第三課 あしたのために その1
『引き受けると言ったんだよ』俺は素っ気なく答え、コーヒーを飲み干してから、手に持っていたシナモンスティックをまた口に咥え、音を立てて齧った。
『でも、貴方はさっき・・・・』
『俺は結構気まぐれなんだ。だから気分が乗れば受けるし、乗らなきゃ受けない。それだけの事だ。何か言いたいことははあるかね?』
俺の態度に、彼はすっかり飲まれてしまっているようだった。
『い、いえ・・・・ありません』
『よし、なら結構。当たり前だが俺は仕事でやるんだ。金は払ってもらう。いいね?料金は一日六万円と必要経費。それから危険手当として四万円の割増を付ける場合もある。基本現金払いだが、君は中学生だから全額すぐに払えとはいわん。特別に分割払いを認める』
彼は俺の言葉に、腰の辺りを探り、ウエストポーチから財布を取り出し、そこから二万円ばかりの現金を出して前に置いた。
『今日はこれだけしかありません。貯金を下ろせば何とか・・・・』
俺は苦笑しながら、
『カツアゲでもされてるみたいなことを言わんでくれ』と答え、そこから一万円だけ取った。
『とりあえず前金だな。後は”ある時払いの催促無し”といこう。これが契約書だ。一通り読んで、納得出来たらサインを頼む』
俺はそう言ってデスクに立ててあったファイルケースを取り、そこから書類を一枚取り出し、彼の前に置く。彼は上から下まで舐めるように書類を読み、分からない表現は一つ一つ俺に確かめてからサインをして、俺に返した。
『よろしい。これで俺は君に雇われた。君は依頼人、つまりは雇い主だ。ただし』
そこでわざと勿体を付けて言葉を区切る。
『雇い主でもあると同時に、俺は君を指導する立場でもある。従ってこれからしばらくの間は、俺の指示には全て従って貰う。何があっても疑問や質問は一切聞かない。絶対服従だ。いいな。返事は?』
気分は空挺で助教をやってた頃だった。こんな時に昔の自分が出るとはね。
『は、はいっ!』
それを確認し、俺はシナモンスティックを齧り終えるとソファから立ち上がり、デスクの引き出しを開けると、折り畳み式の手鏡を持ってきた。
新一は不思議そうな顔で俺を見た。
『君の家にもこれと同じような手鏡か何かがあるか?』
『いいえ、ありません』
『無ければ100円ショップにでも出かけて買ってこい。それを机の上か、枕元にでも置いて、朝起きたらまず鏡に映る自分の顔と五分間睨めっこをしろ。その間出来るだけまばたきをするな。いいか、五分だ』
『何故・・・・?』
『さっき言わなかったか?質問や疑問はなしだ。ところで、今何時に起きている?』
『ええと・・・朝の7時です』
『じゃ、明日から午前五時半に起床だ。顔を洗って歯を磨いたら30分、外をランニングしてこい。一日も休むな。雨が降ったらカッパを着て走れ。家に戻ったら、もう一度鏡とのにらめっこと、それから腕立て伏せをやる事。何回出来る?』
『十回位なら・・・・』
『よし、ならそれでいい。当面十回だ。腹筋も同じ数だけやれ。慣れてきたら少しづつ回数を伸ばす。そして学校が終わったら直ぐにここへ来い。返事は?』
『でも・・・・』
『”だって”と”でも”と”何故”は当分の間禁止だ。言われた通りにやるんだ!喧嘩に勝ちたいんだろ?もう一度聞く。返事は?』
『はい!』
『よろしい。では今日はもう帰っていい。ちゃんと飯を喰って、宿題でもやったら、とっとと寝ろ。明日は早いぞ。俺が見ていないからって、怠けたら承知せん。自分にウソをつくのは、一番の罪悪だ。分かったな』
彼は明らかに戸惑ってはいたが、しかし契約書に署名はしたんだ。
”とにかくやるしかない”そういう意思が見て取れた。
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