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 それから数時間ほどミルクホールで読書と甘味を堪能し、日がとっぷりと暮れる頃には十一と一緒に父の元へ戻りました。

 父はかんかんでしたが、あまり怖くはありませんでした。むしろ、十一と秘密のようなものを共有できて浮き足立ってしまっているのを隠すことのほうが大変なほどでした。

 息抜きをしていいのだとわかってから、私はだいぶ楽になりました。休みの都合が合えば、十一に連れられて町へ出ることもありました。彼と出かけると知らないことばかりで、それもまた大いに息抜きになったのです。

「——今読んでるのは何のご本なんで?」

「『シャロック・ホルムス』……コナン・ドイルというイギリスの作家の小説だよ」

 ある日、仕事の合間に父の目をかいくぐって本を読んでいたら、ふいに十一に後ろから覗きこまれたことがありました。突然のことで驚いたのでよく覚えています。十一自身は本を嗜むことはしませんでしたが、私の読む本には興味を持っていたようで何度か聞かれました。私は答えて題名を見えるようにしました。

「イギリス?それじゃあそっちのお国の言葉で書いてあるのかい」

「いいや、ちゃんと日本の言葉にに翻訳されてる。面白いよ」

「すごいなあ、難しそうなのに。大人だって外国の本に興味を持つかどうか。頼坊は広い世界にまで視野を広げているんだ」

「僕が世界を広げられるのは本でだけだよ。現実の僕の世界はたいへん狭い」

「そうか?頼坊はおれよりよっぽど世界を広げられる可能性があるじゃないか」

「可能性……?」

「おれは奉公だからここで一人前になるしかないが、頼坊ならこの商社を継ぐだけじゃないだろう?本が好きならそれに関する仕事をしたっていい。努力すれば二足の草鞋だって」

「簡単に云うなあ」

「夢はないよりあるほうがいいだろ。夢を持てよ、頼坊」

 そう言って、十一はいつものように八重歯を見せて笑みを浮かべたものです。


 十一と親しくなったのが突然であれば、また別れもまた、突然でした。

 親しくなって半年まではいかない頃でした。

 父は、私をそそのかし怠けさせていると言って十一を折檻したのです。今までしかたなく黙認していたようですが、積もり積もってとうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのでしょう。そういったことがあったと知らされたのはもう事が済んでからで、私には何もできませんでした。

 十一は倒れた拍子に強く足を打ちつけ、骨を折ってしまったのだと他の奉公人から聞きました。病院には行きましたがそこがいわゆる藪で、骨が変にくっついて元通りに治らなかったようです。杖をつかないとうまく歩けない状態で、とても満足に仕事ができるとはいえなくなってしまいました。

 父はあっさりと十一に暇を出しました。

 私をそそのかしていると考えた時点で、元々そのつもりだったのかもしれません。私に挨拶も行き先も告げないまま、十一は父の元を去りました。

 そうですね。思ったよりこたえました。

 さほど長い期間を共にしたわけではないというのに、それだけ十一が、私にとって大きな存在になっていたのでしょう。友のようであり兄のようであり。そんな存在は唯一無二でした。ぽっかりと胸に大きな穴が開いたような。それと同時にもっと早く事態を知っていれば、というやるせない感情もありました。そんな喪失と後悔を経験している時分、私は想い出図書館に辿り着いたのです。

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