第399話 省略記号と神の名
「創造主の名はアポスに似てる」
「何のこと?」
「アポストロフィ!」
「あー、あれか」
「ヘブライ語の『ヨッド』と似てるよね」
「確かに」
・・・
「'」
アポストロフィは、記号文字の一つ。
英語文では上端に記し、文字の省略記号として使われている。
■教師の心理状態が見える
アダムとイブを楽園から連れ出した「教師」は、人類にどんな教育を施したのか?
この「教師」の名は
→ 初めからの蛇
人類に様々な文化を与えたが、「創造主」への態度は?
主人の名であれば敬意を示さねばならない・・・つまり大きく扱うべきなのだ。
ところが、「消したい」という気持ちが、文字に現れた。
それが、ヘブライ文字「ヨッド」であった。
→ 小さな点
英語の省略記号と同じだ。
最重要な創造主の名を、省略記号の「アポストロフィ」のように扱い、選民に教えていた。
「後ろの神」が来るまで、「前の神」には、その自由があったのだ。
資料:テトラグラマトン
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%B3
大祭司が、神の名の発音を忘れたという・・・
「なんと!」
こうした扱い方に、「消滅させたい」という気持ちが現れているではないか。
今もその精神は続いており、「岩」の古語である「イハ」を、自分の使う名「ヤハ」に摩り替えようと躍起になっている。
鬼と戦うようになって、この「イ」から「ヤ」への流れが嫌でも目についたのだ。
しかし、人類史はもう終着点。
こうした指摘が出来るようになったのも、鬼の力が弱っている証拠だろう。
この時期、指摘はもう不要なのだろうか?
いや、小さな一点に封じ込められた創造主の名を、むしろ大きく宣伝すべきだと感じている。
それが、鬼の不敬を示す主張でもあるからだ。
御為ごかしで諂いながら、名を奪おうとしてみたり、支配下にある人類に向けて、やりたい放題の虐待を続けて来た連中である。
「これらは最大の裁きに値する」と、人類こそが訴えなければならない。
義人であるヨブを訴えて全てを奪ったり、神の子を法廷に引き出して裁くというその小汚い精神は、あらゆる場面で露呈している。
神の名を省略記号に似せて提供したからには、同じ反射を受けるべきではないだろうか。
→ 愚弄には愚弄
そして、神界からの裁きは「省略」不能な最大の罰となる。
私はそう考えている。
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