その16 『はじめての極限状況』

 目が隠れるほどに伸びた前髪。

 ここが異世界であることを認識させられる、非現実的な紫色のスーパーロングヘア。少々垢抜けない感じでそれが編み込まれ、ボテッと垂れ下がっている。

 こちらが目を合わせるだけで目線は泳ぎ、困り眉も相まって非常に気が弱そうに見える。


(こないだはナイスバディだけが目に飛び込んできたけど、なかなか特徴的なルックスだな……)


 なにより。


 その気弱そうな目とは反対に、唇はぷっくりと厚く、ピンク色のそれは瑞々しい光沢に包まれている。強烈にそこへ触れたい衝動に襲われるような、主張の強い唇だ。倫の大ファンだった女優――"岩原さとみ"に非常によく似ている。


 ジロジロと目線をやる倫に困惑し、少女は慌てふためき『み、見ないでください』とブンブン手を振った。


「リンくん、そんなにジロジロ見ちゃ失礼ですよ!」

「あっ……あぁ。すみません、つい」


 姿勢を正す。


「助けてくれてありがとうございました。僕は糸色 倫。こっちの子はウェスタ。こちらがベネネさん。僕は勇者としてウェスタに召喚されて、フキシオの町に行って帰ってくる途中だったんですが、急に町の人に襲われてわけもわからず……でも、どうして助けてくれたんです?」


 疑問がわく。彼女にとって、自分は覗き魔だったのではなかろうか。


「あ、わ、私……セレス――セレス・エリーニュ、です。……ゆ、勇者様の話は……あのあと町内で、話題になりましたので……」

「あぁ……」


 それもそうか、と納得する。


「……じゃあ、なんで今俺たちは追われたんだ? ジェガンさんはどうして斬りかかってきた……?」

「さぁ……」


 目を見合わせる3人。


「セレスさん、何か心当たりは?」


 ブンブンと首を振るセレス。


「そうか……あっ!」

「どうしました?」

「やべー。この家の主、ヤなおっさんだったじゃん。あっ、すみませんセレスさん。人の親御さんに向かって……」

「い、いえ……」

「あの人に見つかるとなんかよくないことになりそうな気がするんだよな……またとっ捕まえられて町長の前に引っ張り出されないか……」


 セレスは少し逡巡すると、『こっちに来てください』と倫の手を取り、家の中に入り、自室へと案内した。


 扉を閉め、『ふぅ』と一息つく。

 と、直後にコンコンと扉を叩く音。セレスはびくりと肩を震わせた。


「セレス、なにやらバタバタと騒がしい足音が聞こえたが、お前にしては珍しいな。どうかしたのか?」


(――あのおっさんだ!)


「い……いえ、お父様。なんでもありません」

「……本当か? 開けるぞ」

「!」


(隠れろ!)


 とっさに倫は扉の裏へ。ベネネはベッドの下に、最も線の細いウェスタはベッドに飛び込み布団をかぶった。


 ガチャリ、と扉が開く。


「……ふむ?」

「な……何か? お父様……」


 冷や汗がダラダラ出る倫。セレスの態度は露骨に怪しい。握った両手を胸の前に出し、目は相変わらず泳いでいる。


 父親はカツカツと部屋の中に立ち入り、キョロキョロと周囲を見渡す。


「何か……変な気がしたが、異常はない……か?」

「な、何も……ありませんったら……」


 父親の足がそのまま進み、ベッドの下に潜んでいるベネネの目の前で足が止まる。


「……何か……膨らんでおらんか?」

「!!」


 ビクリと震えるウェスタ。

 父親が手を伸ばし――もぎゅっ、と、尻のあたりを掴む。


「柔らかい何かが入っているようだが……?」


 そのまま揉みしだく。


(ヤロォォォ……ブッ殺すぞ髭ダルマ……!)


 倫は嫉妬の炎で焼死しかけた。


「あっ、ちょっと……さ、触らないでください……今日、お店で買ってきたぬいぐるみが入っています……」

「ぬいぐるみィ?」


 ジロリと布団を見る髭ダルマ。


「……まったく。お前も今年で15歳――聖役を迎える歳だというのに、お人形遊びはさっさと卒業しろ」

「はい……」


 髭ダルマは、それだけ言うと案外あっさりと引き下がった。

 入り口に立ち、振り返ってセレスに念を押す。


「こないだの覗き魔の件もある。くれぐれも注意するように」

「は、はい……」


(だから覗き魔じゃねーっつーの!)


 扉一枚隔てた向こう側で憤慨する倫。


「もう夜も更けておる。窓は閉めておけ」

「あ……」

「そういうところだぞ」

「は、はい……気を付けます……」


 そう言うと、今度こそ髭ダルマは部屋を去った。


「…………プハァ~っ」

「冷や汗ものでしたね……」


 ベネネがベッドの下から這い出てくる。倫はへなへなと床に座り込んだ。


「……ウェスタ~。大丈夫か~?」


 一人だけ反応がないので声をかける。


「……」


「ウェスタ?」


 布団をめくると、いたいけな少女は涙目で、耳まで真っ赤になっていた。


「ごめんなさい、リンくん……私、触られちゃいましたぁ……グスッ」

「な、なんで俺に謝るの……」


 ベネネがフォローに入り、頭を撫でる。


「まぁまぁ可哀そうに。悔しかったですねぇ。大丈夫、もう大丈夫ですよ~」

「う~……グスッ」

「ご、ごめんなさい……お父様が……」

「いえ、セレスさんのせいでは……」


 しばらくして、ウェスタも落ち着いてきた。

 頃合いを見計らい、改めて倫は問う。


「セレスさん。一体この町はどうなってるんです? 少なくとも、こないだは俺が勇者だってことがわかって覗き魔の疑いは晴れて拘束は解かれましたよね。でも今回は襲い掛かってこられた……一体何が起こってるんです?」

「…………」


 セレスの表情に陰りがさす。


 数秒、沈黙が場を支配したかと思うと――


 バン、と、突然扉が開いた。


「!!」

「やはりいたか……ネズミ共が!!」


 髭ダルマは数人の衛兵を連れてきていた。


(くっ……さっきは感づきながらも、逃がさないように知らないふりをして出て行ったってことかよ!)


「ゆ……勇者さま、こちらへっ」


 セレスが手招きする。窓だ。


(そうか、あのおっさん、だから窓を閉めとけって言ってたのか……! ウェスタがグズったおかげでまだ閉められてなくて助かったぜ!)


「えぇい、ままよっ!」


 倫は勢いよく二階の窓から飛び降りる。

 手招きされ、続いてベネネも飛び降りた。


 ドサッと庭に転がり込み、立ち上がって窓を見上げる。


「ウェスタ、来いっ!」


 …………来ない。


「ウェスタ!?」


 窓際にゆっくりと現れたのは――セレス。


「……セレスさん……!?」

「……勇者とニンフの排除、完了……お父様、褒めてくださいますか……?」

「クク、よくやったぞ、我が娘よ……」

「!!??」


 ガァン、と、後頭部を金属バットで殴られたような衝撃が脳内を襲った。


(しまっ――た――!!!!)


 あれほど念を押された『ウェスタと離れるな』の言葉。


(どうして信じてしまった……!?)


 とっさのことだったからつい誘導に従ってしまったというのもある。ベネネも同じだろう。

 だが何より、思い込んでしまっていたのだ。倫にとって強く魅力を感じた彼女はきっと、ユーノと同じく自分のニンフとなるべき運命的な女性だと。

 それが致命的な油断を招いた。


 追い打ちとばかりに背後にドシャ、と何かが倒れたような音がした。


(……いやな……予感が……)


「!!」


 振り向くと、ジェガンが剣に付いた血をピッ、と振り払うところだった。

 その足元には、血まみれのカヌール。


「カヌ――」


 安否を気にする暇すら与えてもらえない。庭を包囲するように、続々と兵士たちがやってくる。

 のっそりと、その後ろから町長――ジオドが現れた。

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