その2 『ドキドキ! 初・体・験』

 倫が母娘に背を向け、再び歩き出したとき――"それ"は起こった。


「きゃあああああっ!」


 静かな森の中、耳をつんざく少女の悲鳴。


 振り返ると、そこには――


 なんと、2本の木の間にみょーーーんと張り付く、ゲル状の生物の姿。そしてその中間には、ウェスタが捕らわれていた。


「た……たすけてぇぇぇぇっ!」

「ウェスタぁぁぁっ!!」


 取り乱す母親。


 高い位置からゲルがポタポタと滴り落ちてきて、倫のジーンズの裾にも付着する。

 と――


「……いっ!?」


 ジーンズの裾はジュウウ、と溶けてなくなった。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 慌てて後ずさり、ゲル状の生物の真下から離れる。

 その足元に母親がすがってくる。


「ゆ、勇者様、お願いですっ! 娘を……ウェスタを救ってください!!」

「そ、そう申されましても……あんなバケモノ、どうやって……てか、あんな高いところにいられちゃ俺には手出しもできないし……」


 そうこう言っているうちに、ウェスタの衣服が彼のものと同じように溶け始める。


「ま、まぁ大丈夫っしょ。これはあれか。いわゆる服だけ溶かすスライムってやつでしょ? 大丈夫、俺、あっち向いてますから」

「そういう問題じゃないんですっ!!」


 目をそらそうとした倫の顔を母親がグキッと向きなおさせる。


「あの魔物――スライムは、対象物を溶かすのに適した物質を分泌するんです。対象が獣であればまずは毛を溶かし、その後で皮膚を溶かします。服を着た人間であればまずは繊維を溶かし、その後で……」


 ――わりとシリアスな設定だった。


「お願いします、勇者様っ!!」


 母親は地面に額をこすりつけ、懇願してくる。

 その母親の肩を掴んで体を起こす。


「や……やめてください。そんなことされても、無理なものは無理なんです。だって俺、ついさっきまでは普通の学生だったんですよ? 人間とケンカしたことすらない俺が、魔物と戦うだなんて……それとも、召喚時に俺になんかチート的な能力でも授けてくれたっていうんですか?」

「ちーと……? それが何かはわかりませんが、勇者様であれば力があるはずです」

「だから、それがなんなのかをさっさと言わんかいっ!」

「は、はい。それは――」



 → * → * → * → * → * → * →



 地上十数メートル。捕らわれのウェスタは、いよいよ死を覚悟した。

 衣服は全て溶かしつくされ、それまで青色だったスライムはブクブクと泡立ちながら赤色へと変色しようとしている。


(あぁ……私、これから体、溶かされちゃうんだ……)


 いいようのない恐怖に襲われ、涙があふれてくる。

 その涙が零れ落ち――倫の頬ではじけた。


「やい、このバケモノっ!! こっちを見ろっ!!」


 スライムの真下へと躍り出た倫の背中には、翼が生えていた。



 ← * ← * ← * ← * ← * ← * ←



「聖翼?」

「はい。勇者様、あの子をよく見てください」


 促されるがまま、あられもない姿のウェスタを凝視する。


「う……母親に見守られながら、裸の娘さんを凝視するとかどんな罰ゲームです? 見てるこっちが恥ずかしいんですけど!」

「なにか……感じませんか?」

「な、何かって……?」


 確かに、腹の底から何かがムクムクと立ち昇ってくるのを感じる。


「お、お母さん、なんか、僕、体がヘンです……お、抑えられない……!!」

「抑える必要はないんです。解き放ってください、あなたの聖翼を!!」

「う……うあぁぁぁっ!!」



 → * → * → * → * → * → * →



「……で、翼が生えたはいいんだけど、これからどうするんですか、お母さん!」

「射聖です! あなたの聖子を、スライムに撃ち込んでくださいっ!!」

「は……はぁっ!? お母さん、あんたこの非常時になに言ってんスか!?」

「言い争っている暇はありません! はやくっ!!」


 母は悲鳴にも似た声で叫ぶ。

 たしかに、もう一刻の猶予もない。スライムは真っ赤に変色し、今にもウェスタの肌を焼きそうになっていた。


(えぇい、ままよっ!!)


 ベルトを外し、いそいそとジーンズを脱ぎ始める倫。


「なぜ脱ぐっ!?」

「え!?」


 母親から理不尽なツッコミが入り、脱ぎかけた手が止まる。


「だってあんた、スライムに俺のアレを撃ち込めって……」

「そうです、撃ち込むんです、こうやって!」


 母親は両手を組んで銃のような形を作り、バン、とジェスチャーをしてみせた。


「こ……こっちかぁぁーーーーー!!??」


 もはやわけがわからなくなりつつ、倫は母親と同じように手を組み――


「くらえ、バケモノォォォォッ!!!!」


 ドン、と光の弾が彼の指先から放たれた。


「ピギィィィィィッ!!」


 木に伸ばしていた体を撃ち抜かれたスライムは悲鳴を上げながらウェスタとともに落ちてくる。


「ウェスタっ!」


 すんでのところで母親が彼女を受け止める。

 一方倫は、ウェスタを見てはいなかった。片膝をつき、射撃体勢をとったままの彼の視線の先には――地面に落ちてバウンドするスライム。


「くたばれ」


 トドメの2発目。

 コアを撃ち抜かれたスライムは、体を構成する物質を保てなくなり、自壊していった。

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