第149話 地獄耳

『実はな、蒼髑髏の大海賊バルバロが幽霊船に負けたって噂があんだよ』

『あ? バルバロって、あのバルバロか? 海賊の黄金時代、その生き残りの?』

『そう、そのバルバロだ。まだ俺もガキの頃だったから、全然そんな実感なんてないんだけどよ、その頃の北方の海はどこも荒れていたらしいぜ? そんな中で最後まで名を売っていたバルバロは、正にその時代を代表する海賊だった訳だ』

『ああ、まあそのくらいの事なら俺も知ってるけど…… 幽霊船ってのは?』

『元々サウスゼス王国の近海には、幽霊船やら巨大な触手やらのオカルト話が結構あったんだが、どうも最近になってそれら話が現実に起こったみたいでよ』

『えっ、実際に見た奴が居たのか?』

『見たどころの話じゃねぇ。見た上で船が沈められちまったんだ。高名な商人の私設艦隊や、その辺りで暴れていた悪党共の船がことごとくな。中には国の戦艦もあったみたいで、一時期サウスゼス王国中が混乱したんだってよ。生き残って帰って来た水夫達がその証人になるんだが…… まあ、アレだ。恐怖のあまりなのか、揃いも揃って錯乱状態だったみたいでな。どうも要領を得ない話ばかりだ。幽霊船の海域に入った途端、海が真っ黒に変色した。仲間の船が幽霊に憑依されて、こちらに攻撃を仕掛けてきた。どこに居ても悪魔の声が、頭の中に直接語り掛けてくる――― 他にも色々あったようだが、どこまで本当なのかは分からねぇ。唯一ハッキリしてんのは、沈没っていう物理的な被害が、ある海域で何度もあったって事だけだ』

『実害出まくりじゃねぇか! まさか、バルバロの船も同じように……!?』

『どうもそうみてぇだ。聞いた話じゃ、奴は最後に立ち寄った港町で、相当やりたい放題をしたらしい。だからなのか、その時に発した海賊達の言葉を住民達は強く覚えていたんだそうだ。例の幽霊船騒動があった海域に行くと、そう言っていた事をな』

『そ、それから……?』

『最初に言った通りだよ。以降、バルバロとその手下達の姿を目にした奴はいねぇ。ただ、これもたまたま耳にした話なんだが…… バルバロの蒼髑髏の海賊旗、そいつを付けた難破船がどっかの浜辺に打ち上がっていたんだと』

『こっわ~~~…… それ、ぜってぇ幽霊船に負けて沈められたんじゃん…… つか、黄金時代の海賊も歯が立たない幽霊船って何者だよ? 古の海賊王が復活したとか、そういうオチか?』

『さてな、海賊船の正体についてはさっぱりだ。まあ案外、ぶっ殺されたバルバロもその幽霊船の船団に加わって、今も暴れていたりしてな』

『笑えねぇ冗談だ…… 陸の上も海の上も、物騒どころの話じゃねぇ……』

『仕事がクッソ忙しいとはいえ、こうして酒を飲めている俺らは幸せなのかもな。さっ、物騒な噂話はこれでしまいだ。んな事よりも飲め、浴びるほどに!』

『ああ、こうなったら飲んでやる! 人生最大の幸福を胃袋に詰め込んで―――』


 ―――とある山中、手にしていた大剣を地面に突き刺し、それを椅子代わりにして優雅に座る女の姿があった。彼女の名はラナ・バッフォル、単独でバトノーレ帝国を壊滅させ、その後に二人の宣教師に猛烈な恐怖を植え付けた、張本人である。


「……こんなところでしょうか」


 目を瞑ったままピクリとも動かなかったラナが、その言葉を皮切りに大剣の椅子から立ち上がる。この場所から遥か遠く離れた街の酒場、そこで行われていた全ての会話・・・・・を正確に聴いていた彼女は、自身の目的に関連する情報を選別していたようだ。


「私に教えてくれないのであれば、盗み聞きをするしかない。そう思って耳を澄ませた訳ですが…… これは一体全体どういう事でしょうか? なぜ、誰もジモルの名を口にしない? 声を発する人数からして、あの酒場は結構な規模でした。多少の年月が経過したとはいえ、ジモルの名は遠い未来にまで轟いていた筈です。なのに、なのに――― これはおかしい、絶対におかしいです。ハッ! もしや彼の国の上層部が、意図してジモルの名を口にする事を禁じている……? なるほど、そこまでしてジモルの輝かしい経歴を妬みますか。ええい、実に汚らしい……!」


 全身をわなわなと震わせ、その長い髪までをも浮き上がらせるラナ。いっその事、そのような王は打ち取ってしまった方が世の為なのでは? などという考えが頭に浮かび、彼の国の王城がある方角に視線が行く。


「っと、いけませんいけません! この身はジモルを捜し出す事を最優先としているのです! 地上の有象無象をいちいち相手していては、ジモルが待ちくたびれてしまいます! しかし、こうも情報がなくては一体どこに向かえば良いのか…… 出会う人々は皆冷血な方ばかり、誰もジモルについて教えてくださいません。やはり、まずはトップを殺して箝口令を排除すべき? ですがですが、全ての国々でそれをするのは些か時間が掛かってしまいます。ジモルは寂しがり屋ですからね、きっとその間に寂死さびしに至ってしまうでしょう。ううーん、本当にどうすれば……」


 ラナが大剣の周りをグルグルと回りながら、ああでもないこうでもないと頭を悩ます。暫くそうしていた彼女であったが、ふと何かを思い出したのか、ピタリと足が止まった。


「そう言えば、有象無象のどうでもいい会話の中に、バルバロという名前が出ていましたね。ええと、どこかで聞き覚えがあるような、そんな気がするのですが……」


 聞き覚えがあるが、いまいち思い出せない。そんな様子で唸るラナ。彼女の脳内の大部分はジモルによる情報で占められており、それ以外の事柄については、どうやら全く容量を使うつもりがないようだ。


「ジモルと離れ離れになってしまったショックからなのか、前後の記憶が曖昧なんですよね、私。うーん、我ながらおっちょこちょい♪ 尤も、ジモルとの尊い記憶はそのままですし、無駄な記憶を排する事ができたと考えれば、お得だったのかもしれませんが。ともあれ、ともあれです」


 ラナは地面に突き刺していた大剣を抜き、再び耳を澄ませ始める。


「……誰だかは知りませんが、バルバロという名に聞き覚えがあるのは事実。私とジモルの愛と光に満ちた明日の為にも、足を延ばしてみる事に致しましょう。有象無象の話から察するに、向かうべき先はあちらですね。少しばかり距離があるようですが、海にまで辿り着いてしまえば、あってないようなものです。ジモル、待っていてくださいね。最愛の私が迎えに行きますから……!」


 ラナは『可聴域』というスキルの亜種に当たる力を有していた。聴き取る事ができる周波数の範囲を拡張するのが、このスキル本来の力だ。しかし、ラナの場合は周波数の範囲に加え、発せられる音との距離間を無視する事が可能となっている。要は誰がどこに居て、どんなに小さな声で内緒話をしようとも、確実に耳にできるほどの地獄耳なのだ。無論、その距離には制限はあり、世界中どこでもという訳にはいかない。大陸の中央に立って、その陸地全土を丸っと範囲に収めるのが精々で、今回の酒場のようにある程度範囲を狭め、集中して聴く必要もある。 ……但し水中であれば・・・・・・、これら条件はその限りでない・・・・・・・のだが。


「それにしても、黒い海ですか。私とジモルの愛の巣である海を汚染するとは、本当にどうしようもないお馬鹿さん達のようですね。その幽霊船とやらは解体して、海の餌にしてしまいましょう。死して尚この世に未練を残すだけでなく、多方面に多大な災厄を振りまくとは、何と下劣な事か。ジモルの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですよ、まったく。 ……おい、何勝手にジモル汁を飲もうとしているんですか? それは私のもので、当然私が飲むのです。下劣は下劣のまま死になさい」


 ブツブツと何かを呟きながら、ラナがゆっくりと歩み出す。目的地が定まった今、彼女は真っ直ぐ最短でそこへと向かうだろう。途中、城や砦があろうとも、凶悪なモンスターの住処があろうとも、全く意に介する事なく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る