恋する生き物

三草きり

01 発見

 大野月子はいたってまじめな生徒で、授業中も話しかければ答えてくれるけど、自分から積極的に話しかけるわけではなくて、ただ大人しい生徒だと認識していた。

 大野月子のクラス、一年四組が学年一うるさいからかもしれない。先生たちの中でも、「一年四組は反応がいい」とか「私語が多すぎる」とか、いろいろ言われている。それには俺だって同感だ。入学式の時から、「ああ、このクラスはうるさいな」と確信していた。なにせ、点呼の間に、余計なことを考えている奴が多すぎる。可愛い女子の名前を暗唱している男子、はげかけた透明な爪のことばかり考えている女子、早く終われと叫ぶのが数人…etc. 自分が担任を務める五組の点呼をする前に、もう大分脳みそが疲れ切っていた。

 そういう時は、きまって煙草を吸ってしまう。生物教師たるもの、健康には気を遣おうと思ってはいるけれど、精神的な疲れを癒すのに、煙草とビール以上に適任なものは、今の俺にはなかった。

 今日だってそうだ。こうやって、電信柱の陰に隠れて煙草を吸っている。そうしている間は、ぼんやり、何も考えずに、何も聞かずにいられる。でも今日は、どうしても大野月子のことを考えてしまっている。


 自分でも不思議だと思う。どうしてかは全然わからないけれど、俺は子供の頃から人の心の声を聴いていた。テレパス、っていうんだろか。もちろん、聴こうと思わなければ耳に入れないように、考えないようにできるようになったけれど、自然と耳に入ってしまう時もある。

 今日は、テストが終わった直後だからか、いつも以上にうるさかった。慣れっていうのは不思議なもので、慣れてしまうと、精神の疲れる度合いが変わってしまうらしい。日常的な学校生活ではなかなか疲れなくなっていた心が、今日、波に襲われたように一気に遠くへ行ってぼんやりとしていた。渡り廊下で「静かだなあ」とまったりと海を眺めていた時、突然、誰かにぶつかった。それが、大野月子だった。「ごめんなさい」とだけ言ってすぐ去って行ってしまったけれど、俺はその瞬間の静けさを、はっきり思い出せる。

 心の中で何も考えていない人間なんて、この世には絶対にいない。

 でも、大野月子の心の声は、聴こえなかった。

 いつも静かな場所にいるときは、自分一人だった。誰かと一緒に静かな空間にいるだなんて、あの瞬間が初めてだったのだ。

 

 生ぬるい風が前髪を揺らす。ふと時計を見ると、すでに十分以上経っていた。あんまり長居すると学年主任に怒られる。でも今日あげた腰はあまり重くなかった。学校へ戻る足も、全く重くない。

 すれ違った陸上部の子に、「先生スキップ下手ですねー」と言われるまで、自分の気持ちが思った以上に高揚していることに気が付かなかった。

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