3.3.44 唇の跡

――王国歴 301年 晩春 貴族連合討伐軍 アデル王子の執務室


「なあ、サーシャ大尉、いつまで俺に待たせる気だ?」

アデル王子はサーシャを壁に押し当て腕を掴み、足を股に入れて、顔を近づける。彼女は唇を奪われまいと顔をそむけると、露わになる白い首筋へ吸い付かれる。


「お許しください、王子様。私の身体がまだ準備できておりません。以前のように貴方様に無意識の内に暴力を振るうかもしれません」


「秋まで待てるほど俺は寛容ではない。まだ、あの男に未練があるのだろう?魔力を封じる魔道具で拘束して押し倒してもよいのだぞ」

そう言いながら、アデル王子はサーシャの内出血で染まる首筋を片手で締め付ける。彼女は顔を赤くして苦しそうに悶える。


「ふん、無表情な顔で俺を無視し続けた女がいい気味だ。この戦争が終わるまで我慢してやろう。しかし、あの男に邪魔をされているようで癪に障るな……」

アデル王子が首から手を離すと、サーシャはしゃがんでせき込む。


「今から言うことを紙に書け。書かなければ……あの男がどうなるかわかるな?」

アデル王子は意地悪そうな顔をしてサーシャを見つめた。


――第一王女陣営 キュトラの部屋


ベットの上で男女の影が激しく絡まり合う。ザエラはキュトラの唇を吸いながら体を密着させて激しく腰を振る。


「はぁ、はぁ、あぁん」、キュトラは何度も快楽の渦へと飲み込まれる。体が痙攣してもザエラは止めようとはせず、まるで獣のように貪りつくす。


ザエラは唸り声を上げて果てると荒々しい息遣いをしながらキュトラの胸の中に顔を埋める。彼女が頭を撫でていると寝息を立て始めた。


「……サーシャ、なぜ……」

ザエラが寝言を呟くと、キュトラは寂しそうな表情を見せた。そして、自分のものであることを印すように、何度も彼の首筋に接吻をした。


◇ ◇ ◇ ◇


「ザエラ様、朝ですよ」

ザエラは目を覚ますと目の前に朝日を浴びて微笑むキュトラが目に入る。昨日、サーシャからの手紙を受け取り、その内容に心うちひがれて、キュトラの部屋に転がり込んだんだことを思い出した。


「飲めない酒を飲んでいた。君に乱暴をしていなければいいのだが」


「ひどいですわ。昨晩の熱い営みを忘れられたのですか?……もう、私はお嫁にいけません。ザエラ様、責任を取ってくださいね」

強めの口調とは裏腹に、キュトラは嬉しそうだ。彼女なりの気遣いなのかもしれないが、この明るい表情には助けられる。


「すまない、王女様の公務が始まる前に退散するよ」

ザエラは時刻を確認すると急いで服を着る。


「あ、ザエラ様……」

「ん?」

「い、いえ、何でもございません。何かあればいつでもいらしてくださいね」

ザエラが振り返るとキュトラは恥ずかしそうに俯く。彼の首筋に唇の赤い跡が幾つも付いていることを言い出せずにいた。


――第一王女陣営 カロルの部屋


「ミーシャお姉ちゃん、ザエラ兄さんの様子がおかしい」

カロルはうろたえた様子でミーシャに訴える。


なお、子供の頃からカロルはミーシャに可愛がられていて、二人きりの時は彼女をお姉ちゃんと呼んでいる(オルガには内緒だ)。


「昨日から何を話しても上の空なんだ。いつも冷静で表情を表に出さないなのに、俯き加減でぶつぶつ呟いていた。今日なんて首筋に唇の跡を沢山つけて、乱れた服装で書類に目を通していたよ」


「戦争が落ち着いたから気が緩んでいるのかしら。でも、私の妹サーシャがいながら他の女と寝るなんて許せない。あの子はザエラ一筋なのに酷いわ」

ミーシャはザエラを強く非難した。サーシャが彼から告白されたと嬉しそうに話していたことを思い出したようだ。


カロルは慌ててこれまでザエラとサーシャの間に起きたことを説明した。


「なるほど、この国の王子が二人の仲を切り裂いたのね。……女の勘だけど、ザエラは妹を信じ切れずに疑心暗鬼に囚われているわね。だから、寂しさのあまり他の女に逃げるのよ」

「僕はよくわからないけど、お姉ちゃんの言葉には重みを感じるよ」

「……ミハエラと色々あったからね……なんとなくわかるのよ」

そう言いながら、ミーシャは静かに微笑む。


「私にいい案があるわ。収容施設の資材を街から運ぶ商人に紛れて顧問おばばがお忍びで様子を見にきているの。それとなく事情を説明してザエラに助言するように頼んでおくわ」


――第一王女陣営 ザエラ執務室


「ひさしぶりじゃな、ザエラよ」

「お久しぶりです、師匠。いつこちらに来たのですか?」

ザエラは机から立ち上がり、眼鏡を掛けた老婆を出迎え、長椅子ソファへと案内する。「よっこらせ」、老婆はゆっくりと腰を下ろした。


師匠は部屋を見渡すと、

娘たちララファ・フィーナの部屋を訪れたがそれと比べると広くて豪華じゃな。流石は中佐殿というところか。ふん、ふん、匂いまで上品に感じる」

と言いながら、部屋の匂いを嗅ぐ。


「ここは執務室なので広いだけですよ。部屋の香りは、大樹から抽出した精油です。シュバイツ伯爵領の特産で、防臭や防虫効果があるそうです」


「そうか?首筋に赤い跡がついておるぞ。儂が話した匂いはお主の服から漂う香水のことじゃ。悪い虫が付いていないか心配でな」

師匠の言葉を聞き、ザエラは首筋を鏡で見ると思わず手で顔を覆う。


(皆から首筋への視線を感じていたが、そういうことか……)

ザエラはばつが悪そうに髪の毛を掻く。


《サーシャの話はカロルから聞いておる。自治領への昇格の件、騎士団の運営、副大将として第一王女陣営の切り盛り……お前が苦労していることは承知じゃ。成長が早いとはいえ、まだ十四歳の若造にはきついわな。何かあったのか話してごらん》

《……師匠》

ザエラはこれまでのことを淡々と念話で話始めた。


◇ ◇ ◇ ◇


《そうか、第二王子にサーシャを奪われ、昨日、彼女直筆の、騎士団からの脱退願いが届いたということか……ふーむ、かなり危険な状況じゃ》

師匠はザエラの話を聞くと心配そうに唸る。


《やはり彼女は次期国王に一番近い王子を選んだということでしょうか?彼女をことを思えば脱退届を受理すべきなのか悩んでいます》


ザエラの言葉を聞いて、師匠は彼を叱りつける。

《だから若造なんじゃ。あの子はいつもお前しか見ていない、お前のことしか考えていない。お前に告白されたこと、指輪をくれたことを嬉しそうに話していたぞ。そんな子がお前から離れるのは……お前を守るためじゃ。第二王子が次期国王となることを阻止するために無茶なことをしなければよいがの……》


(そうか、そう考えるとすべて合点がいく)

ザエラは視界が晴れた気がした。


《師匠、ありがとうございます。自分の為すべきことが見えた気がします》

《弟子たちを導くのが師匠の役目じゃ。次に会うときは二人の笑顔を見せておくれ》

師匠の優しい眼差しに、ザエラは目に涙を浮かべて頷いた。

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