第798話 井ノ神・集会
「3つも夢を見たよ」
「おやおや」
「全部覚えてた」
「凄いな」
「意味を知りたい」
「よし!」
・・・
◉最初
兄と弟が別の部屋に寝てた。
「おーい」
兄に呼ばれたのに無視して、
弟は期待通りの動きをしない。
それで兄は怒って報復の
嫌がらせをした。
◉次
車の下で、道路に寝る女の子。
二人が並んで寝てた。
運転手は知らずに乗り込む。
車が発進する時、誰かが慌てて教えてくれた。
「ヤバイよ!」
車はまっすぐにバックして、
女の子は無事だった。
◉その次
「井ノ神」集会。
世界各地で「イー」「イー」と
神を呼ぶ集団の声が聞こえた。
■知識が仲良しと命に繋がる
重要な事柄はこれだ。
「知る・認識」
「無視しない事」
そして、
「呼ぶ事」
呼ばれると
→ 呼ばれた神が来る
それは当然だが、呼び声を無視したら不仲になる。
神と人も。
「井ノ神」を呼ぶ集会は、驚きの夢だった。
名を広めるのは、こんなに簡単なのだ。
→ 呼べば答える
それが、仲良しの秘訣となる。
■食事の前の掛け声
日本では「いただきます」。
この意味を掘り下げた。
一つはこれ。
「eat」・「吾」・「抱く」
最初の「イート」を「糸口」と考える事も出来る。
しかしそこで、イエスの言葉が浮かんだ。
「私を食べなさい」
イエスは、井ノ神が派遣した子。
食べるのは、「井ノ神」への意思表示であると同時に、「天からのパンを食す」という意味になる。
すると、こうだろうか?
(推理)
→ イー・タタキ・ます!
先頭は創造主(イ)の名。
次に「タタキ」の意味は?
【敲き分け】タタキワケ
山分け、折半。
訛って「ただき」と変化したようだ。
最後の「マス」は「クリスマス」の「マス」とすれば
→ 祭り・催し
(食事も行事だから)
昔の人はこんな言葉を使う。
「ご相伴に預かろう」
これは、「神からの分前」(シェア・バーン)と理解出来る。
※ 「バーン」は自分の領域という意味。(「飯」という理解も)
食事は「喜び」でもある。
その意味で考えると、こんな「マス」も浮かんだ。
【mirth】マース
歓喜、陽気。
(浮かれ騒ぎ)
「いただきまーす」と発するなら、こちらかも知れない。
意味を知って行う行為は、神に通じている。
折半の意味も「シェア・バーン」を思わせるが、日本人はなぜ「自分の分前」に忠実なのだろう。
聖書では「マナの話」が有名だ。
■天から振った「パン」
荒野で飢えるイスラエル人に「マナ」が降り注いだ。
出エジプト記16章(賜るパン)
16 主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。
17 イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。
18 しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。
19 モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。
天からのパンはイエス。
その食物は、誰も不足しない。
「だから領分を守りなさい」というマナーが彼らに叩き込まれた。
(「叩き」は「敲き」)
食事のマナーが板についている民族…それがモーセの民なのである。
「板」といえば「まな板」の存在も興味深い。
マナ と まな板 = 俎板 - The Bible・聖書 https://blog.goo.ne.jp/view_japan/e/2028be307cee04c3b026be35323a5f5b
マナは天からのパン(イエス)であり、その実体が後の時代の神殿にやって来た。
日本は「いただきます」で、
食事の度に「神」を呼んで分前に感謝し、天との仲を保っているわけだ。
但し、それを知っていればだが。
・・・
人の「認識の波動」は、神に届くから、「知っている」と「知らない」のとでは全然違うのだ。
「いただきます」を発する
日本人の食事は、
『井ノ神・集会』だった。
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