許しを善とする者たちへ

愚痴り場みえちゃん

第1話

タイトル『許しを善とする者』。

これはそのまま被害を受けても恨んでばかりおらず許し、自分の人生を‼️っていう考えの者たちに当てたブログです。


私は以前から思っていました。

許すことが果たして正しいのか⁇

性善説のように語られているが、何故、加害者よりも被害者への意思改革のほうが強く求められるのか⁇


一体それのどこが正しく美しいのか⁇

本当に申し訳ないが、許すことを美徳とする考えが私には馬鹿なんじゃないかとしか思えないのだ。


許せなくて許さなくて当たり前だろう。

何故、被害にあわなければならない⁇

特に通り魔や性犯罪、強盗にイジメにあった被害者。

彼らは何の罪もないし、被害をうけるいわれはないはずだ。

それなのに許すのが善という考えに追い詰められる。


時には加害者を許している人もいる。

それは知っている。

だけどそれはその人の考えた末の決断であり、もう一方の被害者に許しをすすめるのはなんだか違う。


許さなくていいという考えの人も多くいる。

極刑を望む人も多くいる。

そこを否定はできない。

復讐したいと考えるのもまた人でそれでよいと思う。


なぜなら私は許せないし許さない派だからだ。

自分が被害者になったならば、残りの人生をかけて相手に復讐をする。

それをよしとする。

自分の将来の夢は環境によって変化する。

それがどんな夢であれ、夢が復讐であれ、よいと思う。


被害を受けた過去を受け入れ、相手を許し、そして自分は何らかの職につき家庭をもつ。

相手もそれをしているかと思うと、想像するたびハラワタ煮えくりかえる思いだ。


正直、いろんなニュースをみて加害者の更生を願ったことはない。

そんな弱い方、誰かを傷つけるほうを選択する人間は環境に恵まれようが運がすこぶる良かろうが、結果もしてやることは変わらないと思う。

もともと人を傷つける選択をし、悪びれない人間だういうだけのこと。

両親に愛されようが愛されまいが、裕福でも貧困でも、すぐ悪に流れる。

そういう人間だというだけのこと。

テレビで家庭環境が…とかもっともらしい理由を聞くたびに、他人に関係ないだろうという感想しか抱かない。


家庭環境が悪くても犯罪をしない人間がごまんといるからだ。


だからここで言いたいのは、誰しも泣き寝入りするわけじゃない。

失うモノがなくなったら、人はどんな人間でも何をするかわからないぞ。


許さなくていい。

許さない姿が美しくなくてもいい。

ずっと恨んでいたっていい。


どんな姿であれそれが、アナタで生き方だ。


どの選択をするかはアナタにも自由があるということ。

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