を見せて」

街長は赤ん坊を布で包み、彼女に手渡す。


「ようやく会えたわね、あなたの名前はザエラよ」

彼女は嬉しそうに静かに眠る赤ん坊に頬ずりしながら話しかける。


 彼女の様子を見ていた街長は覚悟を決めたように話しかけた。

「……信じられないが……この子は男の子だ」

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