031 討都、奮え奮え

 アイレに続いて、下水道とは反対側の通路から人影が現れた。いささか汚れた服の彼女は湧いて出た魔物に近づくと、閃きが一つ。核が見えているかのように貫いた。

 その人、コーエはふんと鼻を鳴らすと、次の敵をザクザクと片付けていく。ふと動きを止めた彼女が足元を見やれば、腿に手を伸ばす亡者が。たちこめる瘴気へ迷いなく一撃を見舞ったかと思えば、ずるずると崩れ落ちていく。敵には恐怖などというものはないのか、新たに現れた魔物は彼女に立ち向かっていくものの、なすすべなく塵と消える。

 いくらか遅れてアイレの前に割り込むのはハインだ。彼女へと近づいてきていた一体を、長髪を揺らしながら剣で払い拳を繰り出す。一瞬だけ探りを入れただけで核を見つけ出し、放り投げたかと思えば剣がヒュンと鳴り、壊される。

 ルーネルを目指していた魔物が数体にまで減ると、カルトンは憎々し気に舌打ちをする。

「貴様ら……! 王都を捨てたか!」

 だが同時に、滑稽であると言わんばかりに笑みを浮かべる。どういうことだ、とルーネルが表情を険しくするが、間髪入れずにぴしゃりと叫ぶのはコーエだった。

「動じるなルーネル! そいつの首は、おまえが取れ!」

 口を開こうとしていたカルトンがぽかんとしていると三度、少年の鋭い攻撃が襲い掛かる。首をはねられ、とうとう外套は全て落ちてしまう。形のない肉体がざわりと波打ったかと思うと、胸から、わき腹から、背中からも手が現れ始める。

「調子に乗るな……人間ども!」

 憤怒の浮かぶ瞳がぎらりと輝き、五万という黒い指が彼の瘴気を埋め尽くす。顔も、瘴気も覆い隠して、辛うじて人の形をしている塊。みるみるうちに肥大化していくカルトンの核を狙い、ルーネルが踏み込んで一突きするが、手ごたえはない。

 うごうごと獲物を求める指を目にして、とっさに身を引いて相手の様子を伺うと、先ほどとはくらべものにならない数の手が、爪らしいものを携えて伸び、襲い掛かる。だが少年の近くには、もう魔物はいない。

 少年の命に狙いを定める手を一つ一つを剣で処理し、あるいは身をかわし、死角を衝くものがあれば、正確無比な矢じりがそれを廃する。

 ところが、カルトンの攻撃を繰り返し払いのけるものの、手の化け物は小さくなる様子を見せない。

 ルーネルがちらりと、仲間の様子を見やる。

 石柱オベリスクから次から次へと現れる魔物が、数十体という数で二つの円陣を作っており、一方の中にハインとアイレ、もう一方にはコーエの姿がある。

 ちょうど新たに湧いて出た魔物の頭をアイレが射貫く。するとルーネルの方を向いていたそれは、ハインが阻む円陣に加わる。コーエも同様、足元にある砂利を器用に蹴り上げ、敵の注意を引く。

 仲間の無事を確かめ、目前にまで迫っていた黒を払い少年は攻めに転じる。

「いい加減に死ね! これ以上の醜態を晒させるな!」

 くぐもった声と共に放たれる三柱カルテッドの無数の手。数えることさえも億劫になるような格子が迫ってこようと、もう少年はふっと息をは板かと思うと、駆けてだしていく。

 剣が払う、払う。一振りで数個の手が失速し、瘴気を剥がしながら落ちていく。ボトリボトリという音を残し、果敢に立ち向かっていく。

 軌跡を振るう、振るう。無駄のない斬撃はわずかなの狂いなく身の安全を確保して、できないならば、薄皮一枚の誤差でかわしていく。

 得物が落ちる、落ちる。魔物の核よりもはるかな重さを持って、主のない道具は朽ちていく。淀んではいるが、ようやく触れられた新鮮な空気に生々しい色を晒しながら、動かなくなっていく。

 柱が叫ぶ、叫ぶ。魔王様の願いを叶えるのだと。蟻の入り込む隙間もなく手が花を咲かせて、少年めがけてつっこんだ。

 子は駆ける、駆ける。身の毛のよだつ光景が目の前にあろうと、いっそうのことぎゅっと剣を強く握りしめ、左前腕に刃を添え防御の構えをとる。向こう側にいるカルトンをぎっと見据えて。

 絶叫が木霊する。部屋全体をびりびりと揺らす叫びは同時に、ルーネルの上半身が手の山に埋もれた。それでも立ち止まるということを知らない彼は濁流に負けることなく突き進み、微動だにしないカルトンの目前にまでたどり着く。

 そして、もう一押しの怒声。遅れて、石の破片がぱらぱらと、三柱カルテッドの足元に飛散する。ぴたりと静止した彼のコレクションは、まとっていた瘴気をぶわりとあたりにまき散らし、ボトリボトリと床へ降り積もっていく。

「まお……さ、ま……」

 カルトンの身体から瘴気が散る。少年の身体は傀儡と化した手に埋もれた。彼の名を仲間たちが叫ぶものの、依然として湧く敵に阻まれる。

「アイレ! ハイン! 駆逐するぞ!」

 コーエの一言に威勢のいい返事をした二人は、敵の作り出した不気味なオブジェを見やったものの、魔物を倒し続ける。いまだに黒い石柱オベリスクは核をぼろり、ぼろりと生み出し続けている。だが、確実に小さくはなっていた。

 てっぺんに、上へ向く一本の腕をいただく不気味なオブジェはぴくりとも動かず、静かに彼らを見下ろしていた。


 瞼がゆっくり開き、のぞく朱色の瞳に飛び込んできたのは、ぼんやりと照らされている木張りの天井だった。

 首を動かし視線を巡らせてみると、窓の外は既に夜。そこは彼らの借りている部屋であり、ベッドに寝かされているのだった。ぎこちない動きで手を握りしめると柔らかなシーツを掴む。軽く歯を食いしばりながらルーネルは上半身を起こした。

 布団がずれ落ちる途中で、カチャ、と音が鳴る。

 彼の目に映るのは、鎧づくめの人物。備え付けの椅子に腰かけており、顔を上げてじっと彼を見つめているようだった。

「おはよう。もう、夜だけど」

 小さく揺らめいているロウソクに照らされながら、ティーカは静かにするようハンドサインを出す。中途半端に空気を吐き出した少年は、

「なんで、あんたが?」

 じっと、影の向こうにあるだろう瞳を見つめる。

「……王都に魔物が現れて、ビクターさんに倒して回るように、指示されたの」

 こもる声を口にしながら、彼女は脇に置いてあった荷物に手を伸ばした。

「できるだけ、倒し方を教えながらね。あらかた片付け終えて、見回ってたら、あなたたちを見つけたの。コーエさんに背負われていたあなたのことが心配になって、ここに泊めてもらったの」

 立ち上がるティーカの手にあるのは、光沢のない汚れ切った腕輪だ。

「お友達は、そこで寝てるわ。お医者様いわく、問題はないって言っていたけど、交代で診ていたの」

 歩み寄りながらもう一方の手で指さす先には、丸くふくらんだ隣のベッド。二人とも頭まで布団を被っているらしく、姿は見えない。

「タイミングが合わなくてごめんなさい。これ、返すわね。荷台に落ちてたの」

 鎧と同じように、光沢のない装飾品は、まぎれもなくルーネルが落としたものだった。ゆるゆるとそれに手を伸ばして受け取るや否や、両手で覆い隠すように握りしめる。顔も伏せて、しゃっくりを上げ始める。

「大事なものだったんだ。よかったね、見つかって」

 優しく、穏やかな言葉に頷く少年は、

「親の、形見で……父さんと、母さんが、同じものを持ってて」

 もういませんけれど、と続けた。

 泣きじゃくる彼に、もう少し休みなさい、と言い残したティーカは荷物を残して、部屋を出た。仇敵を打ち倒した勇者は、身を縮こませながら、しばらくそのままでいた。

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