16.鉤爪
四つ鐘の音に、空を見上げた。
日が暮れ始めた空は金にも似たオレンジ色に染まっている。薄い雲が夕映えて、とても綺麗な空だった。
お昼に食べたお弁当のサンドイッチが消化されたのか、お腹がぐぅと鳴る。そのサンドイッチが美味しかったのはもちろんだけど、ラルが採ってくれた木の実がとても美味しかった。アケビにも似た白い果肉が、さっぱりとした甘さで癖になる美味しさだった。
家でも食べようとラルが多めに採ってくれたから、今晩のデザートにしようと思っている。
「そろそろ帰ろうか」
「うん。アヤオはいつもこうやってお仕事をしていたんだねぇ」
身を屈める姿勢が疲れたのか、ラルは腰を伸ばして大きな伸びをしている。
「今日はラルと一緒だから楽しかったよ」
「そう言って貰えると嬉しい。オレ、役に立った?」
仕分けを終えた薬草類を敷布ごとマジックバッグにしまいこむ。
いつもわたしだけで採っていた数の倍以上。覚えの早いラルは手際もよく丁寧だから、品質は問題ないだろう。
「役に立ったなんてもんじゃないよ。すごく楽させて貰っちゃった」
「それなら良かった」
嬉しそうに笑うラルが、不意に真顔になる。わたしの前に立って警戒した様子で周囲を見回し始めた。
「……どうしたの?」
「何かいる。オレから離れないで」
魔獣の活動が活発になるのはこのくらいの時間からだ。魔獣が潜んでいるのなら、わたしが前に出てラルを守らなければ。そう思うのに、わたしの前に腕を出したラルはそれを許してくれなかった。
わたしは魔力を練ってアサルトライフルを具現化した。それを胸元に引き寄せ、わたしも周囲を探る。そしてそれはゆっくりと茂みから現れた。
カピバラを狂暴にしたような牙の鋭いムーレス。額から突き出た大きな角が特徴的な、猪にも似たフォルムのハバリファ。
二体は口からだらだらとよだれを垂らし、わたし達を食料として見ているのは明らかだった。
ムーレスはともかく、ハバリファの皮はとても厚い。一発じゃ仕留められないかもしれないけれど……。そう思いながらスコープを覗いた時、わたしの前にいたラルが地を蹴った。
思わずスコープから顔を離してしまう。
ラルは一気に距離を詰めるとその両手を魔獣達へと伸ばす。魔獣達が大きく口を開いたその瞬間、鈍い音が聞こえたかと思うと――二体ともぐったりと力を失っていた。
ラルが魔獣達の首を掴んでいる。……いや、刺さっている?
「……ラル?」
振り返ったラルは困ったように笑った。
「ごめん、驚かせちゃうかもしれない」
そう言ったラルが魔獣を離すと、息絶えている二体は地面に崩れ落ちた。
ラルの手が鋭い鉤爪に変化している。黒く美しい四本の鉤爪。魔獣の血に濡れている事に気付いたラルは、手を振ることで血を払った。
そうだ、ラルは亜人。
人とは異なる能力を持つんだった。
「それが……ラルの能力なの?」
「……うん。オレは――」
「凄いね、格好いい」
「え?」
「その爪、凄く格好いいと思う。力も強くなるの?」
「あ、うん。えっと……」
言葉を選んでいるかのように、ラルが口ごもる。視線を魔獣とわたしにさ迷わせているその様子に、わたしは思わず笑ってしまった。
「ラルが話せる時でいいよ」
「でも……」
「守ってくれてありがとね」
「……うん」
それ以上の問答をするつもりはなかった。話せないなら聞かないし、話せるなら聞きたいだけ。
アサルトライフルを消したわたしは、魔獣に近付くと防水仕様の敷布を取り出して、亡骸を転がすようにしてそれに載せた。魔獣達の首には鉤爪が刺さった跡があり、折れているのか首が恐ろしい角度に曲がっている。
ムーレスもハバリファも首が凄い太いんだけど……だからラルは鉤爪を突き刺したのかな。突き刺して、骨を掴んで折ったっていうこと? うん、凄いな。
人の形に手を戻したラルが、マジックバッグにしまうのを手伝ってくれた。
「アヤオのさっきの武器はなに?」
「あれはアサルトライフルっていう、わたしの世界にあった武器だよ」
「アヤオは元の世界でも戦っていたの?」
「ううん。殺傷能力の低い玩具で遊ぶ事はあっても、本物は一般人は持てないからね。戦うなんて事もない。少なくともわたしの居た国は、平和な場所だったんだ」
先に立ち上がったラルが手を出してくる。それを借りて立ち上がるけれど、ラルはわたしの手を握ったまま離してはくれなかった。
「戦いのない世界から来て、大変だったでしょ。でもこれからはオレがいるからね」
目を逸らす事も出来なくて、なんだか息が出来なくなる程に胸が苦しい。
「ありがとう、ラル」
震えそうになる声を誤魔化すように笑って、わたしは繋いだ手をそっと揺らした。
伸びた影も手を繋いでいる。その手の件にはお互いが触れないままで、わたし達はまた軽口を交わしながら街までの道を戻った。
夕間暮れに一番星。月が昇ろうとしている綺麗な時間だった。
「これはまた、随分と採ってきてくれたわね……」
買い取り品を精査するテーブルに並べられた戦利品を見たキリアさんが、呆れたように笑っている。
薬草、毒草、ムーレス、ハバリファ。どれも状態がいいから、きっと買取金額にも期待できるでしょう。
わたしとキリアさんがテーブルを囲んでいる間、ラルは壁際に誂えられたソファーに座って、うつらうつらと船を漕いでいた。初めての採取で疲れたんだろうなぁ。無理をさせていないといんだけど。
今日の晩ご飯はラルの好きなハンバーグにしようか。数日前にもハンバーグにしたけれど、きっとラルは喜んでくれる。
それから少し時間が経って査定が終わった。気持ち良さそうに寝ているラルを起こすのは忍びなかったけれど、一緒にカウンターへと向かう。
「お疲れさまでした。金額は九万七千アクシスになったけど、どうする?」
九万七千アクシス。うちの家賃三ヶ月分を稼いでしまった。
「ラルの方が沢山採ってくれてるんだよね。魔獣を倒したのもラルだし、三:七の七をラルにしようか。少ない?」
「いや、オレはいらない」
「そういうわけにはいかないって」
「オレはアヤオに返したいから」
うぅん……本気で返すつもりだったのか。まぁラルの性格的にそうなるよね。
「じゃあ半々にする?」
「オレはいらない」
「頑固者め」
「生活だって全部アヤオに頼ってるから、収入は全額アヤオが取るべきだ」
話は終わったとばかりにソファーに戻ろうとするラルの腕を、わたしはぐっと掴んでいた。逃がすものか。
「二:八で、八をわたしが貰う。生活費もそこから全部払うって事で」
「だからオレは……」
「ラルも受け取ってくれないなら、もう一緒にお仕事は出来ないよ。これからも頼らせて欲しいから、ちゃんと取り分は受け取って欲しい」
「……じゃあオレには一割でいい」
少し強めに言葉を掛けると、渋々ながらラルが頷いた。ドッグタグを渡してくるから、わたしのとまとめてカウンターに置いた。
「キリアさん、二:八で!」
「オレは一割でいいって!」
「はいはい、二:八ね~」
ラルの抗議を気にする事もなく、キリアさんは機械をそうさして手続きをしてくれる。困ったようにラルが表情を曇らせるから、その背中をぽんぽんと撫でた。
「ラルのおかげでいつもより稼げているんだもの、ちゃんと受け取って欲しいんだ」
「でも……」
「わたし一人だったらこんなに稼げてないから。これからも頼っていい?」
「もちろん。オレ、アヤオの力になりたいから」
ラルの顔がぱあっと明るくなる。その笑みがあまりにも眩しくて、わたしもつられるように笑ってしまった。
それにしてもこのままのペースでいくと、採取だけでも充分に解放金が補えちゃうな。その金額に達したら、ラルの取り分を多くしないと。
そんな事を考えながら、わたし達は帰路についた。ガス灯に照らされた街は、昼とは違う賑やかさで満ちていた。
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