53.衝突
曇天から降る雪。風も無く音もない、耳が痛くなりそうな程の静寂の中。彩りを失った冬景色の中で、ラルとシルヴィスの赤い髪だけが鮮やかだった。
「死ぬ覚悟は出来た?」
恐ろしい程に穏やかな声は、シルヴィスのものだ。笑みの形に歪んだ唇から紡がれる言葉に、相変わらず熱量は感じられない。
「オレは死なない。お前を止める」
ラルは脱いだ手袋をコートのポケットに突っ込んだ。掲げた手の平に小さな炎が渦を巻いていく。
「僕に敵わないのはもう充分過ぎる程に、その身に刻まれていると思ったけ、ど……何だよそれ、何で指輪を……」
肩を揺らしていたシルヴィスの雰囲気が一転する。その視線はラルのしている族長の指輪に向けられていた。
「……指輪が
「守るべき里の民もいない今じゃ、ただの肩書きにしか過ぎないが……オレには族長としてお前を止める義務がある。それがこの指輪に籠められた先代達の願いだ」
「ふざけやがって。先に生まれただけの能無しのくせに」
嘲る言葉。悪態。
シルヴィスの声に初めて感情が乗った気がする。先程までよりも熱を感じる、呪詛の声。
その声にあてられてしまったのか、気付けばわたしは口を開いていた。
「ラルが指輪に認められたのは、その心が里を守る族長に相応しいからでしょう。たとえあなたがいくら強くても、秀でていても、人を傷付けるあなたの事を過去の族長が選ぶわけない」
「黙れよ、この苗床女が」
「いや、苗床になんてなってないし。なる気もないし」
「もちろんオレもさせる気はないよ」
ラルがわたしの前に立つ。
族長の指輪からラルの炎に光が流れ込んでいて、とても綺麗だった。
「僕を認めない里なんて僕を厭う族長なんていらない。兄さんもだ。この世界はやっぱり一から作り直さなくてはならない。ハルピュグルこそが至高の存在だとこの世の全てに知らしめないといけないんだ」
早口に呟くシルヴィスはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。
「アヤオ、下がって。結界を」
「うん……」
ラルは警戒した様子で、シルヴィスから目を離さない。わたしは小さく頷くと数歩だけ後ずさって、腰につけたポーチから魔導具である光の玉を二つ出した。
これはギルドマスターから渡されているものだ。ラルとシルヴィス、ハルピュグルで爆炎魔法を使う二人がぶつかったら森に被害も出てしまう。森を、神殿を守る為の結界でもあり……わたしやラルに何があっても、シルヴィスを逃がさないようにするものでもあった。
わたしは光の玉に魔力を流して、それを放り投げる。
ひとつは神殿の結界に向かって、もうひとつはわたし達の頭上高くへと、まるで意思をもっているかのように飛んでいく。
その刹那、目が焼ける程の強い光が迸る。ぎゅっと固く目を閉じるも、光はすぐに引いていったようだ。開いた視界に残る光の残滓に瞬きを繰り返しながら光の玉を探すと、神殿の結界を守るようにひとつ。もうひとつはわたし達を覆う大きなドームとなっていた。
「ふん、小細工ばかり得意な人種のやりそうな事だ」
「お前を逃がすわけにはいかないからな」
示し合わせたかのように、二人の背に鷲の翼が現れる。美しくどこか神々しくさえある大きな翼。気付けば二人の手も鉤爪へと変化していた。
同時に地を蹴った二人は、翼に風を受けてぶつかり合う。シルヴィスの鉤爪を弾いたラルが回転しながら足を伸ばす。シルヴィスの腹に届きそうだった蹴りは容易く避けられてしまって、反撃の鉤爪がラルの頬を傷つけた。
……正直、目で追いかけられない。それほどまでに早い二人の動きに、わたしは呼吸さえ忘れてしまいそうだった。
いつのまにか胸の前で組んでいた両手に力が籠る。
どうかラルが死にませんように。どうかラルが勝てますように。
何に対してかも分からない、願いだけが胸の中を駆け巡る。
ラルの顔に、体に傷が刻まれていく。同時に焼かれているのか、見えるのは火傷ばかりだ。後ろに飛んで距離を取ったラルはその場に膝をついた。
出来るだけ手は出さないように言われているけれど、こんなの黙って見ていられるわけもなくて。
「白と白 青と蒼 そよ風の口付け 揺れて刻む
小さな声での詠唱にも、風の精霊は応えてくれる。四枚羽でラルの元に飛び立った精霊は、羽から白と蒼の粉を落としてラルの傷を癒していく。ラルが驚いたようにわたしへと目をやって、すぐに笑みを浮かべてくれた。
「羽虫か」
シルヴィスがそんな言葉を落とすのと、炎の矢が精霊へと打ち出されるのはほぼ同時だった。
身を翻らせる精霊に届きそうな炎が、ラルの鉤爪で霧散する。わたしの元に戻ってきた精霊は怒っているようで、シルヴィスの事を睨んでいた。
「なかなかいい魔法を使う。それだけ精霊に好意を持たれているのなら、いい苗床に――」
「ならないって言ってるでしょ!」
わたしが叫ぶのと、ラルが飛ぶのはほぼ同時だった。翼を使い一気にシルヴィスとの距離を詰めたラルの鉤爪を、シルヴィスは体を捩るようにして避ける。宙に飛んだシルヴィスは頬を伝う血を手荒く拭った。
「くははっ、兄さんはその苗床女にご執心のようだ」
苗床苗床連呼するのは本当にやめてもらいたいんだけど。
「お前にアヤオは渡さない」
「死んだ後の心配なんてしなくてもいいと思うけど?」
シルヴィスは低く笑うとラルに向かって急降下する。勢いをつけたシルヴィスは炎を纏わせた両の鉤爪をラルに振るう。それに炎塊をぶつけたラルは後ろに飛ぶも、それを読んでいたかのようにシルヴィスが更に距離を詰めた。
そしてシルヴィスが爪を振り上げる。首を狙ったその一撃を、ラルは両腕を顔の横で重ねて防いだ。
――ゴキ……ッ
ぞわりと総毛立つような奇妙な音がした。
ラルの蹴りがシルヴィスの腹に入って、シルヴィスは大きく距離を取る。しかしその酷薄な笑みは薄れない。
ラルは片腕をだらりと垂らして、肩で大きく呼吸をする。その額には脂汗が浮いていた。
腕が折れている。回復魔法を展開しようとしたわたしを制したのは――ラルだった。青と紫の混ざった瞳でわたしを見つめ、首を小さく横に振る。その口元には笑みが浮かんでいた。
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