第3話 挨拶


この人の実家は、自分が下宿していた最寄り駅から電車の駅一本分先の場所にあって、恥ずかしながらスカンピンでタクシーにも乗れなくて歩いて送ったもんだから、無事に送り届けたのは日付けが変わってからだったんだ。



「ごめんください」



婆さんの実家は立派な平家で、玄関はガラガラと開ける扉…そうだな、サザエさんの家を思い浮かべてくれたらいいかな?

婆さんが扉を開く前に「ごめんください」なんて声かけはマヌケだったと気づいて、

もう一回挨拶したのさ。

あのときは緊張したな…。身の縮こまる思いだったよ。

昭和のあの時代に両親そろって出迎えたもんだから、飛び上がりそうになったんだ。


ああそうそう、あの時代はな、来客や電話があっても父親というもんは一家の大黒柱として決して出ようとはしなかったんだよ、そういうのはほとんど奥さんの仕事。

まぁそう批判的な目で見るなよ、そういう時代だったのさ。



「あっ、あの!こんな遅い時間まで大切なお嬢さんを連れ回してしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ」



ってね、即座に玄関先で土下座したさ。



「進さん、やめて、なにもそこまで…」



婆さんがあわてて土下座やめさせようとしたのが、今でも忘れられないんだよ、

何せ交際半年とはいえ、当時はまだ手ひとつ握ってもいなかったから、肩をこう触られただけでドキドキものだったからね?



は?婆さん覚えてないのか?

なんだあのとき感動したの、こっちだけだったんかい!



とにかくあの当時は独身の若い娘を深夜まで連れ回すことが、今以上にえらいことだったんだよ。



「顔をあげなさい」



三河みかわの親父さん(三河とは、婆さんの旧姓な)、威厳のある声を響かせるもんだから、サッと全身の血がひく思いだったよ。




「あの…、今日お嬢さんを連れて食事に出かけて、その、、、少し酔いをさますためにもうちへ寄ってもらおうとして、事件に巻き込まれてしまったんです」



「なに!?貴様うちの娘を連れ込もうとしたのか?!」



ああ、やはり男親には下心がわかってしまったのか!

もはやこれまで!と、堪忍し腹をくくることにしたんだ。



「も、申し訳ございませんっ!報告が今になってしまいましたが、お嬢さんとは結婚を前提におつきあいさせてもらっているつもりです!」



我ながら思いきったつもりだったんだが、



「えーっ!?やだ、そうだったの?」



婆さんのこのひとことにゃ、ずいぶん傷ついたなぁ…。



「娘はいやがっているようだが?」



ああ、三河の親父さんの容赦ないことと言ったら!

すかさず婆さんが、



「お父さん、ちがうのよ…この人の好意と誠意は感じていたけれど、はっきり結婚という言葉を聞いたことがなかっただけなのよ」



フォローしてくれたのだが、



「今時の若者は、皆こうなのか!?」



って、さらに親父さんににらみつけられたっけ。




「ここではなんですから、とりあえずあがってくださいな」



ここで初めて三河のオフクロさんが声を出した。

穏やかな人だったねぇ…。

今まで何度救われたことか!



その日は三河の親父さんにつき合わされ、朝までとことん飲まされ潰されてしまったよ、「娘を頼む」とね…。

めでたくその場で婚約成立となった訳なんだ…後日面倒な意味不明な儀式あったがね…。

酔いつぶれた俺のかわりにね、婆さんが大家のオバサンに「今夜は帰れない」って連絡してくれたのがね、また嬉しかったんだよ、気が利く娘を嫁にもらえるんだなぁって…。



え?空き巣は捕まったのかって?

次の日早速逮捕されたと聞かされたな、

なんでもうちが被害に遭う数日前からあの辺り荒らしていて、足がついたって話だ。

玄関先のブツはな、ただでさえお隣の小林さん宅で米しか盗めるものがなくイラついてたのに、うちにゃなーんもないから腹が立ったんだってさ!

意味わかんないねぇ、はははは!



とにかくとんでもない事件のおかげで、

早い婚約になったんだよ。

部屋の鍵がなおるまで大家宅に居候いそうろうさせてもらうつもりが、なし崩し的に三河家の世話になってしまうオマケつきだったがな!










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