『男爵令嬢アネットの独白』 (そうだ、王子辞めよう!外伝)

にゃんパンダ

「悲運の男爵令嬢 アネットの独白」

 ここはランス王国にあるトゥリアーノン宮殿の地下牢の一室。


 鉄格子で閉ざされた、薄暗くジメジメとしたこの空間に、今新たな住人が増えたところだ。


 それは麗しき貴族の令嬢で、昨日まで皇太子マクシミリアンの横にいた人物。


 では一体何故、皇太子の横に並び立つような彼女が今、ここにいるのか?


 それは彼女が、あらゆる意味で王妃に『相応しい人物』ではなかったから。


 また、不正にその場所を本来いるべき女性『公爵令嬢セシル』から奪い取ろうとしたから。


 そして、それに失敗したから。


 その結果、彼女『男爵令嬢アネット』は今ここにいるのだ。


 では、今宵はその過程を本人の口から語って貰うとしよう。




 あん?何よ、アンタ達?


 え?アタシ?


 アタシはアネット=メルシエ。


 メルシエ男爵家の令嬢で、17歳。


 まあ、と言っても庶子だけど……。


 で、身体は割とナイスバディ。


 それに桃色の綺麗な髪に、男ウケする可愛らしい小さな顔。


 あと……『囚われの身』。


 そうやって言うと、拐われたお姫様みたいに聞こえるけど……。


 残念ながら悪事がバレて、逮捕されただけなのよ。


 我ながら馬鹿な事をしたものね……ぜったい最後にこうなる事は分かってたのに。


 そう、アタシはもうお終い。


 多分、縛り首。


 悲しいことに、アタシを助けに来てくれる王子様はいない。


 まあ、アタシには助けて貰う資格なんてないんだけどね。


 でも……まあ、ほんの少しだけでも良い夢見れたからいっかな。


 あ、そうだ!


 ちょうど暇だったからアンタ達、ちょっと昔話に付き合いなさいよ!


 え?ちょっとぐらい、いいじゃない。


 えーと、何処から話そうかな……じゃあ、初めから。




 まず、アタシはメルシエ男爵家の子供ではあるんだけど、庶子なの。


 女好きのメルシエ男爵に手を付けられた、美しいメイドの子供。


 お母さんはアタシを身籠もった後、お屋敷を辞めて街で暮らし始めたの。


 あ、でもアタシ達が邪魔になって追い出された挙句、極貧生活だったとか、そういう訳じゃないわよ?


 男爵は意外と寛容だったらしくて、お屋敷を出る時に、それなりのお金をくれたらしいの。


 だから、母子二人の暮らしとしては、そこそこだったと思う。


 この頃の私は、本当に幸せだった。


 お父さんはいなかったけど、お母さんはアタシを愛してくれたし、街の人達も優しかったし、友達だって沢山いた。


 毎日が楽しくて、幸せで、裕福ではないけど笑顔があって。


 アタシにとっては、かけがえのない日々だったわ。


 そして、当時のアタシは無邪気にそれが、ずっと続くものだと思ってた。


 でも、そうはならなかった。


 ある日突然、幸せな日常はあっさりと崩れ去ったの……余りも呆気なく。


 そう、8年前の疫病。


 アタシはこの疫病で全てを奪われた。


 そして、全てを狂わされた。


 ある日、突然発生した疫病が急激に広がったの。


 気がつくと大好きな街の人達が、みんないなくなってた。


 実は近所のおじさんやおばさん、遊び友達は次々と疫病に罹って、臨時の収容施設である近所のエリアーヌ修道院に運ばれていたの。


 そして、その殆どが二度と戻らなかった。


 アタシは大切な人達を、間近で見送ることすら出来なかった。


 そして、毎日を怯えと悲しみの中で、震えながら過ごした。


 次は自分の番なのではないのか、と。


 でも違った。


 次は……お母さんの番だった。


 ショックだった。


 子供ながらに何の根拠もなく、心の何処かで自分とお母さんだけは大丈夫だと……思っていたから。


 疫病に罹ったアタシのお母さんも、直ぐにエリアーヌ修道院に運ばれた。


 本当は隔離している訳だから、もう会えないんだけど、アタシはどうしてもお母さんに会いたかった。


 だから、修道院の治療の手伝いとして、アタシは上手く潜り込んだの。


 そして手伝いの合間にこっそりと、お母さんに会いにいったの。


 本当はダメなんだけど街の知り合いも働いていたし、アタシも頑張って働いてたから、修道院の人達もお目こぼしをしてくれたみたい。


 で、数日ぶりにお母さんと会えたんだけど……その時には驚くほど弱ってた。


 お母さんは粗末なベッドに力無く横たわっていた。


 その顔は青白く、目にも力が無かった。


 そして、アタシが会いに行った時、お母さんは手首から足元の桶に血を滴らせてた。


 これは悪い血を抜く為に、わざと身体を傷つけて血を流しているところだった。


 その姿にアタシは涙が止まらなかったわ。


 今思えば、何が何でもこれをやめさせるべきだった……。


 そうすれば助かる可能性もあったかもしれないのに……。


 後から知ったのだけど、このエリアーヌ修道院は特に保守的で、国からの瀉血(しゃけつ)禁止の命令を聞かずに続けていたの。


 皮肉なのは、このエリアーヌ修道院は決して私利私欲の為に瀉血を続けていた訳では無いということ。


 神の教えに忠実で、真摯に人を救いたいという思いがあるからこそ、昔からの方法に信頼を置いて、それを善意で続けていたの。


 現実って、残酷よね。


 善意が人を殺すなんて。


 それからお母さんは数日後に死んでしまった。


 最後の言葉は、


「アネット、あなたは生きて……幸せになってね……」


 だった。


 アタシはお母さんの亡骸にしがみついて、ひたすら泣くことしかできなかった。


 もう、そのまま死んでしまいたかった。


 お母さんも、街の皆んなも天国に行ってしまったアタシは独りぼっち。


 それならアタシも一緒に……。


 そう思ったアタシは、瀉血の為にそばに置いてあった剃刀に手を伸ばし、震える手で自分の首に押し当てた。

 

「皆んな、アタシも今行くからね……」


 そう呟くと、アタシは剃刀にゆっくりと力を入れて横に滑らせた。


 皮膚が切れる痛みに続いて、血が滴る感触が伝わってきた。


 怖くて中々、力が入らなかったけど覚悟を決めて一気にやろうと思った……その時だった。


「ダメだ!」


 鋭い叫びと共に、誰かに剃刀を持った手を掴まれた。


 反射的に声の主を見上げると、そこには……王子様がいた。


 金色の美しい髪、吸い込まれそうな碧い瞳、整った顔立ち、まさにお伽話の中の王子様そのものだったから。


 そんな王子様がアタシの手を掴み、真剣な目でこっちを見てた。


 アタシは非現実的な光景に、一瞬固まってしまったけど、我を取り戻して抵抗した。


「離してください!アタシはもう独りぼっち、お母さんやみんなのところへ行きたいの!」


 でも、そう言うアタシの願いを王子様は許してくれなかった。


「早まってはダメだ、君はまだ生きているんだ」


「嫌!離して!」


 王子様は抵抗するアタシから髪剃りを強引に取り上げてしまった。


 自分の手が傷つくことも厭わずに。


「あ、ああ……」


 そして、アタシはお母さんのところへ行けなくなった。


 そう思った瞬間、力が抜けて、ヘナヘナと座り込んでしまった。


 正直、もう何も考えられなかった……。


 王子様はそんなアタシの手を取って、真っ直ぐこっちを見てこう言ったの。


「生きてるってことは、生きなきゃダメなんだ。お母さんや他の人達の分まで……」


「……」

 

 アタシは何も答えることが出来なかった。


「それはとても辛いことだ、でもお母さんのことを思うのなら、生きなきゃダメなんだ!」


 王子様の碧い瞳が真っ直ぐアタシを見ていた。


「…………あっ!」


 アタシはその時、お母さんの最期の言葉を思い出したの。


「生きて幸せになって欲しい」


 という言葉を。


 アタシはなんて事をしようとしたのだろう。


 お母さんの最後の願いを、想いを、アタシの意志で踏みにじるところだったのだから。


 ああ、アタシはなんてバカなんだ、そう思った。


 そして死ななくても良いという安堵から、アタシはまた泣き出してしまった。


 しかも何を思ったか、目の前の王子様に縋り付いてしまった。


 またしても、我ながら何て事をしたのだろうかと思ってしまう。


 でも、王子様の反応は優しかった。


 普通ならこんな薄汚れた下町の子供に抱き着かれたら、乱暴に振り払うと思う。


 でも、付き添いの家臣がアタシを引き剥がしに来ようとしたのを手で制したの。


 そして、アタシなんかをそのまま優しく抱きしめてくれた。


「ありがとう、生きていてくれて。間に合ってよかった」


 だけど、その言葉を聞いてもアタシはどうしていいかわからなくて、また泣いてしまったわ。


 もう、訳がわからなくなっちゃったの。


 安心、悲しみ、絶望なんかが入り混じってぐちゃぐちゃ。


 そんなアタシに王子様は、今度は頭を優しく撫でながら言ったわ。


「君の気持ちは分かるよ、私も同じだから。私も……母上を亡くしたばかりだから……」


「え?貴方も?」


「ああ」


 王子様は寂しげに笑った。


「だったらなんで貴方はこんなところにいるの?悲しくないの?辛くないの?」


 アタシは愚かにも思い付いた疑問を、そのまま口に出してしまった。


 相手の気持ちも考えずに……。


「勿論、辛くて悲しいけど、だからこそ同じ思いをする人を減らしたいんだ。だから、此処にいる。だから……君を助けることが出来たんだよ」


 でも、王子様はそんな問いに嫌な顔一つせずに答えてくれた。


「いや、違うな。君だけしか救えなかった。君のお母さんや街の人達を一人でも多く救いたかったんだ……だが……ダメだった。間に合わなかった。本当に済まない」


 そこで、王子様の手に力がこもるのがわかった。


 そして、その美しい目には薄らと涙が浮かんでいた。


 アタシは黙って話を聞くしかできなかった。


 そして、まだ王子様の独白は続いた。


「私に力が無かった所為だ……もっと早く行動出来れば君のお母さんや、街の人達が助かったかもしれないのに」


 当時のアタシにはよく分からなかったけど、取り敢えず王子様が一生懸命にアタシ達のことを考えてくれていたことは分かった。


 アタシはそれが嬉しかった。


「本当にすまない。私が無力で……無能なばっかりに……」


 そして最後に王子様はそう言ってアタシに謝り、独白は終わった。


 何か言わなきゃいけないと思ったけど言えたのは、


「王子様、ありがとうございました。アタシも……みんなもきっと感謝しています。だから王子様も頑張って下さい!」


 こんなくだらない台詞。


 全く、頭の悪い子供だったわ。


「ありがとう」


 王子様は優しく微笑み、一言そういうと帰って行った。


 こうしてアタシはもう少しだけ生きてみようと思ったの。


 因みに、よく分からなかった事は後から大人達に聞いてみた。


 そしたら、あの王子様に纏わる噂を教えてくれて、全部分かったの。


 王子様は悪くなくて、むしろ一人でも多くの人達を救う為に戦っていた英雄なんだって知った。


 どうにもならない疫病を何とかしようと、一人で過酷な戦いをしていたんだと。


 アタシはそんな王子様に憧れた。


 あと、恋もした。


 でも、自分では気付かない振りをしたけど。


 余りにも身分が違いすぎるし、叶わない恋なんて考えたら辛いから……。


 と、まあ、これがアタシと皇太子マクシミリアン様の出会い。


 その出会いと王子様の言葉で、もう少し頑張って生きてみようと思ったアタシだったけど……ここから待ってたのは地獄だった。


 正直、ここから先は気持ちのいい話じゃないから、あんまり話したくはないんだけど……。




 お母さんが死んで、身寄りの無いアタシは孤児院に引き取られることになった。


 それがエリザベート孤児院。


 そこでの暮らしは酷いものだったわ。


 薄暗くジメジメした汚い部屋での集団生活。


 食事は一日二回、パン一個とお湯同然のスープだけ。


 パンは黒くて硬く、中はスカスカで混ぜ物だらけという酷い状態。


 しかも、たまに小石まで混ざっているような代物。


 だから、いつもみんなお腹を空かせて水でお腹を膨らませていたし、施設は不衛生でノミやシラミが沢山いた。


 尚悪いのが、職員の大半がロクでもない連中だったこと。


 奴らは横暴で、理不尽に暴力を振るったし、年長の女の子の孤児が何人も別室に連れて行かれる所を見たわ。


 そんな環境だったから逃げ出したり、自ら命を断つ子も珍しくなかった。


 まさに地獄。


 普通はここでなんでそんなことになってるのに国は動かないのか?って思うでしょ?


 答えは簡単、そんな余裕がないから。


 正確にはお金がないから。


 この時期、アタシと同じような境遇の子供が山のようにいて、施設はパンパンだったし、国からの予算も十分ではなかったからね。


 簡単なことなのよ。


 社会全体が弱った時に、真っ先に切り捨てられるのはアタシ達のような弱者ってこと。


 まあ、国全体があんな状況で経済はガタガタだったし、税収が落ち込んでる中で、さらに疫病対策に予算を割かなければならない状況だったから、仕方なかったのかもしれないけど……。


 せめてもの救いは院長と、何人かの職員はまともな人だったことかな。


 特に院長は自分のお給料まで孤児院の維持費に使うぐらい良い人だったから、それだけは救いだった。


 でも、それだけ。


 そんな良い人でも、予算の少なさが原因で食べ物と職員の質の問題はどうしようもなかった。


 アタシはそんな中で、周りの子供達と身を寄せ合いながら、必死に生きていた。


 ただひたすら耐える日々だったわ。


 王子様の言葉を支えにして。


 でも、暫くして限界が来た。


 それは突然のことだった。


 ある日、アタシは特に素行が悪くて有名な男の職員に、別室に連れて行かれて……汚された。


 アタシは他の子より少し発育が良かったから、目を付けられていたんだと思う。


 少し前から嫌らしい視線を感じていたし。


 まあ、詳しくは言わないけど、兎に角そこでアタシの身体は汚れて……同時に心は壊れてしまったの。


 すべて、終わってしまったから。


 アタシの細やか希望が潰えたから。


 いつか、どこかでまた王子様に会って、声を掛けて欲しかった。


 頭を撫でて欲しかった。


 抱きしめて欲しかった。


 キスを、そして……。


 すべてはあり得ないバカな妄想。


 でも、そんなバカげた妄想でも生きる為の希望になっていた。


 こんな地獄でもやってこられたのは、そのお陰だ。


 唯一の心の支えだった。


 でも、それすらも無くなってしまった。


 汚れた身体のアタシはもう、王子様には会えないし、会っちゃいけない。


 そんな資格はなくなってしまったから……。


 それからアタシは変わった。


 それまでは孤児院という酷い場所でも、お母さんと王子様の言葉の通り生きる為に頑張ってきた。


 規則を守り、周り子達の面倒を見ながら必死で生きてきた。


 でも、結果はこれ。


 神様を呪った。


 いや、そんなものはいないと分かった。


 分からされた。


 思い知らされた。


 だからアタシは……絶望と悲しみの中で変わったの。


 何かが壊れ、変わってしまったアタシはもうなりふり構わないことにした。


 アタシはその日の夜には孤児院を抜け出して、夜の街へ出かけた。


 と言ってもいきなり体を売ったりした訳じゃないわよ?


 何も分からないし、凄く怖かったし……。


 最初は運良く見つかった酒場の皿洗いや雑用の仕事を始めたの。


 お給金は安かったし大変だったけど、賄いや余り物を分けてくれたりして、ありがたい職場だったわ。


 そして仕事を始めてから一月後に、アタシは貯めたお金で食べ物を買えるだけ買って帰った。


 ああ、これは余談なんだけど、この時買った白パンの味は今でも忘れないわ。


 混ぜ物無しの真っ白な外観、香ばしい小麦の香り、豊潤で濃厚なバターの風味、モチモチの食感……。


 あれは人生で一番美味しかったわ。


 ああ、死ぬ前にもう一度食べたかった!


 この牢屋で出されるのは孤児院時代を思い出す、石みたいな黒パンだし。


 おっと、これは失礼。


 アタシは買い込んだ食べ物を持ち帰って孤児院のみんなと、こっそり分け合って食べたわ。


 みんなで涙を流しながら食べた。


 アタシに感謝してみんながお礼を言ってくれた。


 人に感謝して貰うのは久しぶりで、凄く嬉しかったわ。


 それに初めて見た、仲間の子達の心からの笑顔。


 それを見て、もっと頑張らなきゃって思ったの。


 こんなアタシでも、まだ出来る事があるんだって。


 でも、今思えばこれが良くなかったのかもしれない。


 ここからアタシは更に変わっていく。


 仲間の為という理由ができた事で、アタシの行動はどんどんエスカレートする事になったの。


 仲間の為だからと言って仕事の時間を増やした。


 もっと食べ物が買えるようになって、みんな更に喜んでくれた。


 暫くして、アタシは酒場の接客もするようになった。


 最初は酔っ払った下品な男達の相手なんか嫌だったけど、お金の為に頑張った。


 単純に雑用よりも給金が良いだけでなく、客からチップが貰えるの。


 最初は全然うまく稼げなかったけど、先輩に少しで良いから客の前で笑ってみろ、と言われてそうしたら驚いた。


 それまでほとんど貰えなかったチップを簡単に貰えたの。


 そして、その日だけでこれまでの雑用の仕事での稼ぎ一週間分を一日で稼ぎ出した。


 アタシは気づいた。


 お母さん譲りのこの顔と作り笑顔、それに猫撫で声があれば、沢山稼げることに。


 仕事を終えて、アタシはいつも以上に食べ物を買って帰り、またみんなを喜ばせた。


 アタシは思った。


 お金があればみんな笑顔になれる。


 もっと、頑張らなきゃって。


 だから、更にアタシは変わっていった。


 接客は手慣れていき、色んな手練手管を覚えた。


 どうすれば男達がお金を落とすのかがわかってきたの。


 作り笑顔は更に上手く、服は露出が多くて煽情的なものになった。


 酔っ払いに少しぐらい身体を触られても気にしなくなって、むしろ自分から触らせるような事までして、上手くお金を稼いだ。


 流石に安く身体を売るような事はしなかったけど、いつの間にか大金を積んだ客とは寝るようになった。


 いつしかそんな事に慣れてしまった自分がいた。


 仲間達の為に仕方ないと、自分に言い訳しながら。


 暫くそんな状態が続いて、アタシは気が付けば酒場で一番稼げる女になってた。


 収入も良い額で安定してきて、そろそろ孤児院を出て外で暮らそうか、などと考えていた頃だったわ。


 いつものように酒場で接客をしていると、不意に声を掛けられたの。


 凄く身なりのいい、金を持っていそうな男に。


 中年ぐらいのおじさんで、商人ぽい感じの。


 それは実際当たってて、後で少し時間をくれないか、っていう話だったわ。


 金払いが良さそうだったし、アタシは承諾した。


 仕事の後、指定された高級な宿屋に出向いた。


 そこで一通り行為を済ませた後、アタシはよほど気に入られたのか、男にある提案をされたの。

 

 それは『男の愛人にならないか』というものだった。


 正直、最初は気乗りしなかったけど、一応条件を聞いてみると余りの待遇の良さに、二つ返事で即答してしまった。


 男との愛人契約の内容はこう。


 アタシが男のものになる代わりに、支度金、毎月の契約金、家、そして孤児院への援助を得られるというものだった。


 まあ、孤児院の話をだされた時点で、アタシに選択肢は無いも同然だったけどね。


 アタシがお金を入れていたとはいえ、まだまだ酷い有様だったし、男が提示した額はかなりの額だったから。


 まあ、孤児院への寄付は社会的なイメージアップなんかで商売にもプラスになるからっていう理由もあるみたいだったけどね。


 契約を済ませた後、数日後には酒場の仕事を辞めて、新しい家に移ることになったわ。


 アタシは最後の挨拶の為に、男から貰った最初のお金を持ってエリザベート孤児院の院長室に行った。


 そこでアタシは孤児院を出ること、これからはお金の心配はしなくていいことを伝えて、悪い職員達を解雇して欲しいと頼んだ。


 院長である中年の女性は、泣きながらアタシにお礼を言い、そして謝った。


 何度も何度も、謝った。


 アタシはこれまで詳しいことを話してなかったんだけど、院長は大体のことは察しがついていたんだと思う。


 だけど敢えて何も言わなかった、いや言えなかったんだと思う。


 毎晩抜け出して、朝方に夜の街独特の匂いを付けて帰って来るような生活をして、何年もバレない方がおかしいのよ。


 恐らく、他の職員達にも見て見ぬフリをさせていたんだと思う。


 本当、院長には感謝だ。


 だけど、謝らないで欲しかった。


 自分で決めたことだし、後悔はしないつもりだったから。


 そして、押し殺している惨めな気持ちが湧いてきそうだったから。


 その後、悲しむ子供達に別れを告げて、孤児院を後にした。


 そして、新しい家に帰ろうとした時だった。


 ついでに昼食でも買って帰ろうかと路地にから通りに出たところで、人だかりに遭遇した。


 何となく気になったアタシは、近くにいた人にこれは何かと訪ねてみた。


 すると帰ってきた答えはなんと、この国の第一王子マクシミリアン様の婚約発表と、国民へのお披露目があるというの。


 王子様の婚約発表とお披露目の話を聞いたアタシは一瞬だけ驚いたけど、そんなに動揺はしなかったわ。


 元々、実現不可能な恋だったし、憧れの王子様が幸せになってくれるのならアタシは嬉しかった。


 素直に祝福するつもりだった。


 あと、これでけじめをつけて、もう王子様のことは忘れようとも思った。


 でも、実際にこの目で幸せそうな王子様達の姿を、特にその婚約者である公爵令嬢を見たら……素直に祝福することなんて出来なくなってしまったの。


 それどころか、急激に心の奥底からドロドロしたドス黒いものが大量に湧き上がって来た。


 今までアタシが押し殺してきたものが、気付かない振りをして来たものが、一気に溢れ出してきたの。


 ありとあらゆる、負の感情が。


 もう、抑えられなかった。


 あの幸せそうな公爵令嬢が許せなかった。


 王子様の横に立つのに相応しい美しい容姿、名門公爵家の令嬢という肩書、恵まれた環境、そして…あの幸せそうな顔!


 それに比べてアタシは……。


 あの女を見れば見る程、あの女のことを考えれば考える程、アタシは惨めになった。


 アタシはこんなに酷い環境の中で、人生を必死に生きてきたのに!


 他人の為に自分が汚れる事だって厭わなかったのに!


 なのに!どうして!どうしてあの女なの!?


 あの女は全てを持っている癖に、王子様まで持っていくなんて!


 アタシはそんなこと絶対に許せなかった。


 そして、憎んだ。


 その『セシル』という名前の公爵令嬢を、憎悪の炎で燃やし尽くさんばかりに。


 ……と、いっても当時のアタシは所詮、商人の愛人。


 何にも出来なかったけど。


 でもね、神様って本当に気まぐれなの。


 半年後には転機が訪れた。




 アタシが商人の愛人になってからの半年間は、まあまあ順調な生活だった。


 特に大きなトラブルもなく、アタシは割と贅沢な生活が出来たし、孤児院の皆も改善された良い環境で生活できてたし。


 でも、突然危機が訪れた。


 なんと、いきなり心臓の発作か何かで商人の男が死んだのよ。


 これには流石のアタシも困った。


 アタシだけなら結構お金は貯めてあったし、家や宝石なんかのプレゼントを売れば、当面は多少の贅沢をしながら暮らしても大丈夫なぐらいだったんだけど……。


 問題はエリザベート孤児院への援助が無くなることだった。


 これを考えるとアタシのお金だけでは、早々に足りなくなってしまうの。


 正直、本気で娼館に就職して客を取ろうかと考えた程だったわ。


 そして、そんなことを考えながら頭を抱えていた時、不意にドアからノックの音が聞こえてきた。


 来客?アタシに?


 珍しい事もあるものね、とか思いながらドアを開けると、そこにはお仕着せをきた使用人風の壮年の男が立っていた。


 そして、男は恭しくこう名乗った。


「お初にお目に掛かります。私はメルシエ男爵家の使いの者で、ジェロームと申します。アネットお嬢様をお迎えにあがりました」


「は?お嬢様?」


 メルシエ男爵家?お嬢様?


 アタシは意味がわからなかった。


 今更、何の用だろう?


 悪い冗談なら勘弁して貰えないだろうか。


 こっちは割とピンチなのに。


「左様でございます。アネット様は紛れもなく男爵様のご息女ですから」


 穏やかな笑顔で答えるジェローム。


 まあ、一応メルシエ男爵家の娘ではあるけど……正直、今この瞬間までは久しく忘れていたわ。


 貴族の血を引いていたって、お腹は膨れないしね。


「で、用件は?アタシ忙しいんだけど」

 

「申し訳ありませんが、それは旦那様が直接お話される事ですので、私はお答え出来かねます」


 取り敢えず用件を聞こうとしたけど、はぐらかされてしまった。


「……」 

 

 ああ、もうウザいわね。


 これは行くというまで話が進まないパターンだわ。


 仕方ないか。


「わかったわ、行けばいいんでしょ?」


「はい、ではこちらに」


 ご丁寧に、馬車が玄関の横で待ってた。


 面倒いなぁ。


 それからアタシはやる事も無く、ぼんやりと流れていく景色を眺めながら約三十分ほど馬車に揺られた後、郊外にあるメルシエ男爵家の屋敷に着いた。


 初めて来たメルシエ屋敷の印象は、広大な敷地に装飾過剰な品の無い屋敷、だった。


 遠くから見えた時は爵位に反して大きなものだなぁ、ぐらいだったけど、いざ近づくとザ成金て感じだったわ。


 メルシエ家は貴族というより、商家という側面が強いから仕方ないのかもしれないけど。


 で、アタシはその成金屋敷の客間に通されて、初めて自分の父親と会ったの。


 どんな奴かと思ったけど、中年のでっぷりと太った小男だった。


 アタシは今更、父親なんて言われても特に何も思わなかったし、向こうも同じみたいだったわ。


 特に愛情があるとか、家族とかそんな感じはお互い無かったし。


 上手く言えないけど、雰囲気は商談の為に向かい合ってるような感じ?


 で、早速話に入ったんだけど、内容はこうだった。


 結論から言うと、このまま行くと跡継ぎがいなくて家が絶えてしまうから、アタシを男爵家に戻して婿養子を取らせて何とかしたいらしい。


 因みに現在メルシエ男爵家に後継がいないのは、大勢の子供達は疫病などで皆早逝して全滅してしまい、更に運悪く遠縁ですら適当な子供がいないのだとか。


 そこで唯一生きている可能性があったアタシを探し出したという訳。


 あと、今回の件の為にアタシのことは調べ上げられていて、当然夜の街で働いていた事も知ってた。


 まあ、商人の男に囲われていた家を知ってて迎えに来てるんだから当たり前だけど。


 で、男爵は(今更父親とは思えないから男爵と呼ぶわ)アタシに取引を持ち掛けてきた。


 今回男爵がアタシに求めてきた事は、まずメルシエ家に戻って貴族としての教育を受けること。


 そして、社交界にデビューして、良い条件の婿養子候補を見つけてくること。


 例えば、歴史ある名門貴族の次男、三男とか、王家に連なる血筋の貴族とか、そんな感じ。


 そして、上手く結婚に漕ぎ着けて、跡継ぎを生むこと。


 だってさ。


 アタシに見返りとして提示されたのが、これまた贅沢な暮らしと孤児院への援助。


 毎度のことだけど、ここを突かれるとアタシは弱いのよね……。


 まあ、アタシには今回も選択肢は無いから素直に承諾したわ。


 そこから暫くは、とりたてて言うほどのことはなかったわ。


 メルシエ家に引き取られてからの生活は、ひたすら大勢の家庭教師達に貴族の令嬢としての教育を受ける毎日だった。


 めんどくさかったけど仕方ないし、必要なことだから何とか頑張ったわ。


 でも、もう勉強は嫌。


 あの日々を思い出したくないわ……。


 あと、意外だったのが使用人達のアタシに対する態度だった。


 こんな下町育ちの何の教養も無いアタシに、しかもあの傲慢な男爵の血を引く娘に、皆びっくりするぐらい良くしてくれたの。


 不思議に思って使用人の一人に聞いてみたら、お母さんがここで働いていた時に、皆助けて貰ったり、仲が良かったりしたから、なんだって。


 加えてお母さんは気立てが良くて、更に面倒見もいい美人さんだったらしくて、家中のみんなに人気があったんだってさ。


 だから、お母さんに良く似たアタシを可愛がってくれたみたい。


 まあ、アタシの境遇も聞いてたみたいだし、不便に思ったのもあったみたいだけど。


 だから、ここでの生活そのものは、そんなに嫌じゃ無かった。


 そんな感じで気が付けば半年ぐらいたってた。


 で、ある日男爵があるパーティーの招待状を持ってきたの。


 そう、アタシが王子様と再会する事になったあのパーティー。




 アタシが呼ばれたこのパーティーは、本当はメルシエ男爵家みたいな低い家柄の人間は呼ばれないらしいんだけど、男爵がコネとお金でねじ込んだらしいわ。


 正直、行きたくなかった。


 行ってもロクな扱いはされないし。


 社交界でのアタシの扱いは酷かったから。


 ただでさえ成金男爵家の娘なのに、更に庶子で最近まで下町で暮らしていたんだから当然だけど。


 中でも高位貴族は特に冷たかったわ。


 溶け込む為にどんなに努力しようが、無駄なんだって早々に理解した。


 ここは血筋と家柄が全てなんだって。


 社交界とはそういう場所なんだって。


 と、いうことでアタシはパーティーには出席したけど、早々に壁の花になることにしたの。


 似たような立場の新興や成金なんかの弱小貴族の子達と一緒に大人しくね。


 そしたら、急に会場が騒がしくなったの。


 何事かと思って近くの給仕に聞いてみたら、なんと王子様が急に参加することになったっていうじゃない。


 周りの子達は滅多に見られない王子様が見られるって喜んでたけど、アタシの心は複雑だった。


 久しぶりに王子様を間近で見られて凄く嬉しい反面、この間の婚約のお披露目での嫉妬や憎悪を思い出してしまうから。


 そして……何より汚れてしまった自分が惨めだったから。


 それに汚れてしまったアタシはもう、王子様に会う資格はない。


 だから、王子様が来ても出来るだけ見ないようにしようと決めて、顔を背けていたの。


 でも、ダメだった。


 少しして会場が更にざわつき、そして王子様が入ってきた。


 アタシはそちらを見ないようにしたけど、彼が視界の端に入ってしまったらもう、目を背けてはいられなくなった。


 視線を向け、はっきりと目に王子様が映った瞬間アタシは動けなくなり、次いで感極まって泣いてしまった。


 そこにはこの数年で、立派に成長した王子様がいたわ。


 初めて会ってから今日までの色々な想いが溢れてきた。


 涙が止まらなかった。


 と、ここで更に驚きの事態が起こった。


 完全に思考停止していたアタシは気付かなかったんだけど、王子様一行が近くに来ていたの。


 そして、なんと王子様が泣いているアタシを見て声を掛けてくれたの。


「君、泣いているようだが、どうかしたのかい?」


 王子様は心配そうにこちらを見ながらそう言ったわ。


 正直、この瞬間嬉し過ぎてもう死んでもいいと本気で思ったわ。


「い、いえ、その、あの……」


 だけどバカなアタシはテンパって、上手く返事が出来なかったのよね……。


 それでも王子様は相変わらず優しかった。


「落ち着いて」


「は、はい、殿下。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした!」


「いや、気にしなくていい」


「はうっ」


 益々イケメンになった王子様の笑顔は破壊力抜群で、思わず意識が飛びかけたわ。


「それで、どうして泣いていたんだい?」


「はい、実は……殿下のお姿を拝見したら涙が止まらなくなってしまって……」


「私を見て?」


「はい、実は私は以前、殿下に命をお救い頂いたことがありまして」


 もしかして思い出してくれたのかな、なんて淡い期待を抱きながらアタシは答えた。


「なるほど、そう言うことか」


「はい」


「そうか……だが、すまないな。私は君の事を、いや昔のことを覚えていないんだ」


 残念ながら現実は甘くはなかった。


 でも済まなそうな顔の王子様も良かったからオッケーよ!


「左様でございますか……」


 だから、取り敢えずアタシはしおらしくしておいた。


「だが、これも何かの縁だ。良かったらそのうち私を訪ねて来なさい……えーと、君名前は?」


 え!?マジ!?ホントにいいの!?って、社交辞令よね……。


「はい。私はメルシエ男爵家の娘、アネット・メルシエと申します」


「そうかアネット。私の所為で泣かせてしまい、済まなかったね」


「いいえ、そんな……」


「これを使ってくれ。その可愛い顔に涙は似合わないからね。では、また」


 そう言って王子様はアタシにハンカチを渡して去って行った。


 ああ、めちゃくちゃクサい台詞だけど、イケメンが言うと違うわぁ。


 嬉しすぎて死にそう。


 人生で最高の瞬間だったかもしれない。


 あとハンカチは家宝にしよう!……いや、返しに行くことを口実に会いに行く方が賢いかな。


 まあ、それは後で考えよう。


 アタシのことを覚えていなかったのは残念だけど、所詮平民の一人だったし仕方ないわよね。


 と、そのぐらいに思ってたんだけど実は違ったのよね。


 隣にいた娘が教えてくれたんだけど、王子様は事故で昔の記憶が無いらしいの。


 だがらアタシのことも覚えていなくて当然だった訳。


 それを聞いたアタシはちょっと安心しちゃった。


 どうでもいい存在だから忘れられてた訳じゃなかったから。


 あと、もう一つ合点がいったことがあったの。


 それは違和感。


 嬉しすぎて途中まで気づかなかったんだけど、なんて言うか……上手く表現出来ないんだけど、何か王子様に違和感があったのよ。


 見た目は同じ、というか寧ろ成長して更にイケメンになってたけど、オーラがない……みたいな感じ?だったの。


 でも、これで納得。


 ま、アタシ的にはそれでもいいけどね!


 久しぶりに心から幸せな気分だったし。


 こんな気分、一体いつぶりだろう。


 そんなことを考えていると、不意に声を掛けられた。


「そこの貴方、少し宜しいかしら?」

 

「あ、はい……」


 返事をしつつ、そちらに振り向くと……そこには一人の令嬢がいた。


 アタシには、すぐにそれが誰だか分かった。


 そいつはアタシが世界で一番嫌いな女だった。


 セシル=スービーズ。


 名門公爵家の一人娘で、『ランスの白百合』と呼ばれる美貌を持ち、そして……王子様の婚約者。


 全てを持っている女。


 そんな奴が、一体アタシなんかに何の用だ!?


「初めまして。私、スービーズ公爵家の娘、セシルと申します。貴方は?」


 そんなこと知ってる!と叫びたくなるのを我慢しつつ、アタシも名乗る。


「はい、お初にお目にかかりますセシル様。私はメルシエ男爵家の娘、アネットと申します」


「そう、アネットと言うのね。ではアネット」


 馴れ馴れしくアタシを呼ぶな小娘が!


「はい」


「先程、殿下に声を掛けられていたようですが」


 うわー、嫉妬かな?これは陰険な嫌がらせが始まりそうね……。


「はい」


「あれではいけません。淑女として礼儀、作法がなっていません。日頃からもっと勉強しておきなさい」


 と、思ったら何か違う感じ?


「は、はい。申し訳ありませんでした!」


 取り敢えず下手に出ておこう。


「別に貴方を責めている訳ではないのですよ?私はむしろ貴方の為に言っているのです。ああいった部分を疎かにすると、この世界では厳しい目で見られますから」


「はい、心得ました」


「見たところ社交界での日が浅いようですが、これからこの世界で生きていかなければならないのですから精進なさいね?」


 あ、あれ、なんかアドバイスくれた?


「はい」


「宜しい。では私はこれで」


「はい」


「あ、アネット。これも何かの縁です。何かあれば遠慮なく私に相談して下さいね。では、ご機嫌よう」


 そう言い残すとセシルは優しく微笑み、殿下の元へ向かった。


「はい、ありがとうございます。セシル様」


 そう言ってアタシは深々と頭を下げた。


 必死で、感情を顔に出さないように取り繕いながら。


 ああ、ムカつく。


 他の高位貴族の娘達と違って本心から善意で言っているのが分かるのが、余計に勘に触る。


 アタシにはセシルの清く美しい心が眩し過ぎるのだ。


 ……ああ、そうか、だがらアタシはコイツが余計に嫌いなんだ。


 見てるとイライラするんだ。


 そして、アタシは思った。


 王子様の言葉で頑張って生きてきたのに。


 人の為に汚れたのに。


 それなのにアタシはなんで、なんで我慢しなきゃいけないの!?


 そんなのおかしいでしょ!?


 絶対おかしい!


 この女に復讐してやる!


 地獄を味わせてやる!


 アタシはセシルを地獄に落とすことを決めた。


 正確には、一番大切なものを奪ってやることに決めた。


 そう、王子様だ。


 絶対に王子様をあの女から奪い取って絶望のどん底に突き落としてやるわ!


 そして、アタシは動き出した。


 まあ、ここからはあんた達も大体想像がつくと思うけど……。


 まずアタシは王子様の言葉を鵜呑みにした振りをして本当に会いに行ったの。


 これはちょっと賭けだったけど、上手くいったわ。


 そしたら快く迎え入れてくれて、楽しくお話し出来た。


 そしたら是非また来て欲しいと言われた。


 こうなればもうアタシの勝ち。


 今度は今まで培った手練手管を使って取り巻き達を籠絡した。


 百戦錬磨のアタシに掛かれば、高位貴族のボンボン達を虜にするなんて簡単だったわ。


 ちょっと身体の接触を増やして、甘い声で囁いて、胸元を少し目せればそれだけで後は……。


 全く、バカな奴らだったわ。


 でも、流石に王子様にはそんなことしなかったわ。


 正直なところ、アタシが本気で強引に迫れば間違いなく本懐を遂げられた。


 でも、アタシにとって憧れの王子様は綺麗なままでいて欲しかったから、そんなこと出来なかったの。


 それに王子様はチャンスがあっても他の男と違って、迫って来たりしなかったし。


 そこは嬉しかったな。


 やっぱりアタシの王子様は他の男共とは違うんだって思えて。


 でも、一回我慢出来なくなってほっぺにキスだけしちゃった☆


 た、多分、セーフ!


 こうして王子様とその取り巻き達のグループに入り込んだアタシは、どんどんセシルを貶めていく。


 最初はなんでもないような小さな話をでっち上げたり、セシルが親切で色々と教えようとしてくる場面を虐めだと誇張したりした。


 少しづつ男達にあの女への不信感が増していく。


 更にアタシは自らの立場を盤石にする為に、今度は第二王子フィリップ様に近づいた。


 この人も落すのは簡単だった。


 しかも、セシルの事が死ぬほど嫌いだと言ったら、なんと自分からセシルを貶める為の偽の証拠をくれた。


 なんでもフィリップ様は第一王子が死ぬほど嫌いで、セシルの事は昔から好きだから奪ってやりたいんだってさ。


 つまり、利害の一致って訳よ。


 ま、そんなことはどうでもいいけど。


 とまあ、そんな感じで準備を進めて迎えたのが昨日の舞踏会。


 いやぁ、あれは見ものだったわ。


 あの女が大衆の面前で貶められたのよ!


 あの全てを持っている女が!


 ランス社交界の頂点にいるあの女が!

 

 大広間の真ん中で情け無く崩れ落ち、泣きながら王子様に追いすがる姿は最高だった!


 最底辺にいたアタシが頂点にいたあの女に勝った瞬間だった!


 アタシは勝ったの!


 ………………。


 …………。


 ……。


 でも、そんな気持ちは長続きしなかった。


 アタシ達があの女を断罪して舞踏会の会場を出た頃には、かなり気持ちは醒めていた。


 そして倒れそうになるぐらい緊張しながら、国王との直談判に臨む王子様を見送ったの。


 因みに、その直後にアタシと取り巻き達は一緒に逮捕されたわ。


 その時にはもう……完全に気持ちは醒めてたわ。

 

 ただただ、虚しかった。


 アタシは目的を達成したはずなのに。


 その後アタシは牢に入れられて一人になって、そこで改めて考えたの。

 

 自分がしたことを。


 いや、考えるまでもなかったわね。


 本当は自分がしてきたことが間違ってたのは気付いていたから。


 セシルが何も悪くない事は分かってた。


 それどころか、一生懸命に頑張ってた。


 王子様の横にいる為、王妃になる為に努力してた。


 他の貴族達と違って公明正大、清廉潔白な心の持ち主で、アタシなんかにも本気で色々教えてくれようとしてた。


 話しててアタシには直ぐわかった。


 この娘はアタシを見下してない、差別してないって。


 でも、そんなセシルをアタシは……。


 なんて事をしたんだろうと思った。


 もう遅いけど。


 アタシの所為で皆、不幸になっちゃった……。


 王子様も、セシルも、取り巻き達も、孤児院の皆も、家の使用人達も、そしてアタシも。


 ああ、なんて事をしたんだろう。


 お母さんの『願い』を、アタシが自分の意志で踏みにじっちゃった……。


 アタシ、これからどうしたらいいのかな。


 ……まあ、どうするもこうするもないけどね、間違いなく縛り首だし。


 悪党の最期なんて、こんなものか……。




 とまあ、こんな感じで一晩過ごして今に至る訳。


 一晩たって、頭も冷えたわ。


 アタシは自分の罪をきちんと償おうと思う。


 だから、どんな罰でも受け入れるつもり。


 あと、叶うことならセシルに謝り……ん?


 あら、足音がするわね、尋問の時間かしら?


 痛いのは嫌だなぁ。


 じゃ、行ってくるわね。


 皆さん、ご機嫌よう。

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『男爵令嬢アネットの独白』 (そうだ、王子辞めよう!外伝) にゃんパンダ @nyanpanda

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