50.雪の夜、静かな夜

 マスターと面会をして、二日が経った。

 王都では雪が積もっているらしい。そんな話を屋台の店主から聞いた日の夜、ここぺルレアルの街でも雪が降った。


 街灯に照らされて、はらりはらりと落ちてくる雪は幻想的でとても綺麗で。

 カーテンを開けて窓からそれを眺めていると、不意に後ろから抱き締められた。


「雪か、寒いはずだねぇ」

「また髪を乾かさないで出てきたの? 風邪引いちゃうよ」


 お風呂上がりのラルは、わたしと同じ石鹸の匂いがする。濡れた髪から滴がひとつ、わたしの肩に落ちた。わたしは回された腕に両手を添えながら、その体に寄りかかるよう身を預ける。


「アヤオに乾かしてもらいたくて」

「甘えんぼなんだから」


 そう言いながらも、ラルの髪に触れるのが好きなわたしとしては嬉しくもある。早速乾かしてあげようと思っても、ラルはわたしを抱き締めたまま動く気配がない。肩越しに振り替えると、ちょうど目線のあたりに銀の輝きがある。ラルのお母さんが大事にしていたロケットペンダントだ。

 ラルがするには少々鎖が短くて、この街に戻ってから丁度いい長さのものを探したのだ。それからラルは、ずっとそれを身に着けている。


「……どうしたの?」

「ん? ……何か離れがたくて」


 そう言うと、ラルはわたしの首元に顔を埋めた。肩と首の間、少し擽ったくて恥ずかしい。それでも、触れられて心が喜んでいるのがわかる。


「……明日だねぇ」


 明日。

 ギルドからの任務がある。


 亜人狩りの襲撃犯と目されるシルヴィス・アルナイル・フォン・ルプスの捕縛、もしくは討伐任務。

 ハルピュグルの里が滅びた原因を知っているマスターは、ラルにシルヴィスと対峙する機会をくれた。自分の手で決着をつけろと、そういう事らしい。もちろん不測の事態があった時の為に、ギルドマスターと『クオーツ』の面々、それから一兵団も待機してくれるそうだ。

 キリアさんに聞いたところによると、実は中々に大変だったらしく、何かあれば責任をギルドマスターが取ると言い切ったらしい。



 明日はそんな大事な日。

 ラルも色々と思うところがあるのだろう。


 わたしはラルの腕の中から抜け出すと、その手を引いてリビングのソファーに座った。まだ濡れたままの髪を、タオルでそっと拭いていく。


「そういえば、お父さんの指輪は?」


 お母さんのペンダントは着けているけれど、指輪はない。問い掛けるとラルは自室を指で示した。


「部屋に置いてある。あれはちょっと特殊な指輪でさ、オレがしていいものなのかちょっと迷ってて」

「……特殊な指輪?」

「うん。あれはね、族長の指輪。長を受け継いでから身に付ける事が許される特別なものなんだ」

「それは確かに特別だね。でも次期族長はラルだったんでしょ?」

「……だけどシルヴィスの方が秀でてるのは確かでさ、里を守る事の出来なかったオレに指輪をする資格なんてないのかもしれない」


 ラルは胸元のペンダントを握りながら笑った。眉を下げたその笑みは、自嘲しているようにも見えた。


「何もかもを考慮して次期族長はラルって決まったんだろうから、そんなに難しく考えなくても……って、これはわたしが部外者だから軽く考えちゃってるだけかもしれないけど」

「いや、アヤオのいう通りかもしれないねぇ。それに……里も既に無い。纏めるべき民もいないなら族長に意味もない。それなら父さんの形見と思うのがいいのかもね」


 そう言って立ち上がったラルは部屋へと向かう。

 すぐに戻ってきたその手は、拳の形に固く握られていた。


 わたしの隣に腰を下ろしたラルは、指の先でその指輪を持つ。わたしにも見えるように掲げてくれた指輪は、鷲の意匠が細やかに彫られた美しいものだった。幅は広く、鷲の周りには不思議な紋様がぐるりと刻まれている。


「綺麗な指輪だね」

「でもごついでしょ。小さい時に悪さをして拳骨を貰ったら、この指輪が当たって痛かったんだよねぇ」

「ラルも悪いことなんてしたの?」

「したした。と悪戯ばかりしてたよ」


 シルヴィスと呼ばなかった事は気付いたけれど、触れなかった。きっとあのロケットの写真のような、仲睦まじい兄弟の頃の話だろう。


「ねぇアヤオ。はめてくれる?」

「わたしでいいの?」


 差し出された指輪を受け取りながら、わたしでいいのかと確認する。にっこりと笑ったラルは頷きながら右手を差し出してきた。


「中指に」

「……なんか緊張する」

「どうして?」

「わたしの居た世界では、結婚する人達が指輪を……って、違うのはもちろん分かっているから気にしないで」

「え、気になる。教えて」

「今度ね」


 わたしは何を言っているんだ。

 これは形見の指輪で、はめる指だって違う。意味合いだって違うんだから、意識する事だって無いんだ。納得がいっていないようなラルに笑って誤魔化しながら、わたしはラルの右手中指に指輪を通していった。

 大きかった指輪がしゅるしゅるとラルの指に合わせて縮んでいく。管理院から預かった魔導具の指輪みたいだと思った時――指輪が穏やかな光を放った。 


「……え?」


 ラルが戸惑いの声をあげる。穏やかな光は柔らかく、見ているだけで心の奥に光が灯るような美しさだった。


「わー、綺麗だね」

「いや、そんなはずは……」


 溢れる光は次第に落ち着いて、後にはラルの指に馴染む指輪が残るだけ。ラルの手を取ってよく指輪を見てみると、肌と指輪がしっかりとくっついて離れないようになっているみたいだ。

 痛くないのかとラルの顔を見上げると――彼はその青藍の瞳からぽろぽろと涙を零していた。止まる事を知らないように流れる涙。その視線は真っ直ぐに指輪へと向けられている。


「……ラル?」

「いまの光、見た?」

「うん、見たよ。すごく綺麗で、心が暖かくなるような不思議な光だったよね。……どうしたの? 痛いの?」


 問いに首を横に振ったラルは、わたしの背に両腕を回して抱き締めてきた。わたしも腰から背に腕を回して体を寄せる。

 とくん、とくんと伝わる鼓動。震える吐息が耳にかかって擽ったい。


「……いまの光は、族長を継承した時に溢れる光なんだ」


 族長を継承。という事は……ラルが、ハルピュグルの里の族長になったという事?


「普通は儀式を行ってから指輪をするんだけど。……この指輪には初代族長のジェラルドをはじめとした、歴代の族長の想いが残っていると言われているんだ。その指輪に認められると指輪と指が一体化する。それが族長の証」

「……ラルのお父さんの想いも、この指輪に残っているんだね。お父さんもお祖父さんもラルの事を認めていたんだよ」


 震える体を宥めるように背中を撫でる。

 縋るように抱き着くラルの、全てを受け止めたいと思った。

 

 いつの間にこんなに好きになっていたんだろう。


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