令和の神戸市バス紀行

ふるさと

第0話 前章

 ある晴れた初夏の朝、私はJRの電車に乗って神戸へ向かった。

 繁華街の三宮で用事を済ませたあと、市営地下鉄の電車に30分ほど揺られ、西神中央駅へ降り立った。

 私は普段から、電車で出かけるのが好きで、週末に暇を見つけては京阪神をあちこちめぐっているのだが、最近は新型のウィルス感染症が流行ったせいで外出頻度がめっきり減った。それにしても例の感染症、なかなか手ごわいやつなのだそうで、これから猛暑が続くというのに感染拡大とかなんとか、連日テレビやラジオは大賑わいだった。

 今日は何人が感染した、という数字を必死になって追い続け、そして騒ぎ立てていたメディアのようすは、どこか滑稽で、その報道の価値すら疑問に思うこともあったが、それはおそらく、私がこの感染症の恐怖を実感した経験がないがゆえの楽観的思考の現れなのだろう。これは恥ずべきことだ。用事があって電車に乗ると、「医療関係者のみなさま、および感染拡大防止にご協力いただいているすべてのみなさま、この大変な状況の中ありがとうございます。」という放送が車掌によって行われている。全国各地で、医療関係者への感謝を示す青色のライトアップが行われたり、東京都心の上空では、航空自衛隊の「ブルーインパルス」が飛行したりしていた。私もマスクは着用しているし、アルコール消毒も行ってはいる。


 それはともかく、私は大学受験を来年春に控えた、いわば「受験生」である。私は幼稚園のころにとある小学校を受験し見事に合格、6年生になって卒業する時も内部進学の道を選び、なにも考えずに中高の6年間を過ごした。そう、私は小学校受験以来の入試を迎えるわけだ。しかも小学校入試の記憶は、マットの上で前回りをしたことぐらいしか残っていない。要するに、小学校受験のノウハウを大学受験に使うことは到底不可能、というわけだ。

 となると実質的に人生初の受験が大学受験ということで、私はかなり身構えている。塾や予備校にはかれこれ11年半もお世話になっているし、親に出させた学費も数百万円になっている。中2のころは3つの塾と通信教育をかけ持ちし、ほぼ毎日、学校以外の勉強に追われた。でもやはり「受験」というのは、いくら塾に金を積んでもできない貴重な経験であって、その貴重さは、受験を合法的に回避したことで初めて理解できる。


 それを実感したのは高1の春、かつて同じ学習塾で一緒に学んでいた友人と、別の予備校の授業で久々の再会を果たしたときだった。挨拶もそこそこに、私は、どこの高校へ行ってるんだい?と、興味本位で彼にたずねてみた。小学・中学時代の彼といえば、(塾での様子しか知らないが、)塾で毎回行われる小テストでは7割から8割ほどの点数を毎回取っていた記憶がある。秀才ではないが、でも勉強ができないわけでもなかった。

 そんな彼の答えはずばり、学区内トップの公立高校だった。少し恥ずかしそうにしていたが、私は彼の、心の中のプライドを確実に感じとった。私といえば、当時から大して成績は上がらず、とりあえず塾と学校へ行くだけの単調なくらしをしていただけだ。一方の彼といえば、高校受験という目標のために必死で勉強し、学区内トップの高校への合格を勝ち取ったのだ。一度でも、過去に必死で勉強した経験があれば、大学受験への体力も十分だろうが、誰かさんの小学校受験じゃどうにも・・・


 なんてことを2年ぶりに思い出すと、どうしても心が焦りで埋め尽くされて、閉塞感がぬぐいきれないものである。感染症で丸3か月も学校が休みになり、友人との語らいの場所がないどころか、スマホという便利な連絡手段があるのにめったに用事がない。わざわざスマホの充電を使って連絡するような内容はないし、たまに同級生から電話がごくまれにかかってくる程度である。それにも私は気づかないことがほとんどだ。友人の近況を知りたい、という気持ちはとくに起こらず、まわりの人への興味を失ってしまったように感じる。

 いつのまにか日常が白黒になったような気がしたので、たまには気晴らしに、自分ひとりで近場の小旅行をしたくなった。これまでのような、府県をいくつもまたぐ距離の電車移動は憚られるので、近場の神戸のまちを、普段あまり乗らない「バス」から眺めてみようと決めたのだ。

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