第331話 無師独悟(むしどくご)

「無師独悟ってなに?」

  「師匠がいないんでしょ」

「自分で悟るわけね」

  「そう」

「釈迦みたいに」

  「だから苦行が必要」

「へー」


・・・

奇妙な言葉が見つかった。


→ 師匠がいない悟り(無師独悟)


辞書によっては掲載が無い。


※ これを書いた瞬間、左の肩に痛みが来た。以前も経験した「鬼の鷲掴み」だ。(祈りで鬼を飛ばした)


鬼は、何を阻止しようとしているのか?


私は「虫」の正体が気になり、関連語を調べていたら「無師独悟」という言葉に打ち当たったのだ。


虫は→ 無師独悟→ 無師


そうした環境にある誰かを意味するのかも知れない。


その後、肩の痛みが引いたので、詳細を掘り下げて見ようと思う。




 ■ご利益が悟りの邪魔をする


人は神に、ご利益を求める。

それは当然。


しかし、私の立場で考えてみると、初期の段階でご利益を受け取っていたら、物事を深く考えなくなっていただろう。


むしろ、期待外れの人生を歩んで来た私であるから


神仏に縋ったが報われず、宗教をあれこれ渡り歩いたのも藻掻きのためだ。


数多く当たれば、いつか報われるだろうという気持ちであった。


鬼はそんな私を翻弄し、愛する者を奪い、慕ってくれる者を遠ざけた。


まるで、孤独な山の中に追い込まれたようだった。


何も頼れないという嬉しくない環境。


自分の中で考えるだけだ。


「なぜこうなっている?」


おや?

雨漏りが酷くなった・・・


バケツの水を捨てる作業をしなければ・・・


鬼が「書くな」という記事ほど、無理にでも発信するのが今の私である。


鬼の邪魔は、「虫」が「無師独悟に関係する」という示唆だろう。


今まで考えなかった視点なので、確かに、鬼の邪魔は全て裏目に出ている。



私の立場は「無師」と呼べない。聖書から学んでいるからだ。


しかし、世の神から冷遇されていなければ、世の中の妙な冷たさも理解できず、世が夜の神(鬼神)の支配下にあるとは悟れなかっただろう。


苦行とは呼べないが、「不本意な道」を通して、神の冷たさに気付き、「無師独悟」という言葉に苦行が伴う意味も理解出来るようになって来た。


これも一種の光なのだろうか。


夜明けは近い。


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