落雁と鹿子とステゴロー

 “あの日”の事件以降、到来した巨大建造物はその後の調査により“テオドール”と呼ばれる存在である事が明らかとなり、更には事件を引き起こしたテオドールが未だに健在である事も判明。

 再起動するまでの猶予を人類はテオドール撃滅のための準備に費やした。


 それから数年後。


 計画戦闘都市トウキョウではいつもと変わらぬ日常が送られていた。

 変わらぬ空に、変わらぬ風。変わらぬ空気に匂い、そして変わらぬ人々。

 誰もが誰も、自分自身と狭い周囲のことしか気にしない日常。

 しかしそれが人の平和というものなのだろう。人の世の平和というものなのだろう。


 それで良いのだ。

 人とは、自分自身と狭い周囲の幸せだけ気にしていればそれで良いのだ。

 すれ違う人は、その人はその人で別の、何らかの幸せを知っていて不幸も知っている。


 幸も不幸も、誰かに知らせる必要も与える必要も無い。

 自分自身と狭い周囲のものだからこそ、そのどちらもがいずれは思い出となり、その人と周囲となる。

 遙か永遠の先におり、しかし誰の側にもいる誰か、何かが言ったように愛すべき隣人とは手の届く人で良いのだ。


 人の手が届く所に居る人。

 それこそがその人と狭い周囲。


 もしも、もしもその腕がずっと長くて――

 もしも、もしもその手がずっと広ければ――

 もしかしたら愛する事が出来る隣人はずっと多くなるのかも知れない。


 だがそんなことを誰もが誰も出来るわけじゃない。

 殆どの人は腕はそんなに長くないし、手だって広くない。


 もしも、もしもそんな腕があって手があるのなら、それは遙か永遠の先にある人のような特別なのだろう。

 けど、けれど特別ならきっと、きっと多くの人を愛することが出来るのだろう。

 腕を伸ばし、手を差し出して、いっぱいの人の手を掴んであげることが出来るんだろう。


 たった一人の、掴み損なった手だってきっと、きっと掴むことが出来たんだろう。


 ――そんな今さらを考えても、テオドールが待ってくれるわけじゃない。テオドールが止まってくれるわけじゃない。テオドールが倒れてくれるわけじゃない。


 オレに、オレに出来る事はいつだって決まってる。

 そうさ! 目の前の困ってる人やこれから困るんであろう人を助けること。今ならそう! そうさ、テオドールをぶっ倒すことだ!!


「だから出ろよ! テメエばっかかけてきてんじゃねえっ」


 一


 計画戦闘都市トウキョウとはその名の通り、襲来したテオドールとの戦闘を想定して計画設計された都市である。

 テオドール第一号が消失し、そして休眠しているというかつての東京を解体し造り上げられた新たなるトウキョウにはテオドールに対する様々な防衛機構が備わっている。


 まずは都市展開機能。

 並び立つ建造物を移動または格納し、巨大なるテオドールによる破壊から人々の居住区を遠ざける目的がその機能にはある。

 それに付随し、人々を安全圏たる地下へと収容するためのシェルター直通のシャトルも。


 そしてテオドール迎撃システム。

 出現したテオドールに対する兵器の起動と使用がその目的だ。

 一部のビルディングに備え付けられた迎撃兵器、超伝導投射砲“レッカ”と“ゴウカ”及びマルチプルランチャー“グレン”。

 展開したトウキョウ各所からは都市駐屯の防衛軍ユニットが展開するための通路が複数露出する。

 そうして迅速にテオドールに対する迎撃体勢を整えることが出来るのがこのシステムの真髄である。


 鳴り響くサイレンはまさに有事の合図。

 遂に眠りから醒めたテオドール第一号、通称“一号”に対し、その純白の巨体に向けて投射砲による飽和攻撃が開始された。

 テオドールがその機体に張り巡らせている防護電柵を衰弱させ、有効打を与えるための戦法である。


 やがて長きに渡り続けられた砲撃の末、一号の純白が一瞬、黒く滲んだ。それはあたかもテレビ画面を冒すノイズのようであった。それこそが防護電柵衰弱の証。

 そこへと叩き込まれるのは超重破砕爆貫弾頭。多目的射出装置グレンに装填され発射されたミサイルである。

 目標の装甲を貫通し、内部を爆破。直ちに沈黙ないし破壊するための兵器だ。


 それにより生じた多数の爆発と爆炎は重なり合い、それは凄まじい轟音と衝撃をトウキョウにもたらした。余波は展開されたビルディングに張られた人工防護電柵を揺さ振り、その庇護下にある超強化ガラスによる窓質を震え上がらせる。

 これで決着――想定した通りであれば。


 ――ォォン……クゥゥン……


 それは海中に甲高く響き渡る鯨の声のような音色。

 それが大気中へと響いた時、膨れ上がっていた爆炎を吹き飛ばし、そこからテオドール第一号が健在する姿を見せた。

 敵は人類の想定を上回っていたのだ。


 ――グゥゥン……


 低く響く音は、それはテオドールが攻撃を放つ凶兆。

 翼を広げ、合掌し祈りを捧げる天使のような姿をした一号はその頭部と呼べば良いか、人のその部分に存在する部分から真紅の閃光を奔らせた。

 直後、それの進行方向に待ち構えている投射砲が融解し爆発。


 舞い上がる爆炎と炎を前に一号はその甲高い音色を高々と響かせ続けるのだった。

 人類の終末か、それが今そこに顕現したか。

 幾年月を費やし、当時得られたデータ上のテオドールであれば撃滅できたはずの威力はしかし効果無く、人間は終わりを迎えるのだろうか。


「――ババアがこねえなら、こうするしかねえだろおがあっ」


 そんな人類の終焉にばかり嘆いていないで、一号の足というか何かよく分からない地面に向けて伸びている突起。

 尖端は設置はせず、ギリギリを浮揚している――まあ難しいことは言わずとも一号の足元と言おう。

 一本だたらのそこには一つの人影が存在していた。


 こんもりと膨らんだ前髪、大きくて立派なもみあげ。

 テカテカカチカチに固められたその頭を何と云おうか、そうそれはリーゼント。またの名をエルヴィス。


 イケイケな頭をしたその青年は煙の中をばく進し、凄まじい勢いで向かってくる一号へと肉薄した。

 投射砲の途切れること無き飽和攻撃と、ミサイルによる爆撃の渦中にあったはずの彼であるが、ボロボロになった革ジャンとは裏腹に、髪型も素肌も煤けこそすれど掠り傷以外見ることは出来ない。


 彼はそのまま、一号の足へと向けて咆哮と共に握り締めた拳を叩き付け――そして防護電柵に感電し悲鳴を上げる。


「ギヒィィィッ! チックショウ、ババアがぁぁあっ」


 そして動けない所を一号の前進に巻き込まれ、哀れ彼は怨嗟を嘆きながら鞠のように蹴飛ばされ、アスファルトの上を跳ね回るのだった。


 通り過ぎて行く一号を逆さに見ながら、路上駐車された車に引っ掛かる形で止まったプレスリー。

 ぷすぷすと焦げた臭いと煙を上げた彼であるが、歯軋りしてし忌々しげに閃光を放ち破壊を振り撒きながら去って行くテオドールを見ている彼はどうやら無事なようだ。

 防護電柵は人工の物でも人なら触れた瞬間で即死するほどの出力があるはずなのだが……


「クソ……」


 ずるりと逆さまになって車体に凭れていた彼はずるりとずり落ち、するとその場に胡座をかいて座り込んでしまう。

 相変わらず忌々しそうに一号の背中を見ながら、しかし何も出来ない自分に苛立ちを彼は募らせていた。

 そしてポケットから取り出したスマートホンを見てみる。すっかり焼け焦げて動く素振りはない。防護電柵の電力では過充電が過ぎたようだ。


「ああっ、クッソがァ! このままじゃ前とおんなじじゃねえかよ。なんのためにひーこら特訓なんてかったるいことしてきたんだよ! オレはっ」


 彼は握り締めた拳をアスファルトの地面へと叩き付ける。

 すると鈍い音と共に拳はアスファルトを打ち砕いてそこへとめり込んでいた。凡そ人としてはあり得ない膂力と、拳の耐久力。

 如何せん、彼の拳はなんの保護もしていないのだから。


 ――その意気じゃぞ、ラク!!


 苦虫を噛み潰したかのような、自らの不甲斐なさに握り潰した紙切れのようにくしゃくしゃになった顔で叩き割ったアスファルトとそれを成した己の拳を見下ろしていた青年の顔が響いてきた声に跳ね上がった。


 力を得てなお無力な自分を悔やむ心が晴れて行く、ラクと呼ばれたそんな彼の顔は笑顔だ。が、しかしすぐにそれは怒りの形相にひしゃげる。


「遅えんだよこのっ、クソババア!」


 轟と風を切り裂き、戦闘機の編隊が彼の頭上を過ぎ去った。

 それらはすぐさま一号へと向けてミサイルを射出するが、当然の如くそれらは一号の防護電柵に阻まれ本体に威力を届けることは叶わなかった。

 だが問題はそんなことでは無い。


「ラクゥゥウッ」

「パラシュートオ!?」

「抱き留めてたもれーっ」


 の瞬く間に撃墜された編隊の先頭を行く銀色の翼から射出されたコックピットブロック。

 緊急脱出装置が作動したのだろうが、パラシュートが開かれゆったり降下してくる操縦席から何かが飛び出す。

 ――人だった。艶やかな黒い長髪を振り乱した、褐色の肌をした女だった。


 アホか――受け止めるにしても高すぎる。

 “ラク”は周囲を見渡すと、傍らにそびえていたビルディングへ見当を付けてそれへと全力疾走し突っ込む。

 そして壁面を勢いのままに駆け上がって行くと、落下してくるその女性との高さをなるべく同じくしてから、タイミングを見計らい壁を蹴って跳躍した。


 彼の脚力を受けた壁面は砕け散り、“ラク”が必死の形相と共に伸ばした両腕の中へと落下してきた女性が飛び込んできた。

 そしてそのまま地上へと落下を継続する二人。


「ドンピシャリィ! さっすが我が夫じゃのぅ、のぅっ」

「このクソババア、テメェあんまナメたこと抜かしてっと酷え目に遭わせっぞ……」

「はーどなぷれいも其方そちとなら受け入れるぞよ」

「このっ、この地雷女が……」


 宙空でそんなやり取りを交わしている内にも地上へと到達した二人。着地を行うのは当然、女性を抱えた“ラク”である。

 両脚から着地した彼であるがズンと地味ながら重々しい鈍い音が響き、衝撃は足裏から両脚に駆け抜け脳天に突き抜けて行く。

 鋭さの後にやって来た痺れるような痛みに“ラク”は歯を食い縛り、滲む涙を気合いで涙腺の奥に引っ込ませる。

 そんな彼の張り詰めた頬に伸びてきたのは女性の手で、彼女はその手で彼の頬を撫でるとうっとりした顔で見上げ言う。


「はぁん、男前じゃのう……」

「くだらねえこと抜かしてねえでさっさと呼び出せや」

「はぁ~……仕様がないやつじゃの」


 彼女の仕草と言葉に苛立った様に歯軋りをして言う“ラク”。

 女性は溜め息を落とし、彼の腕の中から渋々と降りた。


「……ではいよいよ本番じゃ、覚悟は良いな? 道明寺落雁」

「ったりめえだ、この日のためにオレは甦ったんだからな」

「よろしい、では始めるぞ。我が名を呼べ、ラク」

「あン? んなこと、リハじゃやんなかったろ」

「もうっ、良いから呼ぶのじゃ! 必要なことなのじゃっ」

「ンだよ……」

「早うっ早うっ」


 ウキウキした様子で“ラク”こと“道明寺どうみょうじ 落雁らくがん”を見上げる女性。

 握り締めた拳を軽く上下させ、期待に揺れる身体。彼女が身に纏う松竹梅で彩られた振袖も合わせて揺れる。

 そんな彼女を怪訝に思った落雁は腕を組み、じっと彼女を見下ろしていた。どうやら彼女の真意を見定めているらしい。


 じっと落ち尽きない仕草とは裏腹に落雁を見詰める女性の紫色の瞳。そして同じくじとりとした目付きで胡散臭そうに彼女を見下ろす落雁の茶色の瞳。

 そんなおかしな調子で見詰め合う二人の傍らを音を立て通り過ぎて行く戦車やら装甲車たち。

 空には更に戦闘機が舞い。閃光が迸り、爆発が起きるとその内数機が煙を上げて墜落して行く。惨事である。

 そんな中での二人の見詰め合いはしばらく続き、やがて観念したように落雁が大きな溜め息を吐いた。彼の背後で戦車が爆発四散する。


「本ッ当に必要なんだな?」

「マジじゃ、マジマジっ」

「仕方ねえな……ようし――“鹿子かのこ”」


 口をへの字にひしゃげ、下げていた面を上げるとフンと鼻を鳴らし、火の玉になって飛んで行く戦闘機が乱舞する空へと視線を投げた落雁は如何にもな素っ気なさを装い女性の名を告げた。

 するとその“鹿子”は「よっしゃっ」と拳を握り締めると袖に手を突っ込み、中から通信器を引っ張り出してアンテナを伸ばした後、それを勇ましく構えると言った。


「皆の衆聞いたかっ、ラクが妾の名を呼んだぞ!?」

『……さっさとアレ呼んで――ぐぎゃぁあっ』

「おい鹿子、テメェそりゃどういうこった!」

「なんでもないわい――征くぞっ」


 通信器から返ってくる幾つかの声はどれもこれも鹿子に対する不満が籠もっていた。

 鹿子はそんな声しか聞こえず、祝福の声が一つも無い通信器を「つまらん」と放り捨て、すればその一部始終を見て怒り筋を立てた落雁が彼女に食って掛かろうとするものの鹿子はその前に仰いだ手のひらをぱん、ぱんと叩いた。


「いざ参らん、顕現せよ――破魔猛戦神ハマノタケキイクサノカミ

「来やがれ――!!」


 その呼び声を承認とし、今まさに封印の錠前が外された。

 次元連結カタパルトによる次元湾曲が生じた上空から、歪みし虚空より出現したのは巨大で広大なる足。

 次いで広大な足に見合う太い脚、それを繋げる腰部、くびれの無い腹部。

 分厚く巨大な胸部、それを更に拡大する肩とそれに繋がった末端肥大しやはり巨大な拳。


 そして最後に生じたのは左右湾曲した物とその中央、額から伸びた計三本の角を備える鬼の面を被った様な、白髪をなびかせる頭部。


 赤備えの鎧甲冑が如く朱く、全てに於いて巨大なその建造物は遂に地上へとその二つの足で立つ。

 踏み鳴らされた大地は弾み、その両足が脆いアスファルトを踏み砕いて沈み込む。

 巻き上がった破片と砂塵の中、巨大なその手でそれが掬い上げたものは落雁と鹿子の二人。


 鹿子がハマノタケキイクサノカミと呼び出し、落雁が“ステゴロー”と訂正したそれの鬼の面が展開する。

 その下に在る二つ目のような碧色に輝くセンサーが二人を感知し、更に装甲が展開する。まるで口を開く様に。


 “ステゴロー”はそのまま首を持ち上げ、二人を乗せた手のひらを“口”の前で傾ける。

 そして閉ざされる装甲と鬼の面。降ろされる手のひらには誰の姿も無かった。

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