007 一日、終わりて
陽が間もなく落ちようかというときに、長の家の前でたむろしていた冒険者たちに声がかかる。枯れを感じる声ではあるが、はっきりとしたビクターの言葉に、取り出していた装備をしまった三人は、すっくと立ちあがり、玄関から出てきたばかりなのであろう彼に向き合う。
「空き部屋を用意してくれるそうだ。おまえたちは、相部屋でいいか?」
寝床が足りるならばそれでいいとルーネル。
「どんな部屋であれ、文句を言うなよ、おまえたち。ギルドの信頼に関わるからな」
当たり前のことだとハインが言えば、よろしい、と頷く。
後で長か案内が声をかけるだろう、と言い残し、彼は立ち去った。ちらほらと見え始めた人影を通り抜け、向かう先はこれまた、ゲンドのもとだった。
今は首を集落の中心とは反対方向に曲げており、三人のいる場所からはその表情は見えない。その背中はわずかに上下していて、相変わらず眠っているようである。誰も近寄らぬそれにビクターはゆっくりと近づくも、興味はないのだろう。鞭を思わせる尻尾もだらりと地面を這ったままぴくりとも動かない。老人はそのまま、灰色の陰に消えた。
「なんか、歓迎されてるって感じじゃないよな」
ルーネルの口を突いて出た言葉。交渉の席についていた長は人当たりのよい様子だった。新人である彼らに笑みを向け、期待の言葉をかけてくれた。
だが今、ここに歩いている人々はどうだろう。家も数えるほどしかなく、歩いているのもほんの数人。その誰もがルーネルたち、ゲンドを繰り返し、ちらちらと見てくる。もちろん、山賊掃討作戦に参加するのは彼らではない。だが彼らこそが、ようやくやってきた頼みの綱であることは事実だ。
「不安なんじゃない? それだけ、山賊たちがここの生活を苦しめてるのよ」
食事が貧しくなると、心まで貧しくなるとは言う。
「こんなことやってる場合じゃないってのに、ノンキなもんだよ。さっさと情報探せるようにならないとな」
はたまた、一筋の希望を辿ることも困難なほど、疲弊しているのか。その真意が分からぬ若人たちは、静かに道行く人々の顔色を遠目にうかがっていた。長い影帽子の頭ばかりが、彼らの足を掠めていく。
やがて、唯一ためらいなく声をかけたのは、玄関口から顔を出した案内人。
「お部屋の準備ができましたので、お越しください」
よくよく見れば、その顔にも疲労と陰の色。互いに頷き合った三人は彼女に従ってまた長の家へ。
次に案内されたのは、面会に使った部屋よりも、さらに奥。整えられたベッドが三つあるだけの、これまた土が露わになっている部屋だ。天井にはランプが一つ、垂れ下がっている。
「大したおもてなしもできませんが……どうぞ、おくつろぎください」
机もなければ椅子もない。あるだけ十分すぎる安全な寝床だ。ぐるりと一周見渡したところで、下がろうとした案内人を引き留める。きょとんとする彼女に尋ねるのは、真っ先に振り返ったハインだ。
「なぁ、教えてくれ。どうしてここの人たちは、その、俺たちを避けるんだ」
だが彼の真剣な眼差しもつゆ知らず。ルーネルは寝床の場所取りを始める。一方のアイレも弓と矢筒を下ろしながら、私も知りたい、と続く。
「俺たちがギルドの新人だから、ってわけでもないんだろ? 馬車のやつがなんて言ったかは知らないが、なんてふれまわったんだ?」
わずかに体を縮こませる案内人。まだまだ育ち盛りであるハインよりも、頭一つ分は小さい彼女は視線を揺らした後、同様に自身を見つめるアイレへと向いて、ようやく口を開いた。
「その、まず、あなたたちが悪いのではない、ということは理解しているんです」
当たり前だ、と眉間にしわを寄せる彼に、ぴしゃりと叱るように名を呼ぶ彼女。
「ここは王都から離れていて、そして国境が近いでしょう?」
王都を出発して、早数日。ビクターにこっちだあっちだと馬車を乗り継いでここにようやく到着した。王都から遠ざかるたびに、見える人も乗客も減り続けた。
「こういった辺境の土地では、王都からの支援も期待ができません。今回の被害だって、優秀な方に来ていただいたようですが、この一か月の被害が、なかったことになるわけではないんです」
人が減れば、治安を維持するための兵士の姿も見なくなる。だからこそ自警団などの地域の自治が必要になるものだが、処理できることには限りがある。防ぎきれなかった被害は洪水のように彼らの生活に押し寄せ、笑顔を、余裕を奪い去る。
「ですから、悪く思わないでください。せめて、ギルドからの支援でもあれば、話は別だと思うのですけど」
大きく頷いたハインは礼を言って、彼女に仕事に戻るよう伝えた。再び一礼した彼女を見送ってから扉を閉めた彼は、一番近くのベッドに腰かけた。すでにルーネルは鎧を脱ぎ中央のベッドで横になっており、今にも眠ってしまいそうな顔を天井に向けていた。
すると必然、扉から一番離れているベッドがアイレのものとなる。そちらへと歩いた彼女は、変な話だよね、と持ち続けていた荷物を壁に立てかける。
「ほんとにな……おいルー、さっきの話、聞いてたか?」
ぱちくりと開く朱の瞳は、うん、と純粋な疲れしか見えない彼に、ため息をついた仲間は身に着けていた装備を外し始める。
「とにかく、この教育ってのをさっさと終わらせよう。回数こなして試験に合格すればいいんだろ? 俺たちなら楽勝だろ」
汗で荒れた肌着のみになると、アイレに荷物はどこだ、と問いかける。すっかり忘れていたらしいアイレは軽く声を上げ、パタパタと外へと走り去ってしまう。その様を視線で追っていたハインだったが、体に張り付いた肌着を丁寧に剥がし、明日に備えるか、と呟いた。
「そういやハイン、今日のメシはどうするんだ?」
だがルーネルは睨まれようとも、腹減ったろ、と笑うのだった。
パタパタと闇に飲まれかけた集落に響く足音は、中央を通り抜け、停まっている馬車の荷台の一つにたどりついた。中へと入ってみるが、そこには何もない。
ここじゃない、と小さく呟いた少女は布から頭を出してあたりを見渡す。他にも荷台は二つあり、そこにも頭をつっこんでみるものの、いずれももぬけの殻だ。よくよく目を凝らしても、あるのは木目ばかり。ああ、と声を上げつつ勢いよく仰いだ彼女は、真っ暗になった空を仰ぐ格好となる。
チカチカと輝く、木々の隙間からのぞく星々。ほうと息をつけば、強い土の匂いが鼻腔を満たす。
「どうしたの、こんな時間に」
と独りをかみしめていたアイレがびくりと跳ねる。声のした方を見やると、一つ目の荷台の陰に、ティーカがゆらりと立っていた。もちろん、一切の鎧を外さず、槍を握って。
おそるおそる向き合い、荷物を受け取り忘れていたと伝えれば、御者の人が預かってるわ、と教えてくれる。礼を言おうとするアイレに、一緒に行きましょう、とティーカは踵を返して歩き始めた。そこにはやはり、足音はない。
「驚かせて、ごめんなさいね」
明かりも持たず、彼女は迷うことなくまっすぐに歩き続ける。
「殺しを専門にしてると、気配を殺すのに慣れちゃうの。もう、何年になるかしら」
アイレはろくに返事もせず、ただついていく。ともすれば、騎士は目の前に現れた戸を叩き、あっという間にアイレたちの荷物を受け取ると、手渡してくる。礼を言いながらそれを背負った新人は、長の家を目指そうと歩き始めるが、ふと止まる。
「ティーカさんは、お泊まりになられないんですか?」
くるりと振り返って尋ねてみれば、私の部屋はないの、と答え、続ける。
「ゲンドと一緒にいた方がいいから。あの子、私がいないと夜、寝れないの」
無表情の下で軽く笑って見せた彼女に、もう一度礼を言い、仲間のもとに戻るのであった。
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