009 帰還、影も見ず
眩しい日差しがじわりと汗ばむ空気を作り出す中、ギリ、ギリと木が軋む音が、少女の耳朶に届く。引き絞られた弓が、ぷるぷると矢じりを震わせながらある一点に定められる。だがいくら待てども、焦点が一点に定まることはない。
ヒュッと空を裂く音に遅れて、弓が手を軸にひっくり返り、弦が音を立てながら激しく揺れる。狙い撃つ、その余韻にひたることなく彼女は次の矢を取り出して、またつがえる。わずかに体の向きを変え、ほどなくして再び放つ。
二本目が放たれたその瞬間、一本目がガッと丸の描かれた的に命中する。続けて、次の、次の的へと、矢がどんどんと刺さっていく。
七つ目の的が射貫かれたとき、新たに抜かれた矢は引かれることなく、カランと地面に吸い込まれた。それに気づいた少女はすでに弦を引こうとしている最中で、ぽかんと口を開けて、緊張を解いた。
弓を背中に背負い、取りこぼした矢を拾い上げると的に近づく。家屋の修繕に使われることなく余った木材を借りて作った簡易なそれには、深々と矢が刺さっている。中心にはほど遠いが、放った矢、全てが命中していた。
よし、と呟くと、彼女は的を地面に倒して、左よりも一回りは太い右腕で得物をつかんでは、引っこ抜いて起こしていく。
矢の束をまとめて矢筒に差しながらもとの位置に戻ると、また弓を取り出して弦をはじき始めた。まだまだ張力は衰えていないことを確かめ、再び視線を巡らせて敵の位置を把握する。
大きく、ゆっくりと空気を吸い込んでから、吐く。矢をつまんだ右腕にぐっと力を込めると、さらに太くなる。そして狙いをつけると、一発目を放つ。
ガサリ。
二本目が飛び出すその瞬間、音が鳴る。はたと澄んだ青が見開かれると、身体を左にひねりながら三本目をつがえた少女は、ザクザクとさらに聞こえてくる何か、森の方へと矢じりを向けた。
ザザザ、ザザザ。
足音は三つ。いずれも彼女の立っている方へ距離を縮めてくる。
模倣の敵が射貫かれて、数秒。見えてくる影がひとつだけあった。遅れて、二つ。
「助けてくれぇ!」
少女の姿が見えるなり情けない声で叫ぶ、集落で好まれている身なりをした青年。そうではない後ろの二人は、それなりに逞しい身体をしつつ、いかにもみすぼらしい恰好で刃物を持って青年を追いかけていた。
青年がどうにか陽の光を浴び、足をもつれさせながらもなお疾走する。アイレの隣を通り過ぎる頃には山賊たちも集落の隅に足を踏み入れ、立ちふさがるアイレを認めて立ち止まる。
「そこのかわいこちゃん、そんなの、俺たちに当たるはずがないだろ? おとなしく、さっきのやつを連れてきな」
先の的の倍はあるだろう距離で、にやりと余裕を見せる男たち。静かに狙いを定め続けるアイレはギリギリと軋む音の中、とうとう矢を放つ。
よくしなる弓が弦に、矢に推進力をもたらす。
目にも止まらぬ速さで彼女たちの間を駆け抜けたそれは、寸分の狂いなく山賊の得物に命中する。油断していた賊の一人が取りこぼしたことを認める前に、次の矢がもう一人の無力化に成功する。
みるみるうちに動揺を見せる彼らの余裕はどこへやら。覚えとけ、と次を構えているアイレに言い残し、そそくさと姿を消してしまった。
得物を下ろして一息ついた彼女のもとへと、集落の方から足音が近づいてくる。今度は弓を構えず待っていた彼女は、
「山賊は、追い払ったよ」
と先頭で顔を真っ赤にしたルーネルに平然と告げた。
なるほど、と顔のしわを深くするビクターは駆け込んできた男と対面して呟いた。
山賊二人に追われていたのは、今朝がた、ティーカたちと共に偵察に向かった自警団のひとりだった。息も絶え絶えだったが、今は二杯目の水を前に、おちついている。
「あの二人なら大丈夫だろうよ。ギルドランキング上位の称号は飾りでは、ないからの」
椅子の上で俯く彼いわく、山賊のねぐらになっていると予想されていた河川近くの洞窟を見つけ、案の定、見張りがいることを確認した。そこから賊の規模を調べようと身を潜めていたのだが、男がしびれてきた足を伸ばし終えた時、誤って足元に転がっていた枯れ枝を踏みつけてしまう。
運悪く、帰ってきた山賊に音を聞かれ、潜伏場所へと近づいてくる。
これを受けて動いたのはクーオで、囮を買って出て走り出した。もちろん賊たちは彼を見つけて追いかけるのだが、一人の賊は何を思ったのか、ティーカたちのもとへ近づいた。
とっさにそれを片付けたティーカだったが、見張りの山賊がそれに気づいて洞窟内の援軍を呼ばれる。すぐに二人は逃げ出したが、逃げ切れないと判断したティーカが踵を返し、数人の山賊の相手を始めた。
そして振り返らぬよう必死になって帰っている途中、二人の山賊に見つかって今に至ったのだという。
申し訳ございません、ともう一度頭を下げる彼に、まぁまぁとおだやかに笑うのはビクターの隣に座る長で、無事を喜んだ。
やがて、部屋に数人の自警団が到着すると、ため息をついたのはビクターだ。
「さて、要の二人が頑張ってくれてることを期待しないといかんな……」
パーティを組まず、単身で敵に切り込んでいくことを得意としている二人。だが所詮は人間、多勢に無勢。修練を積んだものが身をやつしている可能性も否定できないのだから、救出できるのならば、早い方がいい。
だが老人は眉尻一つ動かさず、うなる。
「三十……多ければ、山賊の一団は、それくらいはいるだろうな」
身体をびくびくと震わせ小さくなっている一人の身体が跳ねた。当然、その概算はどこからくるのかと別の男。
「まず、わしらを襲ってきていただけでも、十程度」
複数の一団がいると考えられなくもないが、今は一つと仮定しよう、と付け加える。
「次に、クーオ、ティーカを追わせるだけの余裕がある」
二人を追いかけた賊たちの具体的な人数について尋ねるも、帰還した男は首を振る。
「なら、お前さんを追いかけてきた二人を加えれば、多く見積もっても、十人」
不安の浮かぶ彼らの顔を眺めて、出されていた水を一口。
「単純な話だが、奴らも人間だ。当番くらい、あるだろう」
カップを置き、硬い皮膚の親指が立てられる。
「見張り、採集、休憩するように分担していると考えれば、ざっとそれくらいだ」
もっといる可能性もあるがな、と三本指を立てる老人に、沈黙が部屋を満たす。生活を守るために作られた自警団であったとして、所詮は生活を営むことが精いっぱいの一個人。自ら戦禍を浴びに行く冒険者とはわけが違うのだ。ましてや、頼みの綱である者たちが姿を消し、希望の光を見失ってしまうのも無理はない。
「どうしたもんか……ひとまず、合流を期待しつつ、作戦を決めるとしましょうか」
椅子に座りなおした老人は、ふと視界に入った窓の外を見やる。わずかに木漏れ日が差しているが、それでもなお暗い。
ビクターがにやりとする。じぃと葉の揺れる景色を眺め続けていると、明らかな人影がひとつ。
中の様子を覗き込もうとしているようだが全く隠れられていないルーネルは、肘をつき顎に触れているビクターと視線がかち合う。すると小さな足音と共にさっと陰へとひっこんでしまう。だが立ち去る気配はなく、再び未熟さのぬぐい切れない顔がひょこりと出てくる。
ほぼ同時にビクターは手を鳴らして、素知らぬ顔で長に準備の状況を尋ねる。
各個撃破、火責め、あるいは爆破や陽動。数も戦力も劣ることをどうひっくり返すのか、淡々と状況の整理を始める。
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