第931話 日本の主人は誰なのか?

「大人と子供の違いって?」

  「シガラミのあるなし」

「なるほど!」


・・・

子供は計算をしない。




マルコ9章(子供の立場を説明)

33 それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。

34 彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。



(弟子たちは、メンツを掛けた攻防戦を行っていた)



35 そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。

36 そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。

37 「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。




御子を受け入れるためには、まず父の「イハウヘ」を受け入れる必要がある。


「御子の父の名を知りません」では話が進まない。


子供は純粋で素直なため利害関係を背景とした論争もやらない。


「主人が帰った」

「従おう」


それだけである。




 ■日本の主人とは?


日本という国家はエルサレムから来た「一枚目イエス」の弟子の国・・・


もしそうでないなら、

「主人が帰る」などの話も意味がない。


日本が十部族なら、王であったヤロブアムが推進した「金の子牛崇拝」をしているはずだし、


「亜のイエス」に従っている民なら世界への伝道活動を行っているはずだ。


大人は複雑に考えるが、子供なら「国家」の雰囲気を「国歌」から読む。


君が代が教える『日本の主人』は誰だろう?


子供はシガラミがないから、こんな結論になるだろう。


様々な条件が一致する・・・

間違いなく「御子の国」だ!


だからこそ、素直さが天に求められているのだろう。


真理は人の利害を超越している。


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