第879話 確かに減った「鬼の流し込み」
「鬼が減った感じしない?」
「するね」
「やはり節目を過ぎたからかな?」
「そう感じるね」
「嬉しいなー」
・・・
自分自信の感情を精査してたら、気付いた。
急に飛び込んで来るイメージや焦燥感が減っている。
→ 「鬼の衰弱」だ
コッソリ流し込まれる感情を、『自分のもの』と考える人は多い。
特に、芸術家や小説家、音楽家などの鋭敏な人々は、目をみはる作品を生み出すだけに、鬼からの流し込みも凄いはずだ。
感心したのは、過去に漫画で呼んだホラーの的確さだった。
予言のようなストーリーが、今も印象に残っている。
子供の誘拐犯が、「臓器を貰うぞ」と宣言した場面。
縛られた子供が悲鳴を挙げる。
「こんな事あるの?」と思いながら読んでいたが、今になって「それが現実だった」と知って驚いた。
つまり、彼らの感性は予感というか、予言というか、驚くほどの敏感さを備えているわけだ。
しかしそれだけに、自殺する小説家も多く、残念な気分になる。
心の中に、鬼が厭世気分を流し込んで自殺に追い込んでしまうのだ。
ここでもし、
「この気分は自分のじゃない」
そう気付くなら、
鬼を祓い、正気に戻れるのだが・・・
■子供に福音書を
イエスが、多数の人々から鬼を追い出し、乱暴者が静かになったという話は本当だ。
私自身も、鬼が流し込んだ感情を幾度も経験している。
殆どが厭世気分であり、意味のない閉塞感だったりする。
「自分の未来は自分が決める」
それを知っているから、意味のない厭世気分は即座に「鬼だ」と気付けるのだ。
これは是非、福音書と共に子供の教育に取り入れて欲しいものである。
学校で、「進化論」など教えている場合じゃない。
下手をすると、岩陰に隠れる人々の中に、「教育者」も混じって震える事になる。
最初にまず、教育者を「教育」しなければならない。
その辺りは、近いうちに社会通念として定着するだろう。
昨今、鬼の力が弱っている。
つまり、
「鬼の流し込み」が確かに減っている。
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