「面白い話」とはどんな話なのか理解したかった話

はるくん

話していて面白い人になるためには?

 「面白い話」とはなんなのだろうか。


 僕がいまから話す「面白い話」とは、純粋に話していて「こいつ面白いな」と思われるような「面白い話」のことだ。

 僕も面白い話がしたくて、ネットで面白い話をするコツを調べてみた。


 まず、オチがあるかどうか。


 オチが予測できないと面白いらしい。例文を読んで、なるほど、たしかに、と僕は思った。

 オチを作るためのフリがあって、そのオチが意外であれば面白いらしい。


 他にも、緊張と緩和、想像・共感がしやすい、など、色々なテクニックがあるらしい。


 また、僕がこの前youtubeで見た芸人の「はなわ」は、「冗長なボケよりもツッコミでわからせたほうが面白い」(意訳)と言っていた。いや、これを言っていたのは「はなわ」じゃなかったかもしれない。確か、あの、ナイツの……ってそれも「はなわ」じゃねえかよ! みたいな。今の一連の流れが面白いかどうかはさておき、確かにボケが通じなかったら面白くないし、ツッコミで「共感」を得たほうが面白いってのはなんとなく理解したつもりだ。

 実際、上記の話が面白いかどうかはさておき、笑いポイントとしては、「ボケではなくツッコミで分からせたほうが面白い」という事実(考え?)の部分ではなく、これを言っていたのは「はなわ」ではなく、ナイツの……と僕がボケていたところでもなく、僕が一人で自分にツッコんだ「はなわ」じゃねえかよ! という部分である。いや、本当かどうかはわからないが、僕はそうだと思った。

 

 このことから僕は「共感」しやすい話が「面白い話」のコツなんじゃないかな、と思った。僕がボケたのに対して聞いていた人が(いやそれもはなわだよ……)と思ったところに、すかさず「はなわじゃねえかよ!」とツッコむ、これが「共感」か、と。

 僕は結構、一人で冗長なボケでボケ散らかして、そのまま一人で突っ走っていく悪癖があるので、周りからしたら面白くもなんともないのかな、とか思ったりした。


 その悪癖を治すべく、じゃあソロでやってるお笑い芸人はどこが面白いんだろうか、などと思い、適当にソロの芸人のネタを見ることにした。


 そこで僕は初めて「バカリズム」という芸人の動画を見た。

 結論から言うと、単独ライブのプロローグをyoutubeで見て、「この人の芸はなんて面白いんだろう」「こういうお笑いもあるのか」と思った。


 ここでいう「面白さ」というのは、お笑いとしての面白さではない。もちろん、そういった意味での面白さもあったが、僕の言う面白さの本質はそこではない。

 僕の語彙力ではうまく説明することができないが、とにかく、面白いのだ。


 まず最初は話の導入として当たり障りのない話術で観客を笑わせる。内容で言えば、鼻で笑うような、くだらない話など。あるあるネタや、わかりやすいボケ、顔芸など、僕が調べた通りの、お手本のようなごく一般的な笑いだ。

 他には、あらかじめ別のところに用意しておいたボケに対して自分でツッコミを入れて笑わせてくる。それを見て、「この人はいろいろな手段で笑わせてくるなあ」と思った。どれくらい一般的な笑いか例えるならば、あるあるネタで共感を誘う笑いを唐揚げだとすると、枝豆級のボケや、ポテトレベルの顔芸といったところか。

 とにかく、居酒屋でよく頼むような、どこででもよく見るような、ありふれた「面白い」だった。


 導入部でそんな感想を抱いた僕は、内心(面白いけどそんなに面白くないなぁ)などと思いながら、それをダラダラと見ていた。

 一つ一つのネタ、さりげない部分のテクニックとして「面白さ」を混ぜてくるのだが、一つの通った話としては面白くもなんともない。なんならその段階でこの話のオチは何なんだろう、どこに着地するんだろう、などとまで考えていた。


 しかし僕は、その認識を突然…… 本当に突然改めさせられた。


 急に始まる謎の一人芝居。ただの一人芝居だ。しかし、突然始まった一人芝居に僕の頭の中は混乱状態になった。何が起こったんだ? なにが始まっているんだ? と。


 唐突すぎて意味がわからなさすぎた。しかし、それも20秒もすれば解決する。


 そこで、僕は思い知らされた。


 --繋がっていたのだ。


 先程まで話していた話題、ネタ、それらが全部混ざりこんできた。僕がくだらないと思ったり、鼻で笑った話、全てがこの一人芝居の伏線だったのだ。序盤中盤と話していたくだらない話や、ちょっとしたボケ、それらがただ序盤に観客を鼻で笑わせるだけのネタではなかった。最初からすべてが繋がっていたのだ。


 僕は、してやられた! と思った。最初から「面白さ」がどうとか、何も考えずにじっくり見直したいとすら思った。

 その一人芝居の中ですら、あるあるネタや面白い事実、全身を使った笑いを届けてくる。

 その一つ一つだけでも面白いのに、これまでお通しのように、おしぼりのついでのように出してきたネタが--僕が唐揚げだとか、枝豆だとか言っていたお笑いがだんだんとお皿に盛り付けられていくように--一つずつ回収されていく。


 この時点で、僕はすでにバカリズムの世界に引き込まれていた。


 誰もがこの時点でこのネタのカラクリを理解させられる。長過ぎる前フリすべてが伏線だったのだと。そして、そのカラクリを理解させてなお、次の展開やオチが予想できる状態でなお、ポテトなどの「おつまみのようなお笑い」で笑わせてくる。

そして、その一人芝居の面白さや勢いは最終局面まで衰えない。もはやオードブルだった。


 結局、誰もが予想しなかった展開が起こり、そして誰もが途中で予想できた着地点に着地し、その芸は終わった。

 起承転結がとてもはっきりしていて、僕が今まで見てきた漫才やコントなどのお笑いとはまた一味違ったお笑いだった。小説的というか、落語的というか、とにかく素晴らしいお笑いだった。


 オードブルに満足した僕は、この人のネタがもっと見たい、と思ってしまい、結局、その日の残りをバカリズムで消費してしまった。


 振り返ってみれば、バカリズムのネタを見てしまったのが間違いだったのだと思う。僕が本当に見るべきは「芸人」が「面白い話」をしているものだったのだ。


 結局、僕はどうすれば「面白い話」ができるのかは理解できなかった。

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