第2話
夜十時を回った頃。
雑誌記者としての一日を終えた市川隆二は自宅でテレビを観ている。
片手には缶ビール。
沈痛な表情のアナウンサーがニュースを伝えている。
画面の右上に表示されているのは【中学生いじめを苦に自殺】というテロップ。
その文字に胸がズキっと痛む。
初恋と喪失の痛み。
隆二の頭に大好きな女の子の姿が蘇る。
名前は柳田愛子。
愛子と出会ったのは十一年前の冬。隆二は中学二年生だった。
学校は冬休みに入っており、
街は新年を迎える準備で大忙し。
そんな年末の土曜日だった。
隆二は横浜駅の西口からそれほど遠くない家電量販店に向かっていた。
ゲーム機とソフト数本を買うため。なけなしの十万円を手に。
家電量販店の入り口にはゲーム機やゲームソフトの上り旗がひらめいている。
その中にはお目当ての商品のものもあり、手招きされているようだった。
隆二は肩にかけているバックから財布を取ろうとした。
その時、バックのファスナーが全開になっている事に気が付いた。
(もしかして……)
嫌な予感は的中。財布を落としていた。
隆二は慌ててもと来た道を辿る。でも財布は見当たらなかった。
残酷な現実。
隆二は諦めきれなかった。
キョロキョロと視線を動かしながら財布を落としたであろう道を何度も行ったり来たりした。
それでもやはり見つからない。
諦めかけた時、視界の片隅に目に入ったのは交番。
(もしかしたら…)
ダメ元で財布の落し物が届いていないか聞いてみよう。
隆二は交番に向かう。
二階建ての交番は長方形の建物で、奥行きがある。
箱ティッシュの側面を下にして建てたような感じ。
交番内には先客がいた。
身長は一六〇センチほど。白いニット服と青のジーンズ。
手には黒のロングコート抱えている。
同い年くらいの綺麗な黒髪の少女だった。
肩にかかるくらいの艶やかな髪。後姿からでも美少女とわかるような雰囲気。
彼女は、中年の警察官と何やら話している。
見とれている隆二に別の警官が話しかける。
『どうされました?』
隆二は若手の警察官に財布を落とした事を告げると、
彼はナイスタイミングといわんばかりの表情を浮かべた。
中年の警察官と少女―くっきりとした二重の美少女―の視線がこちらに向けられている。
見る者を惹きつける大きな目の彼女。隆二はずっと眺めていたくなった。
若手警察官に声を掛けられて隆二は我に返る。
訝し気な表情を浮かべている警察官だったが、
少し頬が赤くなっている隆二を見て事情を察した。
警察官から財布についての質問が飛ぶ。
財布を落とした場所や財布の特徴、中身の金額など。
隆二が質問にスラスラと答える度に、彼の表情は確信を強めていくように見えた。
若手警察官が中年の警察官にアイコンタクトを送り頷く。
『君が探しているのはこれだね?』
中年の警官が手に持っていたのは隆二の財布だった。
警官たちが言うには、
隣で静かに微笑んでいる彼女が財布をわざわざ届けてくれたそうだ。
促されるように財布の中身を確認すると十万円がしっかり残っていた。奇跡。
隆二は彼女に向かって、何度も何度も感謝の言葉を伝えた。
その時いつかの刑事ドラマで見た「あるシーン」を思い出した。
落し物の持ち主が拾い主に「報労金」、いわゆるお礼を渡しているシーン。
相場は落し物の価格の5%~20%ほど。
隆二は頭の中で計算した。ゲーム機は五万円あれば買える。
ソフトも一本七千円ほどで数本買うとしても、八万円あれば十分おつりは来る。
美少女を前にすると男は良い所を見せたくなる。
隆二は多少震える両手で、二万円―相場の最大割合である20%―を渡そうとした。
彼女は大きな目を見開いていた。
顔の前で『いやいや』といった具合に手を動かし『お金はいらないですよ』と微笑んでくれた。
それでは気がおさまらないので、
隆二は逆オークションのように五千円ずつ価格を下げて「報労金」の交渉をした。
彼女は苦笑いしながら首を横に振り続けた。
三回目の交渉が失敗した時、隆二は五千円札を渡すのをあきらめた。
「なんでも良いからお礼をさせてほしい」
隆二はダメ元で言ってみたが、やはり彼女は丁重に断った。
正直お礼なんかどうでもよかった。次に会う口実を作りたかった。
しょんぼりしている隆二を見かねたのか、中年の警察官が助け舟を出してくれた。
『君、ここ知ってる?』
地図上で彼の指が示している場所は大型商業施設。
隆二が友達とたまに買い物に行っている場所だった。
彼女は財布を届けた後、ここまでの道を尋ねていたのだ。
「もちろんです!!案内できます!!いや、させてください!!」
隆二は張り切って敬礼した。
『頑張れよ』
そんな警察官たちの視線を浴びながら、
隆二は彼女を連れて目的地に向かった。
交番から大型商業施設までは十分ほどで着く。
隆二はそれまでに【彼女の連絡先を教えてもらうというミッション】を自分に課していた。
それが緊張を招いたのか空回りした。
気づいたら隆二は自分の事ばかり話していた。
学校の事。好きな音楽の事。好きな食べ物の事。一方的にしゃべり続けていた。
それでも彼女は嫌な顔一つせずに話を聞いてくれていたのだ。
そんな隆二が彼女の事について知る事が出来たのは「千葉」に住んでいるという事だけだった。
神奈川に住む隆二と千葉に住む彼女。
生活範囲は被らない。後日ばったり再会パターンは望めない。
(この話題の次に連絡先を聞こう)
その繰り返しをしているうちに目的地に着いてしまった。
ゆっくり歩いたつもりだったのだが。
(今日このまま別れたら絶対後悔する)
隆二は勇気を出して連絡先を聞いた。
彼女は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに携帯電話を取り出した。
別れ際、ハニカミ笑いを浮かべながら手を振る彼女の顔を見て、
隆二はもっとそばにいたいと思った。
「もっと話したい」
彼女の腕を掴んでわがままを言ったら彼女はどんな反応をするだろうか。
(また近いうちに会えるさ)
隆二は人込みに溶けていく彼女の後姿を黙って見つめる事しかできなかった。
(今すぐメールしたいな。電話は…さすがに無理だ。緊張しちゃう)
隆二は家電量販店に向かいながら携帯画面をニヤニヤしながら眺める。
表示されているのは、入手したての彼女の携帯番号とメールアドレス。
そして名前。
(あの子、柳田愛子っていうのか…)
千葉に住んでいる事しか聞き出せていなかった事に今さらながら気がついて、
隆二は苦笑いした。
(もう一度会いたいな。今度は彼女の話を聞きたい)
会いに行こうと思えば会いに行ける。
だが、千葉までの往復二千円の交通費は中学生にとっては重すぎる負担だった。
頻繁には会うのは難しい。
隆二は両親の事を考える。
両親は隆二が小学校低学年の時に離婚している。
父親はアメリカに移住して新たな家庭を築いているようだ。
母親は裕福な家庭で育ったわがままお嬢様。
隆二を溺愛しており、頼めばお小遣いは好きなだけ貰えると思う。
だが、隆二は金銭感覚が狂っている母親のようにはなりたくなかった。
自制心の無い母親。そんなのに頼るのは癪に障る。
反抗期というヤツだろう。
母方の祖父母も隆二は好きになれない。
あの母親の親なのだ。ろくな人間なわけがない。
とは言うものの中学生の隆二が一人で生きていけるわけはなく、
周りの友達と同じように親から毎月お小遣いを貰っている。
月三千円のお小遣い。
これで今までやりくりしてきた。
”もっとお小遣いの金額多くしても良いのよ”
母親に度々言われているが、隆二は自分で決めたこの条件を変えてもらう気はなかった。
(間もなく貰えるだろうお年玉も手に付けないようにしなければ)
隆二は気を引き締めた。
「節約」という二文字を脳に刻み込む。
帰宅した隆二は家電量販店の袋を大事そうに抱えてそのまま二階の自室に入る。
テーブルの上に広げられているのは本日の戦利品。
話題の最新ゲーム機とゲームソフト。
もちろん節約のため、買ったゲームソフトは一本だけにしておいた。
隆二は新しいゲームを手に入れた時、すぐに「プレイの儀」を執り行ってきた。
しかし、伝統儀式は延期。
隆二はすぐに携帯電話を手に取る。
本日一番の戦利品である「柳田愛子の連絡先」を開いて、メール作成のボタンを押す。
「こんにちは!市川です。
柳田さんのおかげで欲しかったものを無事に買う事が出来ました!
ありがとうございます!」
(なんか…微妙だな)
文章を書いては消してを隆二は繰り返した。
何度も何度も文章のチェックをした。
彼女に変と思われないか。気持ち悪いと思われないか。
その一心で。
結局、隆二が納得のいく文章を送信できたのは、一時間後だった。
「送信成功」という画面を見つめる。
(これから彼女とメール出来るんだよな…嬉しいな)
そう思うものの、やっぱり彼女に会いたい隆二は手帳を開いて予定を確認する。
出たのはため息。
冬休みの期間にはぎっしり予定が詰まっている。
塾の冬期講習、友達と遊ぶ約束、家族旅行。
(春休み辺りに一度会いに行こう)
千葉遠征の計画を立て、隆二は無駄な出費をしない事を改めて誓った。
彼女と出会えた今日、隆二にとって人生最高の一日だった。
しかし、それは彼女と会えた最後の日でもあった。
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