51.雪の夜、甘い夜

 抱き締める腕から力が抜けていく。

 その頃には、濡れていたはずのラルの髪はすっかりと乾いてしまっていた。


「……ごめん。アヤオにはいつも情けないところばかり見せているねぇ」

「情けなくなんてないし、わたしはラルを受け止めたいと思ってるよ」

「……ありがとう」


 目の端を赤くしたラルは、わたしの鼻先に唇で触れる。その唇が降りてきて、吐息が唇に触れた。啄むようなキスを繰り返されて、頭がぼうっとしてしまいそう。

 重なる唇が燃えるように熱くって、何度しても慣れそうにない。だけどもっとしてほしい。青藍の瞳に映る自分が知らない顔をしていて、羞恥に固く目を閉じた。



 唇を離したラルが用意してくれたのは、湯気が立ち上るミルクティー。

 雪のせいか今夜は冷える。部屋の室温を少し上げて、わたし達は眠る前にお茶を楽しむ事にした。

 ソファーに並んで座って、大きなブランケットを二人の肩に掛けて寄り添って。お行儀が悪いけれど、両手に持ったカップを立てた膝の上に乗せるとぽかぽかとして気持ちがいい。


「指輪のおかげか何なのか分からないんだけど、あの夜の記憶が戻ってさ」

「っ、ごほ……っ!」


 何でもない事のようにさらりとラルが言うものだから、少しずつ飲もうとしていたミルクティーが勢いよく口の中に入ってきた。火傷をするほどの温度ではなかったけれど、噎せてしまったわたしの背中をブランケットの下でラルが撫でてくれる。


「大丈夫?」

「うん……っ、平気……」


 何度か咳を繰り返し、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら頷いて見せた。


「その日は里の集会があってさ、ハルピュグルがこの先どうしていくべきかを話し合っていたんだ。外界と融和して、不可侵を解消して国とも手を取り合っていく。そう決まった夜だった」


 ラルはミルクティーを一口飲んでから、手を伸ばしてカップをテーブルへと置いた。その手でわたしの肩を抱き寄せるから、体を預けて凭れかかった。


「家に戻る途中の道にシルヴィスが立っていて、融和の事について咎められた。それについて話していたら急に攻撃をされて、避けたけどシルの炎がオレの顔に届いた。その次の炎を弾こうと、オレも炎を出したけど力負けしちゃったんだ。全身を焼かれて、オレは幼体になった。……命を留める為の防衛反応だったと思うけど、オレも炎を出してなかったら多分その一瞬で死んでいたと思う」


 淡々と紡がれていく過去のお話。

 その凄惨さにミルクティーを飲む事も忘れて、わたしはラルの顔を見つめていた。


「そこに爺様が割って入って、オレを連れて逃げた。その後にシルは里のみんなを襲ったんだろうけど……オレがあの時シルを止める事が出来ていたら、みんなはまだ生きていたのかもしれないねぇ」

「それはラルが悪いわけじゃない。里の人が死んでしまった原因は、ラルじゃない」


 わたしははっきりと言い切った。

 ラルとシルヴィスの間に何があったとしても、里を滅ぼしたのはシルヴィスだ。ラルは困ったように笑って、ありがとうと小さく囁いた。


「オレを襲った事で、シルヴィスはもう引き戻せなくなったのかもしれないし、振り切ってしまったのかもしれない。その後に里で何があったのか……オレは『滅びた』としか言う事が出来ないけれど、きっと皆、辛くて苦しい思いをして亡くなったと思うと……オレはやっぱりシルヴィスを許す事が出来ないんだ」


 ラルの声に悲哀が滲む。悲しみを飲み込むその声に、わたしは頷く以外に出来ないでいた。


「明日はアヤオが辛くなるような事もあるかもしれない。でも、オレは……アヤオに傍に居て欲しい」

「そんなの、傍に居るに決まってるでしょ。何を見ることになっても、痛い思いをする事になっても、わたしは一緒にいるって決めたんだ。それにね、わたしは風魔法も使えるし回復師でもあるんだよ。何があっても、ラルの事は死なせない」

「……ごめんね、ありがとう。本当だったら明日は家で待っていてって言えたらいいんだけど……アヤオがいないと、きっと勝てない」

「ラルがわたしを大事にしてくれているのは分かってるけど、わたしだってラルを大事に思ってるんだよ」


 ラルはふ、と表情を和らげると、わたしが手にしたままのカップを取り上げてしまう。だいぶ温くなったとはいえ、手の中から温もりが消えてしまうと何だか物寂しい。ぶるりと体を震わせると、先程までよりも強い力で抱き寄せられた。


「あー好き。ほんっと好き」

「え、なに急に」

「アヤオが可愛すぎて言いたくなる」

「意味わかんないよ」

「大好き」

「うん……わたしも好きだよ」


 甘さを含んだ声で想いを告げられると、それを間近で聞いている耳がじんじんと熱くなってくる。手持ち無沙汰な両手を膝の上で組みながら自分からも想いを告げると、わたしの体はあっという間にソファーに倒されてしまっていた。

 覆い被さるラルと、二人に絡み付くブランケット。長い赤髪が顔の横に落ちてくる。


「ちょ、……ラル?」

「大丈夫、何もしない。……まだ・・

「いや待って、何その付け足したようなわざとらしいやつ!」

「アヤオは可愛いねぇ」


 わたしの文句も気にした様子なく、顔横に肘をついたラルが唇を寄せてくる。

 額、目元、頬、耳、そして唇。振り落ちる口付けとこの体勢に、わたしの心臓は今にも壊れてしまいそうだ。


「ねぇ、今日も一緒に寝てもいい?」

「え、それは……」

「何もしないから、いいよねぇ?」


 キスの間に問いかけてくるくせに、返事を聞くつもりはないようで、わたしの唇が塞がれる。息継ぎの合間にも好きだとか可愛いだとか囁かれて、もうおかしくなってしまう。


「愛してる」


 ラルは本気でわたしを殺しにかかっているんじゃないだろうか。

 羞恥と幸福感と胸の奥からせりあがってくる切なさに、いっそ泣いてしまいたくなる。


「……バカ」


 漏れ出るような悪態も、裏返しだってバレている。たぶん、きっと。

 顔が赤い自覚もあるし、わたしの腕はラルの首に絡まっているのだから。


 低く笑ったラルはまた唇を寄せてくる。わたしはそれを受け入れて――胸の奥の切なさが埋まっていくのを実感していた。


 吐息も温もりも、この胸の奥の甘い疼きも。

 何もかも分け合って、何もかも埋めていけたらいいのに。青藍の瞳を見つめながら、ぼんやり願った。

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