第240話 メシアの奉公
「イエスはメシアでしょ?」
「そう」
「日本語にメシアってある?」
「滅私奉公!」
「えっ?解説して」
「はいな」
・・・
イエスが登場した時代、
支配権は、ローマにあった。
メシアの登場を喜んで迎えた民衆は、考えた。
「彼が王となる」
「体制が変わる」
しかし、イスラエルの家の柱一本変化なし。
イエスが変えたもの・・・
それは「空気」だった。
「滅私」という言葉に全てが投影されている。
■犬と猫の存在感
「あっ!花瓶が倒れてる」
「タローが入ってきてたよ」
「エーッ!家に入れたの?」
「僕じゃないよ」
・・・
「犬」は蹴飛ばして散らかす。
それが性格であり存在感だ。
しかし「猫」は、静かに歩いてくれるだろう。
「ユダ族のライオン」であるイエスも同じ。
「存在感」は静かな形で満ちるが、騒乱は無い。
「滅私」には「気配を消す」という意味もあるわけだ。
最臨時のイエスも、そのような形で登場すると教えている。
「私は夜の盗人のように来る」
しかし、空気感は変化するだろう。爽やかに。
我々は今、それを感じないだろうか?
黙示録
8:1
小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。
8:2
それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。
静かな臨在が終わると、お鉢が回る。
第七の封印とは、
「嵐の前の静けさ」
それが、日本語の「ヘッポコ」に連動するという観察がある。
【へっぽこ】
技量の劣った者。
役に立たない者。
(ののしっていう言葉)
聖句の「静けさ」はこんな意味だ。
→ 何も変化を感じない
(違いは空気感だけ)
メシア(臨在)には「7」という数字が当て嵌まる。
ギリシャ語の「7」は「hepta」と発音。
→ ヘプタ
※ 推理:
「ヘプタ・鉾」→「ヘッポコ」
それは「何もしない形の攻撃」としておこう。
(むしろ鬼が恐れる知恵の一種)
猫型の静かな登場で、民衆には荒々しさを感じさせずに進行している現在の再臨・・・
地下での変化は大きい。
しかし、
気配を消した「メシアの奉公」に、どれほどの人が気付いているのだろう?
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