第466話 山の中の工事現場

「難解な夢ばかり見るよ」

  「今度は?」

「山の中の工事現場」

  「どんなの?」

「大勢の人が山に入ってね」

  「うん」

「それぞれの持場を連結して」

  「その目的は?」

「パイプラインを構築する」

  「へー色は?」

「青いような緑のような」


・・・

タンクを連結して液体を送る。

そんなラインの構築だった。


石油じゃないのは確か。


重要なのは完成後、各自の持ち場を監督が巡回し「空気抜き」を行う作業だ。

儀式のように…


ふと思ったのは、これ。


→ ブログの連結?



神の組織は二つある。


1.右手組織

2.左手組織


現在は入り混じって活躍する状態だが、天界は右手組織を一つに連結したいのかも知れない。


「世の神」は優勢で、左手の組織を支配する。


確かに世界は、「二枚目」(イエスもどき)の教えに席巻されている。


そこに、「一枚目イエス」のパイプラインを構築し、「空気」をも排除するのだろうか。


「『空気』は読むな」


「ブログ連帯」を「宗教界」(山)の中に通す計画が天にあるのだろうか?


もしそうなら、これから大勢が『山の中』に持ち場を決めて、連携の動きが始まるだろう。


それは「善の龍脈」だ。



実は「龍脈」にも、二つの種類があり、「蛇の道」にも二つある。


エデンの蛇は「始めからの蛇」と呼ばれ、アダムとイブを「邪道」に導いた。




 ■蛇と龍の種類を見分ける


ネゲブの敵が邪道への切っ掛けを作った。




民数記21 章

時にネゲブに住んでいたカナンびとアラデの王は、イスラエルがアタリムの道をとおって来ると聞いて、イスラエルを攻撃し、そのうちの数人を捕虜にした。

2 そこでイスラエルは主に誓いを立てて言った、「もし、あなたがこの民をわたしの手にわたしてくださるならば、わたしはその町々をことごとく滅ぼしましょう」。

3 主はイスラエルの言葉を聞きいれ、カナンびとをわたされたので、イスラエルはそのカナンびとと、その町々とをことごとく滅ぼした。それでその所の名はホルマと呼ばれた。



※ イスラエルの強引な誓いは、神の助力で成就した。

(聖絶の誓いを喜んだ神は、「血の色」だったのか?)


その後、イエスラエルの民に「悪い空気」が生じた。




4 民はホル山から進み、紅海の道をとおって、エドムの地を回ろうとしたが、民はその道に堪えがたくなった。

5 民は神とモーセとにむかい、つぶやいて言った、「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」。

6 そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。




この出来事から読めば、彼らに同行していた6節の神は「赤い血の色」(赤い蛇)だったと思われる。


「聖絶」は行き過ぎだったのだ。

※ 西洋画のモーセには頭に角が描かれている。

強引なイスラエルが「角のあるモーセ」にダブルのだろうか?


資料:聖書と典礼

https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2018/st180311.html



実は7節以降、神が入れ替わっていた。




7 民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。

8 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。

9 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。




神罰のごとき毒蛇被害への対策として、(後の)神が「作れ」と命じたのは


→ 火の蛇


実際の材質は「青銅」。


この蛇は「正道」を意味していた。



竿に掲げた「火の蛇」が、実は火の仕打ちに焼かれる「日の蛇」(イエス)であり、材質の「青銅」は「邪気払い」を実現した。


宗教施設の屋根が「青銅」である理由も関係ありだろうか?


資料:銅板屋根

https://ys-meister.jp/6471



昔から、「龍」と「蛇」は二種類いて、色分けされている。


聖書が教える「サタン」の龍と蛇は「赤」。


「青い胴」なら天の龍。



※ このヒントは日本人だけかと思ったが、実はグルカ兵も緑色を好んで使った。(但し、日本の緑龍会の詳細は未知である)



イエスはこう告げていた。



 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」(ヨハネ3・14)



それはイエスの磔刑を指しており、「正道を歩んだ蛇」が「贖いの死を遂げる」という意味になる。


(以下、資料からの抜粋)


角のモーセと磔刑:

青銅の蛇を仰ぐようにと指さしているモーセにも注目すると、その頭には二本の角が描かれている。これは、西方のキリスト教美術でたびたび出会う独特な要素である。それは、聖書翻訳史上の有名な誤解に基づいているという。すなわち、出エジプト記34章28-30節で、40日40夜、山上にいたモーセが下山して来たとき「彼の顔の肌は光を放っていた」と記されている箇所の翻訳の問題である。ここで「光」と訳されたヘブライ語ケレンには「角」という意味もあったため、教父ヒエロニムスのラテン語訳聖書(=ウルガタ訳)ははっきりと「角」を意味するラテン語を使ってここを訳していた。


(引用感謝)



「角のあるモーセ」は、「山の神」(前の神)から影響を受けるイスラエル…

(そう読める)


後の時代、イエスを出迎えた「イスラエルの指導者」も、まるで角を生やしたかのような対応をして、御子を磔刑に送り込んだ。


もし、『後ろの神』が支配していたら、異邦人の行為に対しても、血を流す「聖絶」には至らなかっただろう。


異邦人は、赤い龍が導く角のイスラエルによって、絶滅させられたのだ。


つまり、


→ 人身供犠になった


神国は、こうした深刻な事情を抱えている。


「正しい龍脈」からの情報を得なければ、赤い龍からの割り込みで血の儀式を催してしまうのだ。


→ 正しい龍脈を得なさい


山の中の工事現場は、それを教えていたのだろう。


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