嫁さんが浮気してやがった!

高速イボコロラー

前編




 チクショウ!やりやがったよあのアバズレ!


 俺が行きたくもねぇ休日出勤してる最中に、よりにもよって自宅に呼び込んで汗だくのヌルヌルでヤリまくってたよ!


 家のデスクトップ内に迂闊にも残っていた動画ファイルを再生したまま、俺はわなわなと震えたね。


 いや、ぶっちゃけ半年前から疑ってたよ。


 だって俺の嫁さん、その頃からいつ話し掛けても上の空だし、妙に余所余所しいし、家事当番も守られねぇし、夜の生活もレスになるし……。


 そんでもって、前より化粧も念入りでパートの帰りも晩くて、スマホも肌身離さずじゃあ、疑うなって方が無理あるよ。


 だから俺はソッコーで家探ししたね。


 そしたら出るわ出るわ不貞の証拠! 嫁さんは最近機種変したんだけど、それまで使ってたスマホに行為撮りの画像や動画、嫁さんと浮気相手のメールやSMSの履歴(現役のスマホじゃないからラインの履歴はなし)、果てはタンスの中にはド派手な下着やおもちゃまで……。


 もうサイアクの気分で死のうかと思ったわ。というか、気が付いたら包丁持ってお湯溜めたバスタブの前に立ってたっての。


 そんでもって、次の瞬間には号泣。超大号泣。みっともなく咽び泣いたわ。


 涙、鼻水、涎、小便もちびるしゲロも吐いた。嫁さんと浮気相手は互いの汗と体液と愛でドロドロなのに、俺は一人で汚物と敗北感でドロドロに……この落差にも絶望したね。


 んで、ひとしきり泣いたらそのまま風呂入って、出たらひとりでに夕食の準備なんかはじめちゃってんの。いや、習慣って怖いね。何も考えられないとこんな時でも普段通りの動きをしちまうんだもん。


 俺は無心でキッチンに立って、火にかけた鍋の様子を気にしつつ必要な食材を取ろうと冷蔵庫に手を伸ばす。でもその途中で、冷蔵庫に貼ってある我が家の家事の分担表が目に入って……。


 あぁ、つーか、今日も俺の食事当番じゃねぇじゃん……。


 ここ最近は浮気に大忙しの嫁さんが全然家事をやらねぇから、家のことは全部俺がやってる状態だったし気付かなかったわ。


 しかも、今さらながらに自分の食欲も皆無であることにも気が付いて、なんかバカバカしくなって料理をやめた。嫁さんが帰って来て何か言うかもしれんが、知ったことか。


 時計を見れば、時刻は既に夜十時。最近は日を跨ぐギリギリに帰って来ることが多い嫁さん。どこでナニをしてんのやら……。


 そんな嫌味な思考はあれど、俺は真の意味で今後どうするべきかを迷っていた。というか、どうしたら良いのか分からない。だってこんなこと誰にも相談できねぇし、そもそも相談できるような知り合いもいねぇよ。


 俺はしばらく悶々と悩み続けたが、とりあえず浮気の証拠として嫁さんのスマホ内のデータとデスクトップに残ってた卑猥動画を丸々コピーすると同時に、嫁さんと浮気相手とのやり取りを確認してみる。


 うわぁ……てか、一年前から続いてんのかよヤツらの浮気って……。


 気付かない俺も俺だけど、浮気しといて何食わぬ顔で俺と暮らしていた嫁の人間性は間違いなく真面じゃねぇよ。


 自分がハズレ嫁を引いてしまった後悔は最大瞬間風速を記録すると共に、画面に写る嫁と浮気相手による目を覆いたくなるようなやり取りに、早くも履歴を見たことを後悔……。


 でもまぁ、せっかくだから一部を紹介しようじゃないか。


TAKERU:『今週末、アホ旦那は休出だろ?またお前ら夫婦の寝室で可愛がってやるよw』


ひまり:『人の旦那アホとか言うなし!まぁ、ホテル代高いし週末は家来て良いよ』


 おわかりいただけただろうか――。


 タケルってのが浮気相手らしく、ひまりが俺の嫁さんだ。


 俺を馬鹿にする浮気相手を窘める癖に、ラブホ代わりに自宅を使う無神経さ……マジキチってヤツだよな。もはや怒りや悲しみを通り越して怖くなってくるレベル。どういう思考回路してんだよ。


 そんでもって、そんなメッセージとは別に、例の汗だくヤリまくり動画に続き、約一年分のAVも真っ青な卑猥画像と動画のオンパレード。


 やべぇよ、ここまで見るんじゃなかったよ。また吐き気して来たじゃん……。


 頭の上からサーっと血の気が引いて行き、瞼が痙攣して視界もチカチカ明滅する。俺は慌てて深呼吸をして、じっと体調の回復を待った。


 今にもめまいと貧血でぶっ倒れそうだわ、マジ情けねぇ……。


 だがしかし、そんな状況でも、動画を再生し続ける俺のスマホ内では、嫁のひまりと浮気相手のタケルによる濃密な絡み合いが繰り広げられている。


 パンパン肉打つ音、湿り気のある水音、ベッドの軋み音、獣のような喘ぎ声――。


 こんなん頭おかしくなるわ。というか、なんで俺がこんな思いしなくちゃなんねぇんだ?


 俺は力無く震える指先で動画の再生を止め、リビングのソファーに寝っ転がった。


 時計を見れば、既に夜中の一時。嫁さんは、まだ帰らない。


「はっ……アク……な……」


 はぁ、サイアクだな――あえて声に出してみたんだけど、見事に掠れていやがった。つーか、声が出ねぇよ。ヤベェよ。失語症とかだったらどうしよう。このままじゃ尋問も話し合いもできねぇじゃん。


 そこに――。


 ガチャリ。


 浮気嫁のひまりがご帰宅あそばされた。


「ただいまー」


 疲れたように間延びした声が聞こえてくる。


 クソっ、ナニやって疲れて来たんだよこのアバズレが!


 ――とか、思いっきり罵倒して打ん殴りたい気持ちとは逆に、俺は慌ててクッションを頭に抱えて横を向き、顔を見えないように狸寝入りを決め込む。


 正直、今の状態でひまりと対峙するのはマズイ。まず声が出ねぇし。しかも、俺はまだ何の覚悟もできていない。だから、ここは逃げの一手しかねぇんだよ。


 しかし、当の嫁さんの方は、リビングで寝た振りをする俺のことなど気にも留めず、風呂に入ってからさっさと寝室で一人グースカ寝始めた。


 あーあ……なんつーか、完全に終わった気分だわ。


 普段だったら、俺もこんなことは気にも留めなかっただろうけど、深夜の一時に帰宅して、寝室に旦那がいねぇのに探しもしねぇで一人で爆睡って……もうダメじゃん。俺の存在とか、超どうでも良いじゃん。


 今まで俺の中に女々しくこびり付いていた希望やプライドも、木っ端微塵に吹き飛ばされた感じだよ。


 なんかさ、どっと力が抜けちまったね。


 しかも、広いリビングに一人でいると、今さらながらに激しい怒りと悲しみが、俺の脳内をメチャクチャに掻き乱してきやがる。頭が熱い。たぶん、脳ミソが興奮状態なんだろうな。こんなんじゃ、絶対に寝られねぇし……。


 だから、結局俺は、一晩中起きていた。暗い部屋の中で、頭を抱えてフラバに苦しみ、今後について悩み続けることになったんだ。



 × × ×



 そんでもって、完徹で迎えた翌朝の五時。


 クソ浮気嫁のひまりと顔を合わせたくなかったこの俺は、早すぎる出勤の準備をして早々に家を出た。


 もう朝の食事当番がどうのとかいう次元じゃねぇし、寝てる嫁さんを解体して鍋にぶち込まなかっただけ奇跡だよ。


 あーあ、マジで朝からサイアクの気分だわ。もう瞬きする度に嫁さんと浮気相手のヤっている場面がチラつくわ。死にてぇ……。


 はぁ――よし、こういう時は仕事。仕事に没頭するしかねぇよな。


 しかし、気合を入れて朝早くから通勤したは良かったものの、いざ仕事に没頭しようとするとまるで集中できず、そんな状態でふと思い出すのは、やはり嫁さんと浮気相手の絡み合い……。まさに悪夢のようなコンディションの中で仕事はもうグダグダ。


 しかも、俺は気が付くとぼうっと一点を見詰めたままボールペンなど齧ってて、どう見ても真面じゃない感じ。


 最終的には、俺の奇行を気味悪がった同僚や上司によって早退させられ、さらに二~三日は休めとのお達しが出た。もはや職場での俺のキチガイ認定は待ったなしの状況だろう。


 めんどくせぇ……なんでこんなことになってんだ? 俺は悪くねぇのに、俺が一番ダメージ受けてるじゃん。理不尽過ぎるだろ。


 ――なんか、急に怒りが湧いて来た。


「ぁああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」


 俺が道端で大絶叫するもんだから、近くの通行人が何事かと振り返って見てきやがった。


 なんだよクソ!やんのかよクソ!


 側頭部と後頭部にラインを入れたツーブロックのイカツイ兄ちゃんと目が合ったけど、兄ちゃんは汚い物を見る目で俺を一瞥し、そのあとにスッと視線を外して歩き去って行った。


 残された俺は凄まじい孤独感と悲しみに涙した。マジ死にてぇ……。


 そうして、俺は泣きべそをかきながら帰宅。


 家の中に入って――もうなんかね、自分の家だと思えねぇの。俺の家っていうかさ、嫁さんと浮気相手の愛の巣?ヤリ部屋?って感じ。


 実家にでも帰るかなぁ。でも、俺の両親ってば金にがめつい毒親なんだよなぁ。俺が就職したときなんて、今まで掛かった養育費だの食費だのを返せとか、いきなり一千万円要求されたし……。


 そうして悩みながら、無音の玄関に一人で佇んでると、また涙が溢れてきたわ。しかも、腹の底じゃあ怒りと憎しみが煮え滾ってる状態。もう情緒不安定この上ねぇよ。


 寝れねぇし、飯食えねぇし、酒酔えねぇしでもうボロボロ。心身ともに折れそうだわ。


「あー、でもー、やることやんなきゃなー」


 平坦な口調でもあえて声に出さねぇともう身体が動かねぇよ。つーか、自分の声に感情が乗らな過ぎて自分の声じゃないみたい……。


 そんでもって、俺は荷物を置いて着替えてから、自分の車で興信所の事務所に向かうことにする。


 もちろん、今さら浮気の証拠を積み上げようってわけじゃあない。そんなもんは、行為撮りやらメールやらで十分だ。俺が知りたいのは浮気相手の素性。ヤツを丸裸にしたいのだ。


 はじめての興信所行きの結果、依頼はすんなりと通った。元警察官がオーナーの興信所らしいから、もっと“正義”みたいな依頼理由とか必要なのかと思ったが、別にそんなことはなかったぜ。前金を払って嫁さんの浮気相手であるタケルの身辺調査を依頼した。


 分かり次第連絡をくれるらしいが、俺の心身がそれまで持つかが問題だな。


 できるだけあの家にいたくねぇし、このまま車で少し仮眠を取ることにしよう。


 目を閉じると、夢なのかフラバなのか、嫁さんのひまりと浮気相手のタケルが、様々な体位で汗と体液の飛沫を上げてヤリまくってる映像が頭の中を駆け巡る。


「うぐ……っ」


 自分の呻き声に意識を覚醒させ目を開ければ、車内はもう薄暗かった。


 時計を見ると、夜七時。


 まぁ、三時間くらいは寝れたのか? 正直かえって疲れちまった気がするけど、少しでも寝れたのは良かったはずだ。


 欠伸をしながら運転席のシートと共に身体を起こすと、強張った筋肉が痛み、顔に浮いた脂汗が気持ち悪く、喉もカラカラなことに気が付いた。


ヤベェな……今の状況で風邪なんか引いてらんないんだけど……。


 俺は車を走らせて国道沿いのドラッグストアに立ち寄り、栄養ドリンクやビタミン剤、胃薬に適当な食い物なんかを買い込んで、車に戻り次第にそれらを胃の中へと送り込んだ。


 もう味だの何だのは二の次で――とにかく全部に片を付けるまでは体力が続いてくれなきゃ困るんだよ。


 久しぶりの食物に、しばらくはリバースしないようにとじっと堪える必要があったが、なんとか落ち着いた。


 そんで、今度は顔に浮いた脂汗を拭くために、ダッシュボートに入っているはずのウエットティッシュを取り出す。


すると――。


「おいおい、マジかよ……」


 ダッシュボードから、ポロリと落ちたのはコンドーム。当然、俺の覚えのないヤツな。


 あのクソ共、この車でラブホとか行きやがったのか? いや、まさか、この車内でヤリやがったとかじゃあないだろうな……?


 不安になって探してみたら、案の定つーか、中身のコンドームを取り出したあとの外袋が、助手席シートの下なぞに落ちていやがった。


 あーあ、ここでヤってなきゃ、このゴミは出ねぇよなぁ……。


 もうサイアクじゃねぇかよ。あのアバズレとサルはどんだけ盛ってんだよ。家も車も汚しやがって、絶対に許さねぇよ。


 激しいムカつきを覚えるが、深呼吸をしながら顔を上げる。掛け値なしにぶっ殺したい気分。でも、情けねぇけど、今はこれ以上の心労はちょっと勘弁だわ。


 凝り固まった首を回しつつ、顔を上げて見てみれば、バックミラーに写る自分の顔は酷いもんだった。目はうちくぼんで隈ができ、頬がこけて顔色も悪く……まるでゾンビじゃねぇか。


 正直、家に帰って休みたい。でも、その家はアバズレとサルのヤリ部屋であるという事実。いや、それ言ったらこの車もか……。


 時計を見ればもう夜十時。


 ついでにスマホの方も確認してみると、なんと浮気アバズレこと俺の嫁さんであるひまりから、メッセージなど入っていやがった。


ひまり:『今どこいんの?』


ひまり:『今日のご飯当番そっちだよ?』


ひまり:『でも今日は私作ってあげたから早く帰って来なよ』


 こいつ、マジでなんなん? ここ数ヶ月、家事当番すっぽかしまくって浮気してた奴が、たった一回食事当番代わったくらいで自分から触れてくるとか頭湧いてんのか?


 さすがの俺も――イッッルァアアアアッッ!!と来た。


 静かにブチキレた俺は、荒々しく車を発進させる。


 頭に血が上ってガンガンと響くように痛み、デコや目ん玉は火でも吹きそうなくらいに熱く、さらには視界がブレて、鼻が詰まって呼吸も苦しい。


 これって、完全に風邪ひく前のヤツだわ。しかし!今はそんなの知ったこっちゃねぇんだよ!


 俺は怒りのままに自宅まで車をかっ飛ばした。


 自宅前に着くと、車のドアを叩き付けるように閉め、玄関前のスロープを踏みつけるように上がり、玄関ドアをもどかしく解錠。そして、乱暴にドアを開いて家に足を踏み入れた。


 オラァアアアッッ!!!!


「ォラッぁ――っ??」


 俺の殺気十分の雄叫びは、残念なことに不発に終わってしまった模様。


 俺が玄関に踏み込んだ瞬間、見ていた景色がグルリ回り、次いでガクリと膝が崩れ落ちた。


 ヤベェ……い、意識が……。


「なっ――ちょ、ちょっと!どうしたのっ!?」


 玄関に出て来た浮気嫁のひまりが、慌てて俺の方に駆け寄って来やがった。


 クッソ、触んじゃねぇよこのアバズレが!テメェが触ると余計に体調が悪化すんだろうが!今すぐにどっかに失せやがれ!


 叶うなら、思いつく限りの罵詈雑言をぶつけたかったし、力の限りに打ん殴ってやりたかった。


 でも、もう意識が朦朧として限界で、なんもできねぇわ……。



 × × ×



 翌朝、俺は誰かの話し声に意識を覚醒させた。


『しばらく会えないから……』


『はぁ?だから、旦那が倒れちゃったのっ……!』


『とにかくしばらく掛けて来ないでっ……!』 


 電話でもしてんのか? くぐもった嫁さんの声が止んだ。


 つーか、この様子だと俺ってばベッドに寝かされてんの? だったらマジでサイアクだわ。嫁と浮気相手が散々にヤリまくったベッドなんざ、気分が悪くてしょうがねぇよ。


 だけど、実際動けるようになるまでは、ラブホのベッドだとでも思って我慢するしかねぇんだろうな……。


 諦めの境地で力を抜くと、途端に意識が飛び、また悪夢がやって来た。


 俺の目の前では、嫁さんのひまりと浮気相手のタケルが汗だくのヌルヌルでうごめいている。二人とも、俺のことなんか見えないみたいに激しく腰を動かし合いながら、きつく抱き締め合って、濃厚なディープキスを交わしている。


 ――やめろ!やめろ!


 俺が何度叫んでも、二人は止めない。


「やっ――ろ……っ」


 またしても、自分の呻き声の目覚め、サイアクな気分だわ。


 まぁ、とりあえず、身体を起こして部屋を見回してみると――ん、なんだこりゃ?書置きか?


 ベッド脇のサイドテーブルの上に、一枚のメモ紙が置かれていた。


『お鍋におかゆが作ってあります』


 浮気嫁ひまりの文字だった。


 まだ少しフラつくけど、この穢れたベッドに寝てるよりマシだろう。俺は寝室を出てキッチンへと向かうことにする。


 俺はまだ覚束ない足取りで、キッチンまでやって来た。


 メモ書きの通り、コンロには鍋が置いてあって、その中身は真っ白なおかゆだった。


 え……マジかよ。嫁さんが作ったの? あいつの手料理とか、一ヶ月振りくらいじゃね?


 正直なところ、自分が弱っているところにこの気遣いは嬉しいはずだ。俺が結婚前の独身野郎だったならば、これだけでコロッとオチてしまっただろうよ。


 だがしかし、この真っ白なおかゆを見て、俺が最初に思ったことは――。


「これ、浮気相手の精液とか入ってねぇだろうな……」


 思わず口に出しちゃうくらい疑念いっぱいなんだわ。というか、もうおかゆがタケルの精液にしか見えねぇレベル。


 例えば、精液混入ストーリーとしてこんなんはどうだろう?


 昨日の夜、俺が玄関でぶっ倒れたあとに、浮気嫁ひまりが浮気相手タケルを呼んで、俺が寝てるベッドのすぐ横でファックして出た精液を、このおかゆに混入させて俺に食わせようとしてるとか……。


 いや、美味そうなおかゆに罪はないし、いくら浮気嫁とはいえ気遣いには感謝しなきゃならんのだろうけど……。


 だがしかし、約一年間も浮気を続け、家や車を汚し、行為撮り、おもちゃ……数々の裏切りをして来た事実が、俺の目を曇らせて、良心と価値観を歪めてしまっている。


 平たく言うと、なんも信用ならねぇ……。


 俺は、無言でおかゆを流し台に捨てた。


 流れて行くおかゆに胸を痛めながら、俺は愛していた自分の嫁さんの厚意を受け入れることはもう二度とできないのだと思い知り、酷く悲しくなった。


 結局、朝と昼は柔らかく湯がいた冷凍うどんを自分で作って食い、あとの時間は寝て過ごすことにした。もちろん、精神衛生上、浮気現場のベッドで寝るわけにもいかず、リビングのソファーで横になった。


 まぁ、ソファーも安全か分かったもんじゃねぇけどな……。


 疑念は尽きなかったが、リビングのソファーで悪夢にうなされながらも浅く短く睡眠を取り続け、食事も僅かだが腹に入ったためか、体調の方は少しだけ良くなった気がする。


 そして、何度目かの浅い眠りから目を覚ましたところに、嫁さんの浮気相手の身辺調査を依頼していた興信所から、電話が掛かって来た――。


『ああ、ご主人様でいらっしゃいますか? 今、電話大丈夫ですか? 一度、調査報告をしたいんですが……』


「ええ、大丈夫です。お願いします」


『はい。まず対象の氏名、年齢、住所、家族構成、勤め先、役職の有無、それらが分かりました。最終的には報告書にしてお渡しになりますが、いつ頃なら都合が良いですか?』


 それに対し、俺は体調不良であることを正直に伝え、報告書は後日取りに行きたいと希望した。


『あー……そうでしたか……うーむ……』


 あれ、何かまずかったか? 興信所の人の反応が、なんか微妙なんだけど……。


『ええっと、ご主人、これは大変言い難いんですが……ご主人の奥様ですが、本日も対象の男と会っていますね』


「は?」


 突拍子もなさ過ぎて、声が裏返っちまったよ。


『いえ、その……今日の午前中なんですが、私ども別件で駅近くのホテルを張っていまして……そしたらそこに、ちょうど奥様と対象の男が現れまして……』


 そんでもって、二人は腕組みながらホテルに入って行ったってことらしい。


『浮気調査の依頼は受けていませんけど、身辺調査の背景が奥様の浮気ということだったので、一応写真を撮ってしまったのですが……』


 申し訳なさそうに言う興信所の人だけど、そこはむしろグッジョブだよ。


 これでまた一つ、浮気嫁の人間性が明るみに出たって感じ。今朝は『旦那が倒れたから会えない』だの『連絡するな』だのと浮気相手に電話していたようだが、やはり浮気嫁には人の良心や常識など欠片もないらしい。


 俺がおかゆを食わずに捨てたことは、決して間違いじゃなかったんや!


 それなのに俺ってヤツは、いくら自分が弱っていたとはいえ、あんなメモ書きやらおかゆやらで一瞬でも絆されそうになるなんて……猛省しなきゃならん。


 そんで改めて思ったね、ヤツら外道畜生に情けなんて無用だってことをなっ!


「そうですか、分かりました……」


 ――と、喉奥から出た震え声に、自分が思いのほかショックを受けていることに気が付いた。


 いや、まぁ、さすがにショックだよ。俺がぶっ倒れて朝から寝込んでるのに、その隙に午前中から堂々と浮気相手とホテル入りとか……。


「じゃあ……一応ですけど、調査を依頼した男の名前や住所だけ、先にこの電話で教えてもらって良いですか?」


 興信所の人は、口頭にて浮気相手のフルネームと現住所を教えてくれた。


 俺はそれをきっちりとメモってから、調査報告書は明日の朝一番で取りに行くことを伝えて電話を切った。


 よし、浮気相手のクソ野郎の素性が分かったぜ!


 氏名は、蒲池タケル。


 住所は、ネットで調べたところ、俺の家から二駅離れた場所にある新興住宅地の一角を指示していた。


 蒲池家は新築なんだろうか? 地図で見る限りは結構デカそうな家だな。タケルってのは金持ちなのか? まぁ、何にせよ、良いご身分だわな。


「うーん……どうするか……」


 ――よし、決めた。いっちょ敵情視察に行ってくるか。まだ本調子とは程遠いが、嫁さんと浮気相手が汚したこの家にいるよりはずっとマシだしな。


 そうと決まれば、俺はさっさと着替えて家の車に乗り込んだ。


 そんでもって、車を走らせること数十分。


 興信所の報告通りの場所に、蒲池家――蒲池タケルの自宅はあった。


 やっぱり、ネットの地図で確認したときの見立て通り、蒲池家はデカイ新築の住宅で、周りの環境も比較的新しい住宅が立ち並ぶ新興住宅地だった。


 俺は車を目立たない場所まで移動させ、嫁さんの浮気相手の家をしばし観察することにする。


 これから目にもの見せてやる相手のことだし、情報は一つでも大いに越したことはないからな。


 すると、ちょうどそこに、浮気相手タケルの家族だろうか? 高校生くらいの男女が連れ立って、タケル邸に入って行くではないか。遠目だけど、女の子の方が玄関のカギを開けているのが見て取れる。


これで、あの少女が蒲池家の人間であることはほぼ確定……そんじゃあ、隣の男子は何だろうか。兄弟?それとも友達か、彼氏か?


 格好はどちらも学生服を着ており、少女の方はブレザーで、男子の方は詰襟学生服を着ている。


 二人顔を合わせて微笑み合い、実に仲睦まじい感じ――ああ、これ、カップルだわ。


 俺とひまりにだって、あんな時期もあったんだけどなぁ……。


 なんだか無性に悲しくなって、もう帰ろう。


 俺は車のキーを回してエンジンを掛けた――ところで、思い出した。


 そうだ、ちょうど良いからついでにもう一つ用事を済ませておこう。


 そうして、俺は自宅とは違う方向に車を走らせ、やって来たのは心療内科。


 はじめて来るけど、事前の調べじゃ予約なしでも良いって書いてあったし、大丈夫だよなぁ?


 駐車場に車を止めたあと、恐る恐る、病院の中へ入って行く。


 そう、俺はここに、精神的に参っているだとか眠れてないだとかの診断書を取りに来たのだ。もらえるかは分からんけど、やれることはやっておかないと。


 そんで一時間後、俺の心配とは裏腹に、呆気なく診断書も薬も出してもらえた。色んな意味でほっと一安心。来た甲斐があったってもんだわ。


 俺は久方ぶりに微かな達成感というやつを感じながら、自宅方面へと車を向ける。途中でコンビニなどに寄りつつ、ゆっくりと帰路に就いた。


 そして、結局家に着いたのは夜七時くらいだった。


 気持ちは軽かったが、体調は如何ともし難く、身体を引きずるように玄関を開けて家に入ってみれば、浮気嫁のひまりが腰に手を当て仁王立ちで待っていた。


「ちょっと、どこ行ってたの!具合が悪いのに出歩くとか馬鹿じゃないの!心配してたんだから!」


 いやいや、心配してたとか言う癖に、電話の一本、ラインの一つも送って来てねぇだろ。まぁ、送れるわけねぇよな。今まで浮気相手とホテルで頑張ってたんだろうからよ。なんつーか、コイツの言動、存在、全てが失笑物だわ。


「聞いてるの!?」


 うっせーな……。


「あ? スポーツドリンクとかゼリーとかそういうの買って来たんだよ。おまえに頼もうにも一日出掛けてていなかっただろ。どこ行ってたんか知らんけど――」


 思いのほか冷たい言い方となって、自分でも驚きだわ。やっぱ、こっちが体調崩してるときにまで浮気相手とホテル行かれたのは、我ながら失望度が高かったようだ。


「はぁ?しょーがないじゃん、私にも予定があったんだから……っていうか、なにその言い方、いちいち拗ねないでよ、めんどくさいなー」


「ッ――ふぅ……だから、自分で買って来たって言ってんだろ。疲れてんだよ、一々突っかかってくんな……」


 あ、危なかった……。浮気嫁があまりにクソ憎たらしい顔をするもんだから、思わず本気で打ん殴りそうになったわ。だいたいコイツ「心配してた」とか「予定があった」とか、どの口でほざいてるんだよ。


「はぁ!?だからなにその態度!ウッザ!」


 俺は騒ぐ浮気嫁をシカトして風呂場へと向かう。もう風呂入って、薬飲んで、さっさと寝ちまおう。これ以上話してると、マジで殺しかねん……。


 だが、嫁さんの方はまだ言い足りないのか、俺のあとを追い回して来て文句を垂れてきやがる。


 当然、そんなものは全部シカトして、俺はさっさと風呂に入って薬を飲んで、リビングのソファーで寝る体勢に入った。


 しかし、嫁さんはまだしつこくそこにいて、「なんでベッドで寝ないわけ?」「当てつけとかキモい」「風邪悪化しても面倒見ないから!」とかツッコミどころ満載の文句を言っていたが、所詮は浮気するようなヤツ、言うだけ言って自分が満足したらさっさと寝室に引っ込んだ。


 はぁ、こっちは体調わりぃし寝るって言ってんのに、いつまでも好き勝手騒ぎ立てやがって……あれで心配だとか風邪悪化だとかよく言えるわ。


 思い出すとむかっ腹が立ったが、もらったお薬の力は絶大で、俺は直ぐに気を失うように眠りに落ちた。



× × ×



 翌朝、俺は嫁さんが起きて来る前に、出勤する体で家を出た。


 薬の影響か体調不良の影響か、まだ少し頭がぼうっとするけれど、久しぶりにちゃんと寝られた気がするわ。今後の動きのために診断書をもらう目的で医者に掛かったんだが、体調面にしても良い判断だったみたいだな。


 自分の判断を称えつつ、車を走らせること数十分。


 約束の時間より少し早かったが、俺は興信所の事務所へと辿り着いた。


「ああ、お待ちしてました。早速ですが、こちらが報告書です」


 応接スペースに通されて、報告書を前に説明が始まった。


 氏名と住所は先に電話で聞いているから良いとして、蒲池家の家族構成は、嫁と娘が一人と同居の義父と義母――もしかして、タケルは婿養子なのか?


 さらには、勤め先と役職について、タケルってのは地元の建設会社で専務をしていて、そこでは次期社長って扱いらしい。


「もうお気付きかもしれませんが、調査対象の男性は婿養子のようでして、勤め先の建設会社の社長は奥さんの父親のようですね。跡取りとして婿入りしたみたいです」


 続けて、興信所の人は心なしか声の質を固くして言う。


「それと、電話でも伝えましたが、一応こちらも……」


 差し出されたのは、嫁のひまりと浮気相手のタケルが、腕を組みながらホテルへ入って行く瞬間や、ホテルの駐車場でキスしている写真。


 電話でも聞いたが、俺が寝込んでいたときのものらしい。改めて見ると、キツイものがあるね。俺が寝込んだのをチャンスとばかりに、ホテル行きとか……マジで浮気しか頭にねぇんだろうな。


 そう思いながらも、俺が敗北感と惨めさに打ちのめされていると――。


「もし弁護士事務所が必要でしたら、うちから紹介することもできますが……」


 提携までは行かずとも、贔屓にしている先でもあるのか、興信所の人が申し出てくる。


 いや、もちろん俺も調べたよ。浮気されたあとの段取りとか。でも、慰謝料だの弁護士だの協議離婚だのと……なんかどれも実感湧かんし、俺の中でしっくり来なかったんだよな。


 それに、だ。今この場で、嫁さんと浮気相手がニヤケながらホテルに入って行く写真を見て、ホテルの駐車場で無防備に唇を押し付け合う二人の写真を見て、俺の中で、色々なことへの諦めと決心がついた気がする。


「いいえ、弁護士は大丈夫です」


 断りを入れ、総額数十万はする料金の話をして事務所を出た。もうここに用はないし、さっさと金を払い込んで終わらせよう。


 俺は早速銀行に寄って、調査料金を払い込む。ちなみに、金は自分の口座のではなく、家計の金を使った。もう隠す必要もねぇし、別に良いよな。


 そして、俺はさらなる準備を進めるために家へと戻った。


「え、なんでもう帰って来たの?」


 家の玄関を開けると、嫁さんがちょうど出掛けるところだった。


 嫁の言葉に、帰ってきちゃいけねぇのかよ!と絡みたくなるのは、嫁さんがバッチリメイクで出掛ける様子だったから余計にだろう。チッ、また浮気かよ。


「あぁ、顔色悪いから早退しろって言われてな。代わりに週末出るから」


 本当は元から休みだが、ちょうど良いし週末に休出する予定になったと伝えておく。


「あ、ふーん、そうなんだ。わかった。じゃあ、私ちょっと出掛けて来るから」


 実際には表情の変わっていない嫁さんが、ほくそ笑んでいるように見えるのは、俺が自分の休日出勤の中に自宅でナニが行われているかを知ってるからなんだろうな。


「どこ行くんだ?帰りは晩いのか?」


「は?んー、パート先の人と会ってくるだけ。帰りは分かんない、っていうか、いちいち聞かないでよ」


 急いでいるのか、嫁さんは苛立った様子で鍵も閉めずに出て行った。


 はぁ、もう色々と諦めたつもりなのに、やっぱ嫁さんが浮気に出掛けて行くのを見んのはキッツイもんがあるわ。


 でも同時に、このタイミングで家に一人になれたのはラッキーとも言える。


 なんせ、今から俺は、自分で発見した浮気の証拠や、興信所からの報告書と写真、今朝尾行して撮った浮気相手縁者の画像、ついでに俺の診断書、それらを後々のためにも見やすくまとめなくちゃならんのだ。


 正直、もう一度嫁さんの痴態を見なきゃなんないのはしんどい。しかし、やらねばらならない。


「おっし!」


 パンパン!――とベタに頬など叩いて、俺はフラバの悪化覚悟で証拠の編集作業を頑張った。



× × ×



 それから数日間、嫁さんの浮気動画などを見直した影響で、カウンセリングと薬の量は若干増えてしまったが、俺は怒りと復讐心を糧に自分でも信じられないくらい精力的に動いていた。


身の回りの物の現金化、会社への挨拶と説明、チケットの手配、自分の荷物を宅急便で送ったり、ガムテープや防犯グッズを買ったり……。


 自宅からは俺の荷物が明らかに減っていってたんだけど、嫁さんはまるで気付いていない様子。というか、気付いていたとしても指摘するほどの興味もないんだろうな。


 しかも、ここ数日は、嫁さんが浮気に出掛けようとする度に俺が「何処に行く」「何時に帰る」と聞くものだから、嫁さんも辟易したように溜息をつき、今や何を話し掛けても全てシカト。家の中の空気はマジでサイアクの状態。


 でも、ちょっとしたことで直ぐに絆されそうになるヘタレな俺からしたら、かえって良かったのかもしれん。おかげでブレることなく終わりに向かって邁進で来た。


 そんでもって、運命の週末前夜。


 その日、翌朝の浮気のためか早めに帰って来た嫁さんと、俺は数週間振りに食卓を共にしていた。


「クリームシチュー、どうかな? 好きだっただろう?」


 まだ結婚する前、同棲時代の頃から、誕生日やらクリスマスやら互いの記念日やらには、必ず作ってくれとせがまれた。思えば、あのときが一番幸せだったのだろうな。嫁さんも頑張って色々なものを作ってくれたっけ……。


 俺は当時を思い出し、スマホを見ながらシチューを口に運ぶ嫁さんに問いかける。


「え――?あ、うん、美味しいけど……」


 嫁さんが顔を上げ、戸惑った表情を見せる。


 まぁ、そうだよな。ここ最近、俺たちの間には会話らしい会話なんてなかったからな。俺は家にいる間はとにかく心中穏やかじゃなくて、いつも冷ややかでいて苛立っていたし、嫁さんの方だって俺に対して常に嫌味ったらしくふてぶてしかった。


「そりゃ、良かったよ。これを最初に作ったのって、確かまだ俺らが学生の頃だったよな」


 おもむろに思い出話などはじめてみたりして……俺としたことが、ちょっと感傷的になっちまってるらしい。ひまりのヤツも、俺の妙な雰囲気を感じてなのか、今はいつもの嫌味やふてぶてしさも鳴りを潜めている。


 これが最後なんだし、ちょっとくらいしんみりしたって良いよな。


 それから、少しだけ酒などを飲みつつ、食後のほんの短い間だけ思い出話に花が咲く。


「それじゃあ、私も明日ちょっと予定あるから。あなたも休日出勤でしょう、早く寝なね?」


 しかし、嫁さんの頭の中は、浮気相手を自宅に引っ張り込んでの逢瀬のことでいっぱいなんだろう。嫁さんは翌日の浮気のために普段よりも早く寝るつもりらしい。


 そうして、一人残されたダイニングで、静かに溜息を漏らして両肩を落とす。


 あーあ、なんか最後の最後まで惨めな気持ちにさせられたわ。俺との思い出話よりも、翌日に浮気相手とヤリまくるために体力の回復かよ。どんだけ全力でヤるつもりなんだよ。


 この期に及んで、ウジウジといじけている自分が、ホント情けなさ過ぎるわ……。


 実のところ、思い出話で少しでもひまりが戻ってくるようならば、通常の浮気の問い詰めから一度ケジメを付けた後に行く行くは復縁も視野に入れて――などと、未練がましくも痛々しい妄想をしていたのだが、完全に俺の独り相撲、自慰行為でしかなかったようだ。


 今日までウダウダ言いながらも行動し、証拠を集めて、その間に繰り返される嫁さんの浮気にも耐えて来た。


 それなのに、俺ってヤツは、最後の最後で日和って救済策を用意したつもりが、これだよ。


 話し始めは多少のしんみり感のあった思い出話だって、結局は俺の方が語るばかりで、最終的には嫁さんが「もう寝る」と言うので数十分で打ち切られる始末。


 イメージとしてはこんな感じ。


俺『フ――完璧な制裁の準備をしたけど、最後の最後に嫁さんと俺の愛と絆を信じてチャンスをあげるぜ☆ さぁ、俺の腕の中に戻っておいでハニー!』 


嫁『うわ……何この人、いきなりナルって昔話とかはじめてキモいんですけど。あ、私は明日、好きな人とデートなんでもう寝ますね。昔を振り返るならひとりでどうぞ。あと、明日は私のカレシ来るからさっさと休出に行って家を空けてね?邪魔だから』


 うぐぅおお~……っ!!み、見えるぅうぅ!俺の嫁さんのひまりと浮気相手のタケルが、二人して俺を嘲笑っていやがるのがぁ~っ!!


嫁『ねぇねぇ、私の旦那がさぁ、昨日いきなり変な雰囲気出して思い出話とかして来たんだよぉ~。キモいよねぇ~』


浮気相手『うはっ、マジかよ!甲斐性なしな上に頭の病気とか、マジ終わってんな』


 そんな、地獄のような妄想から帰還したあとも、うふふ、ははは、という二人の笑い声が、俺の頭の中で反響し続ける。


 キモい、甲斐性なし、頭の病気……結局のところ、俺が妄想する嫁さんと浮気相手の言葉とは、妄想である以上、俺が自分に向けた言葉に過ぎない。浮気されてからの卑屈さが、ここに来て妄想癖にランクアップした感じ。


 ああ、鬱だわ……。


 テンションが下がって行く。


 俺は薬を飲んで、リビングのソファーへと移動した。


「明日には、全部終わる……終わるんだ……やっと楽になれる……」


 照明を落とした暗いリビングで、それこそ精神病者の如く、俺は一人で呟き続けるのだった。



 × × ×



 翌朝、出勤する体で家を出て、家の近くに停めた車の中から様子を伺っていると、直ぐに浮気相手のタケルが我が家にやって来やがった。


 チッ、俺が出て直ぐにかよ。どんだけ盛ってんだよ。


 嫁さんが笑顔でドアを開け、浮気相手の腕を引いて家の中に招き入れている。まるで新婚みたいだなぁ、なんて乾いた笑いがもれ出たわ。


 クッソ、もう今すぐに行ったろうかな!?


「ふぅ……いや、ダメだ。少し落ち着かないと……」


 怒りなのか、悲しみなのか、これからやることへの緊張なのか、とにかく神経が昂っているのが分かる。


 これから浮気現場を押さえに行くのだ。恐らくは、もっと衝撃的な光景を目の当たりにするだろう。冷静に、何よりも冷静にことを運ばなければならない。


 俺は深呼吸をしつつ、これ以降の自分の行動予定を今一度入念に確認し、気持ちを落ち着かせることにする。


 浮気現場を押さえる道具として、ガムテープに防犯グッズ、タオル……オッケーだな。車のエンジンは掛けっぱなしで、カーナビはもう次の目的地を設定して案内を開始しておくか。家を出るときに置いてくる書類や手紙も用意して――と。


 そうこうしてる内に、数十分程が経過していた。


「……よし、そろそろ行くか――」


 満を持して、車を動かし家の前へ。


 俺は玄関をそっと開け、用意しておいた防犯グッズ――“スタンガン”を持って、俺とひまりの寝室へと忍び寄る。


『っー!ッ!ッ!ッ!っ~~!』


 寝室のドアは閉まっているのに、家中に響き渡る獣のような嬌声。


 俺は吐き気を噛み殺し、音も無くドアを開けた。


 すると、咽返るような熱気と湿気、ベッドや部屋の軋む音、自分の嫁さんのよるリアルタイムの浮気現場の惨状が、嫌というほどに鮮明に俺の中に飛び込んで来る。


「ぉおおおっ!ひまりぃ!ひまりぃーっ!!」


 浮気相手のタケルが、俺の嫁さんの上に圧し掛かっていて怒鳴るように嫁さんの名を叫んでいる。


 激しく絡み合うクソ二匹は、激しい音と唸り声を上げながら行為に夢中になっていて、俺の存在には全く気付いていない。


 俺は素早く交わる二人に近付いて、俺の嫁さんに圧し掛かる浮気相手にスタンガンを押し当ててスイッチを入れた。


「ッアエ゙ア゙ァッッ――!!!」


 奇妙な叫び声を上げ、浮気相手のタケルは、嫁さんの腹上に糸が切れたように突っ伏した。当てたのが首の後ろだったためか、意識はあるが肩や腕が小刻みに痙攣して声も上げられない様子。


「え、なに?なに?」


 急に力の抜けた浮気相手に狼狽える嫁さん。そして、やっと俺の存在に気が付いたようだ。


 お互いに目が合って、思わず固まっちまったよ。でも、準備していた分、俺の方が復活が早かったみたいだな。


 俺は浮気相手に圧し掛かられて身動きが取れない嫁さんに近付き、予め用意していた丸めたタオルをその口の中に突っ込みガムテープで蓋をする。


 当然、意識がある嫁さんからの抵抗はあったがそれは条件反射のようなもので、彼女が本格的に抵抗しはじめたのは、俺が裸で重なり合う嫁さんと浮気相手の手足をガムテープでまとめて固定している最中だった。


「んんー……っ!!」


「おい、抵抗すんな。お前もお前のカレシも、殺すぞ?」


 強盗かな?と自分でも思ったが、脅しの効果は絶大で、嫁さんは顔面蒼白になって唸るばかりでほぼ無抵抗になった。嫁さんの見開かれた目からは涙が零れ始める。


 おいおい、ざけんなよ、泣きてぇのはこっちだっての。


 悲しみを込めたスタンガンを時々タケルの首筋にお見舞いしながら、俺は粛々と作業を進めたね。そんでもって、気が付くと、俺も泣いてたわ。


 ひまりもそれに気が付いたのか、唸るのを止めて驚いたようにこちらを見詰めて固まっている。


 俺は、ひとりでに呟いていた。


「俺はさ、ひまりのこと、大好きだったよ。でもさ、大好きだからこそ、裏切られたと知ったときは、死にたくなるほど辛かった。連日寝れねぇし、飯を食っても吐いちまう。仕事も全然集中できなくて、最後にはぶっ倒れちまった。今こうして浮気の現場を目撃してんのも、スゲー辛いよ。信じられるか?瞬きする度に、自分の嫁さんと知らねぇ男が汗だくでヤリまくってるところが浮かぶんだぜ?気がおかしくなるっての……っ」


 自分の口からもれ出た声は、平坦で静かなものだった。


 他にも言いたいことは山ほどあるが、今は時間を掛けてはいられない。


「愛してたひまりに何年も裏切られてて、それどころか結婚さえも偽装で、しかも俺との子供も浮気のために堕胎していたなんて……俺はもう、生きて行くのに疲れたよ……」


 おまけと言ってはなんだが、嫁さんがしゃべれないのを良いことに、盛大に罪を盛って悲しみをアピールしとく。長年の浮気だとか、偽装結婚だとか、堕胎だとか、嫁さんからしたら堪ったものじゃないだろうな。


 案の定というか、圧し掛かる浮気相手といっしょに固定されて動けず、その上に口まで塞がれた嫁さんは、聞き捨てならないだろう言葉の数々に顔を真っ赤にしながら唸りを上げている。


 う~ん、実に良い気分だ――!


 俺は笑いを堪えてとどめに入ることにした。


「俺はさ……もう死ぬよ。だから、せめてものお願いだ。俺が死ぬまでの少しの間は、黙ってそっとしておいてくれないか?」


 俺は自分のスマホを取り出して、嫁さんと浮気相手の汗だくヤリまくり動画を再生させる。


「そうしてくれたら、こういう証拠類を関係者に送ることはしないと約束する。ごめん、最後までひまりの恋路を邪魔して悪いと思ってる……でも、もう二度と会うことはないからさ……」


 暗に、「今日のことはしばらく黙っていろ、さもなくば全部ぶちまける」との脅しをしとく。


 次に、記入済み離婚届を取り出す。


「もちろん、離婚届は直ぐに出してかまわないから……」


 嫁さんのひまりが、ここ一番の唸り声を上げて暴れはじめた。ボロボロと零れる涙は何の涙なんだろうか。顔を真っ赤にし、んーんー、と唸っている。


 俺は浮気相手のタケルに目を向けた。


 あ、コイツ。気絶した振りして話聞いてやがるな。今ちょっと薄目開けてたのが見えたぞ。なんか今さらだけど、浮気野郎の人間性を垣間見た感じだわ。


 さらに、嫁さんの腹上で弛んだ尻肉を晒しているタケルの後ろ姿にムカっ腹が立った俺は、嫁さんが隠し持っていた大人のおもちゃを持って来て、それを力任せにタケルのおケツの穴ルに思い切りぶっ刺した。


 吠えるタケル。


 エビ反りになって持ち上がった頭にスタンガンを当てる。なんかシーソーみたいだ。


「イ゙……ギッ……デ、メッ……ァ、こんなっ……ことっ、して……っ」


 浮気相手タケルは、度重なる電流と菊門責めにより息も絶え絶えの様子。彼は精いっぱいの虚勢を張りながらも、ケツの痛みのためか、僅かに腰を引いたスタイルで震えていて笑えて来る。


 俺は、タケルのケツに刺さった大人のおもちゃを、足でさらに奥へと深く蹴り入れた。


「ッイ゙ィィイイ゙イ゙ーーーッ!!!!」


 おもちゃが根元までぶち込まれ、タケルが断末魔を上げながらまたエビ反りになる。俺はおもちゃが出て来ないように、ガムテープをパンツのように巻き付けて、しっかりと固定した。


「ふぅ……ああ、これは失敬」


 そう言いつつスタンガン。タケルが静かになった。


「まぁ、ここまでしておいてなんだけど、ここでのことは黙っていた方が貴方にとっても良いと思いますけどね。ただでさえ、婿養子で仕事も地位も世話してもらった立場じゃ肩身が狭いでしょう。その上に浮気までなんて……」


 俺はスマホに入っているある画像を表示させてタケルの前に持ってくる。


「そんなことを知ったら、娘さんも悲しみますよ。貴方も自分に良く似た娘さんは可愛いでしょう?こんなのが広まったら、引き篭もりになってしまいますよ」


 スマホ画面に表示されているのは、浮気相手タケルの娘と思しき少女が、詰襟学生服の男子といっしょに蒲池家に入る場面。


「なっ、あ――っ!」


 俺は、タケルの顔が驚愕に染まるのを確認してから、もう一度首にスタンガンを当て、最後に嫁さんに向けてこう言った。


「それじゃあ、ひまり、今までありがとう。幸せにしてあげられなくて、ごめん。俺はどんなことをしてだってひまりを守って行く覚悟だったけど、それは俺の寒い独り善がりだったよ。だから、せめて慰謝料は請求しないし、俺をそっとしておいてくれれば、二人を邪魔することもしないよ。じゃあ、お幸せに――」


 さすがに白々しいかとも思ったが、嫁さんが俺を見ながら必死に唸りを上げる様子にひとまず満足。


 俺は背を向けて、その場をあとにした。


 寝室を出て、玄関のところにこれ見よがしに手紙などを置いておく。


 そして、家の玄関ドアを出ると同時に、俺は犯行現場を立ち去る犯罪者の如く慌ただしく車を急発進。逃走を開始した。


「ヤッベ!マジでヤッッヴェ!」


 口からほとばしる声は興奮にしゃがれて、時折意味不明な甲高い雄叫びをあげては全力で喜びを表している。きっと、脳内麻薬が出まくりなんだろうな、自分でもどうかと思うくらいだわ。


 いや、でもさ、暴力はダメだったとか、きちんと手順を踏むべきだったとか、いろいろと思うところはあるけれど、とにかく俺は自分のやりたいようにやってやったんだ、っていう達成感があるわ。


 正直、馬鹿なことをしたとは思うよ。浮気どころか、それ以下の暴行犯に成り下がってしまったし、結果的には、二人の浮気を認めて俺が逃げ出したようなもんだ。でも、スッキリはしている。


 ここ数週間で俺が受けた屈辱や苦しみは、あの場で彼らの自由を奪い、尊厳を踏みにじって痛ぶることで、多少なりとも回復したと感じている。結末はどうであれ、ヘタレの俺にしては、上出来じゃないだろうか。


 そんでもって、ここからはヘタレの本領発揮、逃げの一手だ。


 慰謝料や社会的制裁はないが、相手にとっての爆弾(浮気証拠)を持ち、一方的に別れを告げ、暴行と脅し、その後の話し合いには一切応じず、その上で手紙や発言で自殺を示唆、そして姿を消す――。


 甘いかもしれんけど、俺程度じゃあこれが精いっぱいだ。


「そういえば、あいつらを拘束したままで出て来ちまったけど……ガムテープだし、大丈夫だよなぁ?」


 いや、もうどーでも良いことか。なるようになるだろうし、上手く行けば俺は数日後には機上の人だ。


 とにかく、まずは実家に帰ろう。正直、金にがめつい毒両親とは会いたくはないのだが、ちょうどおあつらえ向きのシチュエーションだし、こんなときぐらいは役立ってもらおうじゃないか。


 嫁さんを失い、仕事も止め、家も出て、慣れ親しんだ街も離れ――ああ、きっと俺は後悔するだろう。今は良くても、フラバや不眠にも苦しむかもしれない。金が無くなれば慰謝料をふんだくっとくんだったと思うに違いない。


 でも、少なくとも、今このときは満足している。それで良しとしよう。


 見慣れた景色が後方に流れ、住み慣れた街が遠ざかる。不要なものは全てここに置いて行くつもりだ。


 俺は胸に穴が開いた分、軽くなった心持ちで車を飛ばした――。








 × × ×








 今日も特にやることもなかったため、俺は都市部から程近いビーチへと足を延ばしていた。


 白い砂浜にエメラルドグリーンの海。そよ風が頬を撫でて、打ち寄せる白波が清々しい。


 ああ、いいね。外国の海なんて、新人のときに行った研修旅行以来だわ。


 俺は異国の海を眺めながら、懐かしき日本での修羅場のことを思い出す。


 それはもう半年も前のことだ。あの日、嫁さんのひまりと浮気相手のタケルを縛り上げて脅した俺は、その足で自分の実家まで逃走した。


 実家では、事前に連絡していた金にうるさい毒親コンビが、息子の俺から金をせびろうと待っていた。二人は阿吽の呼吸と夫婦漫才のようなコンビネーションで、俺が滞在する間の宿泊費だ、光熱費だ、食費だ、サービス料だとはじまり、果ては、介護費の積み立てだの仕送り額を増やせだのと言い出す始末。


 俺は辟易したが、まずは嫁さんが浮気したこと、本人達には自分なりの制裁を科し、慰謝料は取っておらず、公にしていないこと、そして、嫁さんへの手紙を置いて来たことなどを説明した。


 毒両親は、慰謝料を取っていないことについて怒り狂い、「情けないやつだ!」「そんなんだから浮気されるんだ!」「今からでも金をとって来い!」「相談料として半分寄越せ!」――自分の親ながら、とんでもない連中だよ……。


 だから、俺は自分で編集した証拠の数々を親に渡してこう言った。


「詳しくは資料に書いてあるけど、相手は会社の役員なんだわ。だから、自分の浮気が原因で元旦那が自殺だの失踪だのって騒がれたくないだろうから、上手く行けばもらえるんじゃないか?」


 もちろん、もらえないかもしれない。嫁さんと浮気相手が、俺の暴行をきちんと警察に届けた可能性だってある。


 まぁ、この時の俺からしたら、場を引っかき回してくれれば何でも良かったんだ。


 そして、俺の思惑通りに、説明を聞いた両親は「親戚総出で行く!」と息巻いていたのを覚えている。


 そのあとは、俺は一日だけ実家に泊まり、翌朝には予め用意していた新幹線のチケットで国際空港のある県に移動。そこからは、格安航空で東南アジアへと高跳びする運びとなった。


 そんでもって、東南アジアでチマチマと暮らすこと半年間。現在に至るって感じだ。


 もうスマホも変えてしまったし、パソコンもない。親にも何処へ行くとも言ってはいない。前の職場も鬱病と不眠症で強引に辞めただけで事情は何も話していない。俺のことを知ってるヤツは、もう誰もいない。


 逆に、俺も向こうがどうなったのか知らない。元嫁さん、浮気相手、毒両親……もう全部に片が付いてるんだろうか?


 俺も、もう半年後くらいには、日本に戻って何か仕事をはじめなきゃならん。今は格安のドミトリー暮らしでそう金も掛からないけど、俺のなけなしの貯金が底をつく前には帰国して、新しい生活基盤を作らないと。


 あれから半年、周りの環境も関わる人間も大きく変わった。最初こそフラバに苦しみ、怒りや悲しみが押し寄せて来たが、今では緩やかに引いて行っている。


 記憶も怒りも悲しみも、寄せては返す波のようだ。


 波打ち際に立った俺は、遠い地と記憶の彼方に思いを馳せた――。



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