第5章 関東平野西部奪還編

第1話 娘と父の、表と裏の会話

 ・・1・・

 一一月一六日。

 一一月も半ばとなれば日本海側の防衛拠点の要となっている新潟では平年よりやや早い初雪を観測し、孝弘達がいる八王子周辺では最低気温が五度を切る日も出始め、冬の訪れを感じるようになっていた。

 日本が寒くなりつつある反面、前線で戦い続ける将兵達の士気は高く熱い。この日も八王子方面からさらに前進をしていた。

 前日が敵の攻勢ピークだったのか、はたまた八王子が基点となっていたからか、一六日の戦闘は一五日と比べて幾分か楽なようだった。新種のCT出現無し。エンザリア型CTの出現も数体程度。それとて仮対処方針が立てられたこともあり、初見に比べれば味方の損害も少なくなっていた。

 その結果、一六日の戦闘では八王子方面の部隊は日野駅周辺を確保し多摩川南岸近くまで確保。一部部隊は敵の数が少なかったあきる野市方面に進出することが出来ていた。

 八王子南部方面についてはさらに進出速度が早かった。前日までに八王子みなみ野を確保し、これを起点として神奈川県方面に進む。橋本を押さえ、相模原の手前まで前進出来ていた。

 今川中佐率いる西方特殊作戦大隊がいる小田原方面も順調だった。

 鴨宮・国府津方面を始点として二宮を越え平塚まで一挙に進出。海軍の艦砲射撃及びミサイル攻撃による火力飽和攻撃の効果は凄まじく、エンザリアCTを区画ごと吹き飛ばしていたり、大型CTを焼き払うなど見事な活躍を果たしていた。別働隊は秦野を確保し、次は伊勢原そして厚木を狙える位置にまで進んだのである。

 このように、八王子にせよ小田原にせよ帝国側の拠点を制圧し奪還した事で攻勢が一時的かもしれないにせよ弱まった好機を日本軍各部隊は見逃すことなく各都市を取り戻し、地図の赤色を青色に変えていっていたのである。

 戦果を着実に掴む中で、この日の夜、璃佳は自らの執務室でとある者とホログラム通信を始めようとしていた。



 ・・Φ・・

「お父様、久しぶり。璃佳です」


「久しぶりだな、璃佳。五体無事でやっているようで何よりだ」


「部隊は所々ヒヤリとさせられる時もありましたが、私はこの通りピンピンしていますよ」


「そうか。安心したよ」


 璃佳はホログラム通信に映る、五〇代末と老齢に差し掛かり始めているものの年齢を感じさせない厳格さを持つ男性に向けて微笑みを見せていた。男性の方も普段は威厳に満ちており近寄り難そうな外見だが、この時ばかりは柔和な面持ちになっていた。

 ホログラム通信に映っている男性とは、璃佳の父親。つまりは九条術士が一家、七条本家の長たる七条真之その人であった。

 九条術士は魔窟である。戦争が始まって派閥争いは随分と落ち着いたものの、にこやかに机上で話しながら机の下では言論的かつ精神的蹴り合いをするような魔法系旧華族の集団である。その中で七条家は一、二を争うような立場を確立しそれを発展させてきたのが真之なのだから末恐ろしい存在であるのだが、今目の前にいるのは次代当主を任せようと確信している愛娘。父親の顔つきになるのも無理はないと言えるだろう。

 とはいえ、真之は当主であり璃佳は佐官クラスの軍人だ。現況の話に入れば、職務に就く者の顔つきに変わる。


「前線については本家に届いていない軍機以外は話せますが、まずは後方の状況が知りたいです。本家のある井口はいかがですか?」


「この一ヶ月で戦況が好転した事もあるのか、市井の人々の顔つきは若干だが明るくなった。情報を絞っているから都合の良いモノが多いのもあるが、まあ悪くは無いな。ただ、食糧事情は少しずつ悪くなっている。今世紀初頭から食糧自給率改善の為に進めていた植物工場普及のお陰で野菜系は問題無しだが、北海道と東北の東半分が取られているのが厳しい。東北西部もとても農業は出来ん状況だろう。北陸が取られたら詰むだろうな。ああそうだ、小麦など酷いもんだぞ。肉類や果物類にしても、海路が生きているから全くダメという訳では無いが、輸入産物は原産国優先で絞られている。米国と遮断されたのも痛い。璃佳はこの点を知っているだろう?」


「はい、お父様。現時点で全品目平均食糧自給率は五六パーセントです。魔法科学系・魔法医療系の技術を代金にして過剰農産物を華北航路経由で中国から流してもらってやっと約七五パーセント。それとてそれなりの質と数の多さで維持している中国軍が戦況をどれだけ保っていられるかでいつまで持つかは分かりませんし、自国で何とかしないといけないでしょう」


「その通りだな。国も当然自覚はあるから必死で食糧増産をやっている。まあそれでも、このような状況は持って三年だろう。燃料が尽きれば植物工場も動かなくなる。さりとて軍需品も無視出来ん。魔法科学系も魔法医療系もそうだ」


「やはり芳しくはないですね。あと二年の期限は現実的ですか……」


「現場のお前には悪いが、来年になると上は焦り始めるぞ」


「存じております」


 璃佳は防音魔法を施しこの部屋に誰もいないからこそ大きなため息をつく。

 民間は真綿で首を締められるかの如く、来年以降にジワジワとダメージを受けていく。食糧が辛うじて行き渡っている内はいいが、それが途絶えれば暴動必須だ。いや、暴動が起きるならまだ元気な方で餓死者が大規模に発生したらもう終わりだ。国としての機能もその頃には停止しているだろう。ポストアポカリプス物のような世界となるだろう。


「井口以外の状況も似たようなものだな。臨時首都の大阪は井口よりやや元気だ。臨時首都の体裁を保つ必要があるからな。京都もほぼ同様。名古屋は日本の工業の要たる中京工業地帯を抱えているからまだ大丈夫だ。ここが機能不全に陥ると民生品だけでなく軍需品もかなり厳しくなるからだろう」


「工業地帯は問題ないでしょう。農業地帯も今や工業以上に生命線。北陸はその点で活気があるようで」


「一大穀倉地帯だからな。人口の割に軍も多めに配置されていると聞いている」


「ええ。後方戦力としては破格です。新潟にもしもがあればの備えでもありますし、そもそも新潟自体も穀倉地帯です」


「米が食えんのだけは避けたいものだよ」


「ええ、全く。話を変えますが、国の方はどうですか?」


「九条術士の方はいいのか?」


「いつかはその場に立たなければなりませんが、今は権力争いの話は結構ですよ。会話で胃もたれなんて勘弁です」


 璃佳は九条術士の話が出ると苦虫を潰したような顔つきになり、真之はくつくつと笑う。璃佳は権力争いというものがあまり得意ではない。やらない訳では無いし必要があれば取れうる手段を使いこなすが、出来れば関わりたくないというのが本音だ。

 対して真之はあの手この手を使って七条家と派閥の家を有利にし、必要となれば他家を陥れる。璃佳の祖父にあたる真智まさともと、今ホログラム通信の先にいる真之もそうして今の七条家は権力を持つようになったのだ。


「ははは。相変わらずだな。まあ九条術士については任せておけ。戦争が始まって多少はマシになっているし、敗戦イコール滅亡だ。今月に入って確信に至っている。大方だろう?」


「ええ、まあ」


 璃佳は父の口調から一昨日までの捕虜尋問記録が本家に届いているのを察する。恐らく政府筋から送られてきたのだろう。軍機抵触スレスレのライン――あくまで自分の推測という体で、政府筋情報の補足をしているから実際はアウトだが――で璃佳が送っているのもあるが。


「国の方だが、忙殺状態だ。首都東京を取られ、官僚のどれだけかが悲しい事になったのがまだ尾を引いている。一応立て直しはしたが、不安な要素が多い。魔法省も中々に混沌としているが、今月に入ってようやく機能を取り戻してきている。七条からも急遽人を送ったから多少マシになるはずだ。ああそれと、お前の上、国防省も背広組が苦労しているようだぞ」


「現場からも感じます。先程来年には話がありましたが、焦りはもう出始めていますよ」


「関東平野の全域奪還だな」


「はい。上から作戦要項は届いています。年末までに横浜、さいたま、千葉。当然東京も」


「出来そうか?」


 真之は率直に言った。娘は佐官クラスでそれも大佐。魔法軍でも独立行動が可能な数少ない特殊部隊の長だ。自ずと機密に触れる機会も多い。魔法軍も魔法軍で、七条本家次期当主筆頭のパイプは様々な便宜を図り図られる上で有意義とみなしており、佐官としては破格の将官クラス情報にすらアクセス出来るようにしている。それを見越しての発言だった。


「人とモノがあれば、とだけ」


「裏を返せば無いと不味いわけだな。分かった。八条MIH《魔法科学ホールディングス》の方に働きかけよう」


「助かります。魔法軍は他軍を守る壁役にもなってますから、損耗は避けたいので」


「補充も他軍より難しいからな。それと、例の四人の武装調達だが、宝物庫と七条魔法科学研究所からでいいな?」


 璃佳は孝弘達の専用武装の見繕いを本家に依頼していたのだが、どうやら本命の選定が終わったらしい。今使っている武器も決して悪くなくむしろかなりいいモノなのだが、心置き無く戦力を発揮してくれる為にはやや不足だと璃佳は感じていたのだ。

 璃佳はニコニコとしながら、


「彼らの希望に見合うモノのリストに一致しましたか」


「孝弘君のモノ以外は宝物庫から出せる。今使っているモノとは比較にならん国宝級だ。Sランクなら使いこなせるだろう」


「米原少佐のは、七条魔法科学研究所製ですね」


「所員には井口が万が一の際の避難先、家族の身辺保障、衣食住全面援助などの条件で依頼したら、「七条がダメなら日本はオシマイなのでお気になさらず。期間の関係で既存研究の応用品になりますが全力で取り組みます。試作品を作ろうとしてたので、すぐ出来ますよ」と言ってくれてな。本当に作ってのけた」


「あそこはそういうものだと思うことにしてます。良い意味で浮世離れした魔物の集まりですから」


「まあな。彼の専用武装データはまた送るが、魔法科学については素人の俺ですらとんでもない代物だとすぐ分かった。少々尖っているが、彼なら使いこなせるのだろう?」


「もちろん。何せ経験については私以上の戦地帰りですから」


「一面とはいえ、お前以上とは恐ろしいものだな。上手く使ってやってくれ」


「ええ。今回も色々とお世話になりありがとうございます。お父様」


「お前の笑顔が見られるのなら、安いもんさ」


 満面の笑みを浮かべる璃佳に対し、本当の彼を知らない者が見たら腰を抜かすような微笑みを真之はする。繰り返すが、家族として接する時の真之は璃佳に非常に甘い。弟の裕貴が「兄さんは璃佳に対して胸焼けするくらい甘い。子煩悩有り余る。それでも璃佳はいい子に育ったもんだよね。たまのワガママが怖いけど」と苦笑いするくらいには。


「俺からはこんなもんだ。お前から他に何か無いか?」


「いえ、大丈夫ですお父様。何かあればまたお話しますので」


「分かった。…………くれぐれも身体には気をつけるように。人は無敵ではない。戦争は人が等しく死ぬ。それはお前でも変わらん」


「肝に銘じておきます」


「うむ。では、また。俺が言えた義理じゃないが、煙草はそこそこに控えておけよ?」


「はーい、お父様」


 ちょっとだけしかめっ面をした璃佳は、それでも通信を切る直前には微笑んで父との通信を終えた。

 最前線にいるのだ。最期になるつもりはさらさらないが、もし最期になるならやはり愛する父には笑顔で会話を終えたいのは娘としての優しさなのだろう。

 父にはああ言ったものの、璃佳は通信を終えると煙草を箱から取り出して火をつける。

 紫煙を天井に流すように、ゆっくりと息を吐いた。


「最善は尽くすよ、お父様。今までも、これからも」

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