愛しのハニー

澄田こころ(伊勢村朱音)

★序

 君と想いが通じるまで、きっちり五分かかる。どんなに僕が君の事を想っていても。どんなに君といっしょにいたくても。


 最近会いたいのに、会えない日々が続いている。ごめんね、忘れたわけじゃないよ。みんな暑い夏がいけないんだ。


 怒り狂った太陽が容赦なく、窓辺にたたずむ僕をいたぶる。大事な大事な君への想いや、虚栄心が体の中で沸騰し、端っこからゆらゆら蒸発していくんだ。そうしたら僕の心は無味乾燥、死にたがりのメンヘラみたいになってしまう。


 こんなみっともない僕を、誰が必要とするだろう。ここにいる価値なんかないんだ。僕なんかただのゴミにすぎない。そう思ったら、ますます心は乾燥していく。

 そんな自分が嫌で嫌でたまらない。


 身を隠すように暗くて涼しい快適な空間へ逃げ込み、ホッと息をつく。でも、たちまち、自己嫌悪。

 僕のなまっちろい体と脆弱ぜいじゃくな精神が憎い。太陽の光を存分に浴び、黄金色こがねいろの体と強靭な精神を手に入れたい。って思っても、あの機械がないと無理なんだ。


 こんな体では、君を受け止める事もできない。あー、世の中はなんて理不尽なんだ。軟弱な僕を捨て去り、新しい体が欲しい。


 自分に心底嫌気がさし、逃避癖のついた僕はそこで夢を見た。夢に逃げたんだ。わかってる、ちっとも建設的じゃないってことは。それでも、僕は夢の中で自由になる体を手に入れ有頂天だった。


 今から夢の話をするね。夢の中でなぜか僕は、女子高生になって眠ってるんだ。夢を見ながら眠っている僕は、その夢の中でも眠ってる。不思議だね。僕にもどうしてだかわからない。

                   *


 重たいまぶたの向こうが明るくなって、朝だってわかる。でも、ぐずぐずして目をあけられない。学校にいかないといけないのに。


 朝が爽やかだって言ったのは誰? 体が重くてしかたがない。朝って意地悪。寝ている時には気づけない夜の恋しさを、わざわざ教えてくれる。

 それでも夜を引きずってお布団の中に居続けるのは、無理なの。もうすぐ、お母さんがおこしに来るってわかってるから。


 えいやっ、て気合を入れて起きたんだけど、女の子の体が恥ずかしいからすごく照れてしまう。

 それから、女子高生の身支度が始まる。


 食事の時間をけずっても、前髪にアイロンは必須。そこが決まるか決まらないかで、一日の気分が違うって夢の中の僕は――ううん、私は――ちゃんとわかってる。


 今日の寝ぐせは手強い。たっぷり時間をかけ、真っすぐにした前髪を鏡で確認。

 目が大きすぎるけど、肌はぬけるように白い私の顔。その白くて四角いおでこに、真っ黒で真っすぐな前髪。そして、耳がちょこんと出てる。うん、かわいい。


 そしたら、台所から、お母さんの声。

「トーストだけでも、食べていきなさーい」

「そんな時間なーい」


 私は制服のジャケットに袖を通し、ダイニングテーブルを通過。……するけれど、三歩下がって、お皿の上のサラダといっしょにおかれたトーストを口へくわえる。


「お行儀悪いでしょー。もー」

「いってきまーす」


 重い玄関ドアを開けると、高い高い青空が目に飛び込んでくる。秋の涼しい空気に鼻がひくつき、くしゃみが出た。

 やだ、みっともない。誰かに見られてないかと、あたりをうかがう。よかった誰もいない。

 ポケットの中のスマホを取り出し時刻を確認。大変遅刻しちゃう、急げ急げ。走りながらトーストを一口かじる。揺れる体で、モグモグしてもうまく飲み込めない。喉がつまりそう。学校で食べよっと。


 あの角を曲がると、坂の上にある真四角な鉄筋コンクリートの校舎が見える。そこを勢いよく曲がった途端、黒い電信柱みたいなものにぶつかり、手にしたトーストを落っことした。

 電信柱の正体は、同じ学校の制服を着た男子。黄金色に焼けたとっても健康そうな顔をしている。でも、私は彼を知らない。


「やっべ、でも大丈夫。三秒ルールでこれまだ食べられるから」

 そういってその男子は、アスファルトの上に落ちたトーストを、ひょいっと拾い差し出す。


「いやだ。そんなのもう食べられない」


 私の拒絶の言葉にも動じることなく、彼は小首をかしげた。


「えっ、いらないの? じゃあ、俺にくれよ。ちょうど朝飯抜きで腹減ってたんだ」

「ええっ? ちょっと……」


 止めようとした私の言葉は空振り。パンパン砂ほこりをはらって、半円形の歯形がついたトーストに彼は躊躇ちゅうちょなくかぶりつく。


「信じらんない!!」


 人がかじったトーストを食べるなんて、衛生的に悪いでしょっ。おまけに、道に落ちたんだよ、それ……。

 ちがう、そうじゃない。そうじゃない。女の子の食べかけだよ。それを男子が食べてる。今、目の前で。歯形のついたところもきれいさっぱり。


 それって……間接キ……ス?


 顔がだんだん真っ赤になっていくのがわかる。怒りなのか、恥ずかしさなのか。わからない。たまらず、もう一回どなってやろうと大きく息を吸い込んだ。その瞬間。坂の上から、まのびした予鈴のチャイムが聞こえてくる。


「ごちそうさん。ありがと」

 爽やかに手をあげる彼と、呆然とする私。食パンを咀嚼そしゃくしながら、一気に校門目指して駆けあがっていく彼。私は一人、置いてけぼり。


 朝日を受け、上下に揺れる背中へ「ばかーーー!!」って言ってやった。

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