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渡貫とゐち

(N)プロローグ

第1話 足下の世界

 暗雲のような灰色の霧が覆う場所がある。

 ぱたた、ぱたたたたたっ、と周りを忙しく走る足音がまず聞こえた。


 立ち上がろうと手を地面につける。

 置いてあった球体に体重をかけてしまった結果、卵を潰すように割ってしまったようだ。


 バランスを崩し、背中から倒れると、足場が崩れ、着地した場所よりもさらに下へと再び落下してしまった。


 高く積もっていた『なにか』が斜面を転がり、体を覆うように降りかかってくる。

 重さによって自力では抜け出せなくなり、埋もれた中から手だけをぴんと伸ばして左右に振ると、ぎゅっと握られた感覚があった。


 引っ張られると、ゆっくり、着実に、のしかかっていた重さから解放されていく。

 ずぼっと擬音が聞こえるほどの勢いで急に軽くなったものだから、引っ張ってくれた相手も尻餅をついてしまったようだ。


 霧による視界不良のため見えないが……、頬に当たるこれはなんだ?


「ちょっ、どこ触って……ッ!」


 手の平で確認すると指が沈み込み、瞬間で弾かれた。


「あ、ごめん……よく見えないものだから」


 特徴的な彼女の赤髪もまったく見つけられない。

 となると彼女よりも小さい、短く切りそろえたばかりの金髪も目視することは難しいだろう。


「……ねえ、なんか薄暗くない……?」


 たッ、たたたたたたたたたッ! と周囲で聞こえていた音が、一斉に八方へ散っていった。

 彼女の言うとおり真上が薄暗くなり、霧が割けていくと、視界が拓けたと同時に、まるで円筒の建造物が落ちてきたのかと思った。


『なっ――』


 ずぅぅぅぅん! と大地が凹んだかのような低く響く音が鳴り、数分後、再び同じ音が繰り返される。

 落ちてきた建造物は四つ。

 それが順番に、浮いては落下しているのだ。


 ……ゆっくりと、前へ進んでいる。


 建造物とはまた違った、黒く大きい、さらに広い影が遠ざかっていくには、長い年月を必要とするだろう。

 ただ今回は、彼らの方が遠ざかっていく。

 あっと言う間に黒い影が見えなくなった。


「――二人とも、大丈夫だった?」


 首の襟を掴まれているのか、人間一人の体重を気にせず持って走っているなにかに助けられていたようだ。

 さっきから聞こえていた足音は彼のものだったらしい……彼? 彼女かもしれないが……、八方に散っていた足音が、再び合流し始めた。


 ぐんっ、と真上に投げられ、

「うぉあ!?」

 と悲鳴を上げて落下すると、ザラザラの質感だが、温かく柔らかい素材に衝撃が吸収された。


 上下に揺れながら高速で前へ進む彼にしがみついている内に、霧の濃さがやがて薄くなっていく。


 隣を見ればはぐれたとばかり思っていた仲間が同じように、人間と同程度の小柄な生物にしがみついていたところだった。

 ……助けてくれたのだ。

 下を見れば白骨化した死体が多い中、どうして助けてくれたのかは謎だったが。


「助けてって言ったら、助けてくれたよ」

「そうか……、王族は竜と会話できるんだったね……」


 中でも一際小さい竜に跨がる金髪の少女は、一番安定して乗りこなしている。

 彼女のようにとはいかなかったが、しがみついた場所が悪く苦戦したが、なんとか体勢を整えることができた。

 隣を併走する赤髪の少女は進行方向とは反対を向いて、揺れる尻尾にしがみついて身動きが取れないでいた。


「ぁあっ、ああああああああああああああああっ!?!?」


 これはこれで楽しそうに見えるので放っておくことにした。


「これ、どこに向かってます?」

「三人の魔女の位置が見えてるけど……多分すごく遠いと思う……」


 跨がっている小柄な竜の足でも、縮められる距離は少ない。

 あまり、もたもたしていられない理由も持ってしまっている。


 すると、彼女が顔を竜の顔に寄せ(必然的に体をさらに密着させる体勢になる)、囁くように聞いた。


「ねえ、近くに大きな竜はいる?」


 竜の顔を撫でるような指使いで、指を這わせる。

 十歳の女の子がする手つきではない。

 一体、どこで覚えたのだろうか……。


 と、彼女を乗せている竜が身震いをした後、先頭集団を抜けて先行し始めた。

 疲労を感じさせない走りで、ぐんぐんと先へ行ってしまう。


「道案内してくれるのは嬉しいけど……速過ぎだよ……!」


 気を抜いたら、薄いとは言っても霧の中だ、少しでも先行されてしまえば背中が見えなくなってしまう。

 進んでいる道は合っているのか、不安になるが、後ろから聞こえる悲鳴が続いている限り、はぐれたわけではないのだろう。


 その時だった……、ずっ、うぅぅんん、と、遠くの方で耳慣れた音が聞こえた。


 聞いたばかりの足音に似ている……当然、さっき潰されそうになった巨大な建造物と勘違いしてしまう足を持つ竜とは別の竜だろう。

 一歩一歩に時間がかかっている竜に追いつかれることはないはずだし、短時間で自分たちが球体を一周したわけでもない。


 視界が悪く気付かない内に引き返していた、という可能性はありそうだが、似ているようで足音にも違いがある。

 ……重さが違うのだ。


 目の前に見えた竜の方が、総重量が重たいらしい。

 どッッ、と真横に巨大な足が落ちた。

 その衝撃に、跨がっていた竜が転び、同時に投げ出されてしまう。


「いったぁ……!」

 と後ろを走っていたもう一人の仲間も吹き飛ばされたようだ。


「でっけぇ、な……」


 こんな足下から見るのは初めてだった。

 見上げても足の半分までしか見通せない。

 霧のさらに上には、足で支える体があるだろうが……登ってみないことにはその全貌は分からなかった。


「こら。勝手に止まらないで。班行動」


 少女の声と共に後頭部がつつかれた。

 少女の指ではなく、少女が跨がる竜の鼻先でだ。


「……これに、俺たちは乗って生活してたわけですよ……なんと言うか、世界って狭かったんだなって、思います……」

「うん、私もそう思う……。おまえはもっと狭かったぞ」


 姫様からそう言われるほど分かりやすかったのであれば、相当の狭さだった。

 視野も思考も、一方向にしか向いていなかったのだから。

 周りのことなんて気に留めてもいなかった。


「……? なに?」


 自然と隣に寄り添い、視線に気付いて首を傾げる赤髪の少女を見たのが証拠だ。


「なんでも。さて、どうやって登ろうか……」


 狭い世界の中で生きることはもう終わった。

 飛び出してみれば、見通せないほど広がった視界である。


 三人、顔を見合わせ苦笑し、同時に遙か上空を見上げ――、


 予定通り、順調にいかないのは当然。


 困難は、旅にはつきものなのだから。

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