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2022年7月24日 04:02 編集済
ヒロソ様。第245話のコメントへの返信ありがとうございます。私は「神輿」については、キリストがそれを必要としていなかった・・・福音書にその記述が無いと思います。・・・ようなので、人類には必要無いのかと漠然と思っていました。必要無いと言うよりは使いこなせないのではないか、或いは、危険なので地下に隠してあるのかとも考えてしまいました。古代人の持っていた「古い見霊能力」は神の言葉を聞くことは出来ても理解する事が出来ませんでした。また、それが神なのか悪魔なのかも判別する事も出来ないのです。それで、悪魔に騙されてしまいました。そこで、一旦「見霊能力」は封印されました。それが、見霊能力を失った現代人です。新しい「見霊能力」を持つ必要があります。新しい「見霊能力」は対象と一体となり内側からその対象を見る事が出来ます。ですから、神か悪魔かの判別もつきますし、神の言葉の意味も理解できます。「新しい見霊能力」は古代に動いていなかったチャクラの花弁の半分を動かさなければならないのですが、古い方法ですと古代に動いていたチャクラの花弁のもう半分を動かしてしまいます。古い花弁が動くと酷い時には人格が分裂してしまいます。これはシュタイナーからの情報ですが、古い見霊能力者と関わる中でこの事は本当であると確信しています。今の人間は古い修行方だけでなく、人によっては神社巡りをするだけで精神に異常をきたし始めます。突発的に人が変わったように怒り出したり暴言をはくようになったり、嫉妬深くなったりします。これは、古いやり方でチャクラを覚醒しようとしてもおこる現象です。肉体的に音響などで直接チャクラを刺激するような事でもこの現象が起こります。チャクラの新しい花弁へのアプローチは「意識的」に「能動的」である必要があり、外部からの肉体的な刺激での覚醒では不可能です。・・・これでは、古い花弁しか動きません。・・・また、覚醒させるチャクラの順番も大切です。受動的な音響などでの闇雲な刺激だけでは危険が伴います。つまり「神輿」がどんなものなのか解りませんが、これが「古い見霊能力」を刺激する装置のようなものであるならば現代人にとっては危険な代物だと言うことです。この事については、かなり深刻な事になると丁度感じ始めていたところでした。人の目が物質から霊へと向き始めたとしても、直接肉体を刺激する苦行などの「古い行方」や或いは何らかの「装置」などのようなものでの外部からの刺激で覚醒しようとすると、直ぐに阿修羅に囚われるという事です。阿修羅の罠がここにもあったのです。火星と木星の間の小惑星群=女神の星に思いを馳せるという方法が最近提唱されています。一見美しく感じられ良いことのように見えますが、この小惑星群に阿修羅の星が紛れ込んでいました。・・・「ジュノー」すなわち「ヘラ」、つまり「阿修羅」です。この小惑星群=惑星の破壊は元はといえば、阿修羅の娘が切っ掛けです。・・・これに思いを馳せるのはとても危険な行為ですが気づかないようです。阿修羅の罠はそこ此処に張り巡らされています。「神輿」の封印も古い見霊能力では阿修羅などの悪魔の声が聞こえてしまうからでは無いでしょうか?古い見霊能力では神と悪魔の区別がつきません。
作者からの返信
神社巡りの情報、役立ちました。私の目の前で、知り合い二人が吸い込まれるように祠のような土地の神社に参拝し、その影響を受けたかと思います。※ 本当に吸い込まれる感じでしたから止める暇もありませんでした。次に神輿の話ですが、これもヒントを与えてくれました。日本の神輿は確かに大仏殿などのレプリカに思えます。その原型は、イスラエル民族が神との契約の証として制作するよう命じられた「担ぎ箱」でした。※ 当初、「契約の箱」には、「十戒が刻まれた石板」、「祭祀アロンの杖」、「マナの壺」が入れてありました。契約の箱はウェブの写真にあるように、上部に二体のケルブの像が設置されています。(「契約の箱」で検索)※ しかし日本では、「二体のケルブ」のうち一体が省略されています。https://nihonjintoseisho.com/blog001/2017/02/27/japanese-and-jews-28/(神輿の上に、一体の鳳凰があるだけです)これがなぜ一体に変化したかを考えていなかったのですが、ご指摘により閃きました。→ 神輿はイエスの象徴ですしかし、世界的認識ではイエスが一人なので、日本でも鳳凰を一体に省略する流れが生じたのでしょう。奥儀では、イエスが「一枚目」と「二枚目」ですが、キリスト教世界はその認識を持っていません。契約の箱には神の使いであるケルブが「二体」設置されている理由を、今まで考えてもいませんでした。しかし、「神輿」を「イエスの象徴」と捉えた場合、神の使いであるケルブが二体という「契約の箱によるヒント」は、「モドキのイエス」(二枚目)にとっては都合が悪いでしょう。それで、世の神は教理を「水臭く」薄め、「神輿(=イエス)の象徴であるケルブを一体に減らし、印象操作を行ったと理解できるようになりました。
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ヒロソ様。
第245話のコメントへの返信ありがとうございます。私は「神輿」については、キリストがそれを必要としていなかった・・・福音書にその記述が無いと思います。・・・ようなので、人類には必要無いのかと漠然と思っていました。必要無いと言うよりは使いこなせないのではないか、或いは、危険なので地下に隠してあるのかとも考えてしまいました。
古代人の持っていた「古い見霊能力」は神の言葉を聞くことは出来ても理解する事が出来ませんでした。また、それが神なのか悪魔なのかも判別する事も出来ないのです。それで、悪魔に騙されてしまいました。そこで、一旦「見霊能力」は封印されました。それが、見霊能力を失った現代人です。
新しい「見霊能力」を持つ必要があります。新しい「見霊能力」は対象と一体となり内側からその対象を見る事が出来ます。ですから、神か悪魔かの判別もつきますし、神の言葉の意味も理解できます。
「新しい見霊能力」は古代に動いていなかったチャクラの花弁の半分を動かさなければならないのですが、古い方法ですと古代に動いていたチャクラの花弁のもう半分を動かしてしまいます。古い花弁が動くと酷い時には人格が分裂してしまいます。これはシュタイナーからの情報ですが、古い見霊能力者と関わる中でこの事は本当であると確信しています。
今の人間は古い修行方だけでなく、人によっては神社巡りをするだけで精神に異常をきたし始めます。突発的に人が変わったように怒り出したり暴言をはくようになったり、嫉妬深くなったりします。これは、古いやり方でチャクラを覚醒しようとしてもおこる現象です。肉体的に音響などで直接チャクラを刺激するような事でもこの現象が起こります。
チャクラの新しい花弁へのアプローチは「意識的」に「能動的」である必要があり、外部からの肉体的な刺激での覚醒では不可能です。・・・これでは、古い花弁しか動きません。・・・また、覚醒させるチャクラの順番も大切です。受動的な音響などでの闇雲な刺激だけでは危険が伴います。
つまり「神輿」がどんなものなのか解りませんが、これが「古い見霊能力」を刺激する装置のようなものであるならば現代人にとっては危険な代物だと言うことです。
この事については、かなり深刻な事になると丁度感じ始めていたところでした。人の目が物質から霊へと向き始めたとしても、直接肉体を刺激する苦行などの「古い行方」や或いは何らかの「装置」などのようなものでの外部からの刺激で覚醒しようとすると、直ぐに阿修羅に囚われるという事です。阿修羅の罠がここにもあったのです。
火星と木星の間の小惑星群=女神の星に思いを馳せるという方法が最近提唱されています。一見美しく感じられ良いことのように見えますが、この小惑星群に阿修羅の星が紛れ込んでいました。・・・「ジュノー」すなわち「ヘラ」、つまり「阿修羅」です。この小惑星群=惑星の破壊は元はといえば、阿修羅の娘が切っ掛けです。・・・これに思いを馳せるのはとても危険な行為ですが気づかないようです。阿修羅の罠はそこ此処に張り巡らされています。
「神輿」の封印も古い見霊能力では阿修羅などの悪魔の声が聞こえてしまうからでは無いでしょうか?古い見霊能力では神と悪魔の区別がつきません。
作者からの返信
神社巡りの情報、役立ちました。
私の目の前で、知り合い二人が吸い込まれるように祠のような土地の神社に参拝し、その影響を受けたかと思います。
※ 本当に吸い込まれる感じでしたから止める暇もありませんでした。
次に神輿の話ですが、これもヒントを与えてくれました。
日本の神輿は確かに大仏殿などのレプリカに思えます。
その原型は、イスラエル民族が神との契約の証として制作するよう命じられた「担ぎ箱」でした。
※ 当初、「契約の箱」には、「十戒が刻まれた石板」、「祭祀アロンの杖」、「マナの壺」が入れてありました。
契約の箱はウェブの写真にあるように、上部に二体のケルブの像が設置されています。
(「契約の箱」で検索)
※ しかし日本では、「二体のケルブ」のうち一体が省略されています。
https://nihonjintoseisho.com/blog001/2017/02/27/japanese-and-jews-28/
(神輿の上に、一体の鳳凰があるだけです)
これがなぜ一体に変化したかを考えていなかったのですが、ご指摘により閃きました。
→ 神輿はイエスの象徴です
しかし、世界的認識ではイエスが一人なので、日本でも鳳凰を一体に省略する流れが生じたのでしょう。
奥儀では、イエスが「一枚目」と「二枚目」ですが、キリスト教世界はその認識を持っていません。
契約の箱には神の使いであるケルブが「二体」設置されている理由を、今まで考えてもいませんでした。
しかし、「神輿」を「イエスの象徴」と捉えた場合、神の使いであるケルブが二体という「契約の箱によるヒント」は、「モドキのイエス」(二枚目)にとっては都合が悪いでしょう。
それで、世の神は教理を「水臭く」薄め、「神輿(=イエス)の象徴であるケルブを一体に減らし、印象操作を行ったと理解できるようになりました。