第63話 62.夜なべして液の濁りを濾す係
なにもかもが透明になるこの時期に『濁り』というワードが回ってくるのも、思し召しかもしれない。
夏はポスターカラー。秋は透明水彩。その違いが顕著なのは「影」の部分だ。
影という暗部が透明になるのはこの時期だけで、僕はこの時期には自分も透き通ってしまうのではないかとの錯覚に襲われる。もちろん現実は逆で、この錯覚とは透明になりたいという願望を、濁りのない影に紛れることが難しいこの頃を恨みの裏返しなのだった。自首や密告など、心が折れるのはたいていこの時期だ。夏の疲れが出て、気が緩んで、涼しさに人恋しくなったりして、夏に糊塗されていた時間や記憶が澄み渡って露呈してきてしまう季節。それが秋だ。みるみる澄んでいく外界に、濁りそのものとして生きる我が身が惨めになって、観念してしまう。
だが、そういうのは、たいてい、カロリー不足なのである。かつて、内村プロデュースという番組で、内村さんが言っていた。
「たいていの悩みはサプリで解決できる」
精神も結局は化学で説明できる。僕は唯物論者だから、悩みとはすべて機械の不調や不調の兆しであるにすぎない。保守点検し修繕し交換し、耐用年数がくれば廃棄する。その意味で、唯物論者とは宿命論者でもある。なぜなら、機械には永らえることが可能な寿命があるからだ。肉体なら酸化という変化がその一因にあるし、テロメアとかいう寿命細胞が、かつてのソニータイマーのように組み込まれていたりする。
それが、何故か、誰の仕業か、などと考えると神秘主義に陥る。唯物論者は宿命を受け入れるが、神秘は拒絶する。だから、わたしは決して出頭しないし、不用意に出歩くこともしない。室内でも俳句はよめるからである。
濁りなき街の防犯カメラかな
文月のインクは水の濁りかな
濁り水八月の水道管を
立秋の目高の水の濁りける
秋晴れを蠢くものの濁りかな
濁りなき草葉の陰ゆ秋の声
UFO以外は濁り秋の空
行水の果はわづかの濁り水
秋雨の濁るは人の高さまで
秋時雨男の蹠(あふら)濁りだす
案山子から案山子へ濁り水流る
里山の光の濁り鳥威
藁塚の影の濁りは小さき靴
秋高し髄液の再び濁り
鳩吹の鳴らぬ子供の眼の濁り
桃の汁唇をかすかに濁り
おもむろに濁り水捨つ墓参
鹿の声みな濁りから産まれたの
流燈の照らす川面の濁りけり
濁りなきものばかりから成る蜻蛉
秋の蚊へ吾が濁り血をくれてやる
生身魂濁りなき物喰らう人
鶺鴒の尾の引きずりし水濁り
何もかも濁つてをりぬ秋の蠅
そして表題句
夜なべして液の濁りを濾す係
まだまだ終わりませんよ。
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