第五課 実戦前夜 その1
『これを見てください』
その日、授業の帰りに俺の事務所にやってきた新一は、鞄の中から俺に一通の封筒を出して手渡した。
『・・・・』
何だかまるで時代劇みたいだな。
そう思って中を取り出して読んでみると、ひどいものだ。
誤字脱字だらけだし、てにおはの使い方もなっちゃいない。
ここにその文面を紹介してもいいんだが、いじめを嫌っている俺が、如何に相手が嫌な奴だからって、恥をかかせるような真似はしたくない。
何故ならそれは奴らがやっているいじめと同じだからだ。
それはさておき、
要するに文面の言いたいことは、
”お前の態度は目に余る。今度シメてやるから、4月×日午後5時、荒川土手の〇〇公園まで来い。”
”シメてやる”なんて言葉を使ってるが、なんてことはない、早い話が皆で寄ってたかってリンチにでもかけようって腹なんだろう。
俺は壁に掛けてあるカレンダーを見ながら、
『あと十日ほどだな』
といい、ひじ掛け椅子から立ち上がった。
『よし、もういいだろ』といい、彼に向かって言った。
『屋上に上がれ』
”ペントハウス”なんていえば聞こえは良いが、要するにコンクリートが打ちっぱなしの広いテラスがあり、片隅にさっき言った俺の”ネグラ”が鎮座ましましている。
訪ねてくる友達も滅多にいない俺にとっては、ここに人を上げることはまずない。
その初めての人間が、俺の弟子・・・・いやいや、俺の初めての依頼人である、中学二年の少年なんだからな。
屋上はネグラ以外は妙にだだっ広く、その大半に洗濯ロープが渡してあり、シーツと俺のシャツなんかが、風に翻っていた。
俺はネグラの壁に置いてあった物入から、ブリキのバケツと砂の入った袋をもってくる。
新一は俺のやることを不思議そうな顔で眺めていた。
俺はポケットに手を突っ込み、十円玉を取り出すと、コンクリートの床に置いたバケツの底に、それを置き、俺は袋の中の砂をバケツ一杯になるまで詰め、一緒に持ってきたスコップを使って、上から押し固めた。
俺はバケツの前に立つと、上着を脱ぎ捨ててTシャツ一枚になる。
そして右手をぐっと握り、バケツの砂に当たる寸前で指を思い切り開き、底に張り付いていた十円玉を掴みだし、新一の目の前に突き付けた。
バケツの周囲が砂まみれになる。
『さあ、今度はお前の番だ』
『え?』
『俺と同じことをするんだよ』
『どうして?』
『契約は遵守しろ。絶対服従だ!』
俺の言葉に、彼はさっきやったように、スコップで砂をよけ、手渡してやった十円玉をバケツの底に埋めると、元の通り砂に埋めた。
勿論最初から上手く行くわけはないが、同じことを何度か繰り返させた。
都合百回はやったかな。
百回目には彼の手が、十円玉を掴んで戻ってきた。
それから何回、彼に同じことを繰り返させただろう。
しまいに彼の指先の爪から血が噴き出し始めた。
『痛いか?』
『・・・・い、いえ・・・・』
『無理をするな。痛いなら痛いといえばいい。これから毎日、同じことを繰り返す。百回やって、百回成功するまでやるんだ。猶予は十日しかないぞ』
その日、新一は俺の言う通り、バケツに向かって百回、いや、三百回は同じことを繰り返した。
爪は割れ、砂まみれになり、本当に血だらけになったが、遂に百回連続で十円玉を掴むことに成功した。
お陰ですっかり遅くなってしまった。
もう午後五時を回っている。
『やったな』俺は言い、新一にタオルを渡してやった。
『よし、今日はこれまで、遅くなったが、親には何と言って言い訳する?』
彼はネグラのシャワー室で手を洗い、俺が出してやったペニシリンの軟膏を良く指にすり込んだ後、俺が聞くと、
『大丈夫です。母は看護師をしていて、今日も夜勤ですから帰ってきません。父は商社に勤めていて、海外に出張してます。姉が一人いますが、地方の大学に入っていて、半年に一度くらいしか帰ってきませんから』
と、極めて当たり前のような口調で答えた。
とはいっても、子供を夜遅くに一人で帰すわけにもゆかん。
仕方がないから、俺が送ってやることにした。
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