8.それなんて浦島太郎

 髪を整えてすっきりした後、ラルはベッドで丸くなって眠ってしまった。ちょっと急ぎすぎたかもしれないと反省をしながら、すぅすぅと穏やかな寝息をたてる、ラルの赤髪を指で掬う。

 顔の左目から頬にかけて火傷の痕。赤く盛り上がってケロイドになってしまっている。


 ラルはそれを気にしているようだったから、左側の髪は長めに残した。後ろ髪はうなじが見える程度に、頭頂部も長さを整えると丸い綺麗な形になった。素人仕事にしては上手くいったほうだと自画自賛。

 薄掛けを肩まで引き上げると、何かを呟くように薄い唇が震えた。



 さて。

 わたしはベッドから離れると数枚の紙を持ってダイニングへ向かう。


 小振りの冷蔵庫のような【保管庫】から作り置きのアイスティーを取り出すと、底がころんと丸くなった硝子製のグラスに注いだ。

 椅子に座ってアイスティーを飲みながら、テーブルに紙を並べていく。


 これは先程ラルと会話をするのに使った紙だ。

 これには、どうしてラルが奴隷になったのか聞き取った結果がある。


 といっても、ラルの素性が分かる事はほとんど書いていない。――彼は記憶を失っていたから。


 まず、ラルは自分が亜人なのは分かっていた。

 何の亜人かについては口を閉ざしたから、それについては追求しなかった。亜人ならば【命波】の登録がされていないのも納得出来る。

 

 彼は燃え盛る森の中をさまよっていたらしい。

 火傷はその時に負ったものだと。


 どうして森が燃えたのか、どこの森なのかは覚えていないと言った。記憶は燃える森を歩いているところから始まっているそうだ。


 川に辿り着いたところで奴隷商人に捕まって、ずっとあの屋敷にいた。回復魔法では火傷は治らず、その傷があった為にり場で買われる事もなかった。日付の感覚もなく、どれだけ捕まっていたのかは分からないらしい。

 ラルはそこまでしか文字を書くことはしなかったけど、商品として価値を見いだされなかった彼は、きっと商人達から虐待を受けていたのだと思う。

 そしてもう死ぬだろうと、地下に送られた。


 視線をテーブル上の新聞に向ける。先程出掛けた時に時に、一緒に買ってきたものだ。一面には大きく『悪徳奴隷商人、逮捕!』の見出しが踊っている。

 わたしはその記事を手元の鉛筆でぐりぐりと塗りつぶしていった。記事を書いた人には悪いけれど、この苛立ちを何かにぶつけたくて仕方なかったのだ。


「ああもうイライラする。……でもこの証言があれば、商人の罪をもっと重く出来るかもしれない」


 ラルの証言は、冒険者ギルドのサブマスターであるタパスさんに預けよう。

 それから商人を追及したら、ラルが拐われた場所も分かるかもしれない。その場所から程近い、燃えた森。きっとそこがラルの住んでいた集落だ。


 森が燃えたとなれば、集落も移動しているかもしれないけれど、彼を元居た場所に戻してあげられるかもしれない。

 そこまで考えて、わたしの胸が痛んだ。


 彼には帰る場所がある。

 それが少し、羨ましかった。わたしはもう帰る事が出来ないから。


 この世界とわたしの元居た世界が重なるのは、偶然がいくつも折り重なった結果だとアカデミーの先生は言っていた。

 もしわたしが何かの拍子でまた転移をしたとしても、また異なる世界かもしれないし、元居た世界の別の時間軸かもしれないと。浦島太郎みたいじゃん、なんて呟いたら、先生には『ニホンジンはそれに例える事が多いよね』と言われてしまった。可笑しそうに笑った先生を思い出しながら、わたしは紙の空きスペースにカメの絵を描いた。笑った先生を背中に乗せてやろうか。


 元の世界に戻れたとしても、もうわたしの知っている世界ではないかもしれない。知っている人もいなくて、異世界への造詣もない場所に放り出されて生きていけるわけもなく。


 それならばこの世界で生きていくしかないじゃないか。

 幸いにも、この世界は異界人に対して優しいから。

 この世界で与えられたもので生きていくんじゃなくて、何にも奪われない自分で築いた居場所がほしい。そう思ってわたしは仕事に励んでいる。


 もし万が一、また別の世界に転移してしまうなんて事があったら……考えたくないからやめておこう。


 ぼんやりとそんな事を考えていたわたしは、深呼吸を繰り返した。

 やめだやめ。考えても仕方ないなら、考えるだけ無駄だもの。今一番にしなければならないのは、ラルの事だ。


 きっと辛い思いをしてきた彼が、これからは幸せに過ごせますように。もし彼が元居た場所に戻れないなら、一緒に暮らしていけばいい。

 昨日会ったばかりだけれど、弟みたいで可愛く思っているところもある。それにもう、投げ出すことなんて出来るわけもない。


 やる事があるのは、不謹慎かもしれないけれど嬉しい。

 この世界で自分にも出来る事があるのなら、ここ・・に居てもいいのだと……っと危ない危ない。また青臭い考えに没入するところだった。


 わたしは紙をまとめて、机にトントンと落として揃えた。

 それから別の紙に書き置きをする。


【少し出掛けてくるね。すぐ帰ります。お腹が空いたら保管庫の中のものを好きに食べていていいよ。飲み物も自由に飲んでね。行ってきます。 アヤオ】


 物寂しくて、はじっこに猫の絵を描いた。にゃー。


 まとめた紙を空間収納のポーチに突っ込んで、音をたてないようにそっとアパートから出た。

 アパートを囲む塀の側では、大家さんがひよこイラストのエプロンをして掃き掃除をしている。白髪を綺麗にまとめあげた、背の高いおばあさま。銀縁眼鏡の奥の瞳が柔らかく細められた。


「お出掛け?」

「ギルドまで少し。家にはあの子が眠っていますので……」

「分かったわ。何かあったら知らせるわね」


 昨日、ラルを連れ帰った時に大家さんには事情を話してある。

 行ってきますと手を振って、わたしはギルドまでの道を駆けていった。

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