F
春嵐
Fight Final Fall.
「ここから先だ」
崖。
先には、何もない。
海も陸もない。
完全な虚無。
「この先に犯人がいる」
「ばかいえ。この先には何もないわよ」
隣。
サーバーの冷え具合を確認している、女。
「いるわけないでしょ。その先は
「おい」
女。
サーバーから、ビールを取り出す。
「おい。サーバでビールを冷やすなってば」
「これがほんとのビールサーバ、ってね」
女の喉が、動く。
「ああ。うまい。このために生きてる」
「いい気なもんだ」
この段階で、犯人を見つけなければ。
新しい通信規格に乗って、
「俺にもくれ。ビール」
「だめよ」
「なんでだ」
「仕事しなさい。あなたの両肩に、この国の未来が乗っかってるのよ?」
「国の未来、ねえ」
たしかにインフラがダウンすれば、死者数は凄まじい量になるだろう。
そのほうがいい。
「こんなだめな通信規格の国は、いっかいブラックアウトしてしまえばいいんだ」
女。
ビールを呑む喉が、止まった。
「本気?」
「本気じゃないよ。そんなに焦るなって」
「焦るわよ。あなたが最後の砦なのよ」
女の手が、肩に回ってきて。
強めに揉まれる。
「いだだだ」
「凝ってますねえっ」
彼女。
親族が全員、しんでいる。だから、大量に人が死ぬような出来事に対して、心が耐えられない。
だから。
自分は仕事をする。
彼女を泣かせないために。
「俺が仕事を放棄すれば」
彼女。肩を揉む手が止まる。
「全てのインフラが止まる。原始時代に逆戻りなわけだ」
実際は、産業革命辺りまでにしか戻らない。人間の知恵は、もうすでに原始時代への還元を是としないところまで来ている。
「全ての常識が通用しなくなり、それこそ、大量に人が死ぬ。死にはしないけど、死んだようになる人も。それ以上に出るだろう」
ばかみたいな計算だが、一人死ねば、最低でもそのまわりに六人から十人、こころがしぬ人間が出る。それが、人が死ぬ、ということだった。
核家族だろうが一人っ子世代だろうが、そういう数字は、変わらない。
「死ぬんだ。結局。人は」
「でも」
「今ここで俺が仕事をやめれば。それが起こる」
「さっきから。何が言いたいのよ」
「人は死ぬが、俺とお前なら、それを最小限に食い止めることができる」
「犯人を探すのをやめて、被害を抑えるほうに回る、ってこと?」
「そのほうが、たぶん救える人間の数は多い」
「うそよ。犯人を探して捕まえたほうが」
「犯人。捕まえられると思うか?」
目の前の事実。
「犯人。わかったの?」
女が画面を見つめる。
「これ」
完全空白、初期化されたストレージ。
官邸の新しい通信規格。
「海も陸もない、完全な虚無。ここを渡っていけるのは、化け物だけなのさ」
犯人は、国、そのものだった。
「なんで」
「理由はないんだよ、こういうのに」
化け物に、意思はない。
ただ、暴れて動き回っているだけ。
「この災害は、人によって起こされるが、個人によって起きるわけではない。お前の家族と同じだ」
「同じ」
仕組みを、説明した。
新しい通信規格を知ろうとする会社や、個人。インフラへの組み込みを諮ろうとする官僚から、何も知らずに通信を使っている子供まで。
全員が全員、新しい通信規格について検索し、その内容を知ろうとする。
それが渦になって、化け物の形を作り、暴れ回る。
「そんな。まるで、自然発生型の
「飲み込みが早いな」
「ありえない。ありえないわよ。ddosなんてのは本来たくさんの通信容量を」
「そう。このストレージが悪さをしてる。新しい通信規格そのものが。大量の送受信を可能にしてるから。この化け物は。ここにいる」
覚悟を、決めなければならない。
「真面目に聞いてほしい。心の準備は、いいか」
「うん」
彼女。たぶん、ddosと分かった時点で、気付いているのだろう。
「お前の親族が全員しんだ事故も。たぶんこれが原因だ」
「事故の後の治療も?」
「そう。親族全員が重篤で、生き残ったのがお前ひとり。そういう悲劇のヒロインの顔を見たくて、多くの人間が検索をした。それが渦を巻いて、インフラにダメージを与えて、その都市の病院の電源が落ちた」
「予備は」
「化け物がぐちゃぐちゃに動いてるんだ。予備への切り替えなんてうまくいくわけがない」
そして。
「官邸が新しい通信規格に移行しようとしたのも、お前の事故があったからだと、思う。簡単にインフラが落ちないように、ってな。その結果、もっと大きな化け物が生まれた」
「ありがとう。私のために。教えてくれて」
彼女。
引き絞った、唇。血がにじんでいる。
「わかった。よく、わかったわ。あなたの言うことは。化け物を避けて、被害を抑えたほうがいいことも」
その血を、指で拭ってやった。その間、彼女は口を開かず。じっとしている。
「もういいぞ。あまり噛むな」
「うん」
彼女の眼。
しんでいない。
「でも私は、やっぱり、化け物を殺すほうがいい」
「失敗すれば、全てがなくなる。それでも、か?」
「それでも、よ」
彼女。
自分の上に乗っかって、画面をいじり始める。
「通信が最後に落ちてしまう、そのときまで。私は闘いたい。同じ境遇の人間を、生み出さないために」
「よし。よく言った」
自分も、できるだけ闘ってみよう。
国や世界のためではなく。
彼女一人の、ために。
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