第3話 半分、あげる

 ソフィア・クレイルが異変に気付いたのは、長女のクローディアが三歳を過ぎた頃だった。


 いつものように食事を出すと、ものすごい勢いで貪る。食事が終わってもキッチンに置かれたパンや果物を持ってきて無言でおかわりをねだる。


 ソフィアは母と共に骨董店を経営していた。仕事中はベビーシッターに子どもたちを預けていたが、いつも来るベビーシッターもその異変に驚き戸惑っていた。


「ご飯をおかわりしたのに、私がトイレに行っている間に、バナナをひと房も食べちゃったんです。それだけじゃないんですよ、ここのところ勝手に置いてあるパンやシリアルをつまみ食いするんです。それがもうすごい勢いで。今までそんなことなかったのに」


 そのくせ、クローディアの体重はどんどん減っていった。ふっくらしていた顔や足も細くなっていく。ソフィアはあんなに食べているのにおかしいとやきもきし、医者にも診せたが、異常はなかった。


 そんな状態が一ヶ月ほど続いたある日、ぱたりとその現象はやんだ。

 夫は呑気な顔で「成長期だからだろ」という一言で済ませたが、ソフィアには何か心にひっかかるものがあった。


 それから翌年、次女のメディアが生まれた。

 メディアは生まれたときからしっかりとした体つきで、健康そのものだった。


 ところが生後八ヶ月を過ぎた頃、クローディアと同じ異変がメディアにも起こった。

 一日二回の離乳食とミルクを規定量あげても、物欲しそうに泣くのだ。

 そしてみるみるうちに体重が減っていく。つかまり立ちとハイハイができるようになって運動量が増えたせいかと思ったが、食べても食べても痩せていったクローディアの姿が、記憶に新しかった。


「気にしすぎだよ」


 夫はソフィアの不安を一蹴する。案じるどころか、ソフィアが育児に神経質すぎると軽んじているのだ。


 この頃では育児に無関心な夫への愛情も冷めていて、期待はしないと思いつつも、他人事のような態度に苛立っていた。


 そんなある日、ソフィアは長女がクレヨンで何かを描いているのを見て、画用紙を覗き込んだ。


「クローディア、何を描いてるの?」


 桃色の豆のようなものが画用紙に描かれている。


「桃? それにしては小さいわね。キャンディかな? ボタン?」


「違うわ、ママ。妹よ」


「これがメディア?」


「もう、違うわよ。今度生まれてくる妹よ」


 ソフィアはぎょっとした。傍らで新聞を読んでいた夫も思わず顔を上げていた。

 夫とはもう一年はセックスレスだ。ずっとすれ違いを繰り返し、夫が部署を異動して出張ばかりになったことをきっかけに、とうとう寝室まで別になった。これからも同じベッドで時間を過ごすつもりはない。それなのに、『今度生まれてくる』とはなんだろう。

 クローディアがクレヨンを走らせる手を止めて、ソフィアに言った。


「ママ、メディアにたくさんミルクをあげてね」


「えっ、どうして?」


「だって、今あの子は妹に元気を半分わけてあげてるからよ」


「なんですって?」


「今度生まれてくる妹はね、とっても弱いの。だから、一人で大きくなれるまで、メディアがお手伝いしてるの。私もメディアをお手伝いしたのよ」


 ふと、ソフィアの脳裏にある記憶がよみがえる。生まれたばかりのメディアに初めて会ったクローディアは、こう言ったのだ。


「よかったね」


 それは出産を終えたソフィアにではなく、確かに生まれてきたメディアに向かって発せられた一言だった。そのときは聞き流していたが、今になってあの言葉の意味がわかった気がした。


 しかし、それでは今度生まれてくる妹とはどこにいるのだろう。困惑して夫を見ると、彼も驚き戸惑っている。強張った顔をしてぎこちなく笑った。


「クローディアは夢でも見たのかな。ユニークな子だ。将来は芸術家かな」


 そして、そそくさと逃げるように部屋を出て行った。

 ソフィアは胃のあたりに重く冷たいものがのしかかるのを感じていた。


 その翌日、メディアの異様なまでの食欲はぱたりとおさまった。ソフィアはメディアにミルクをあげながら、傍らのクローディアに尋ねた。


「ねぇ、メディアはもう半分こしないのね。新しい妹は元気を半分もらって、丈夫になったのかな?」


「ママったら、本当に何も知らないのね。半分あげたくても、あげられなくなったからよ」


 ソフィアの胸がざわつく。何かが知らないところで起こっている。思わず哺乳瓶を持つ手に力がこもった。


 そのとき、部屋のテレビは昼のニュースを放送していた。


「身元不明の女性の遺体が発見されました。警視庁への取材によると、この女性は妊娠しており、死後一週間は経過しているとのことです」


 ニュースキャスターの声は、このときソフィアの耳に届かなかった。ただ、メディアの榛色の目だけは、テレビ画面を物悲しそうに見つめていたのだった。

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