八五 有名な陰陽師は神様!? 安倍晴明

【安倍晴明の活躍】

 有名な安倍晴明ですが、出生はよくわかっていません。921年ごろ大阪か奈良で生まれたという伝承が残っていますが、正確な出生地や親の記録はありません。


 有名なのに出生に関して謎が多い安倍晴明ですが、何故わからないことが多いのかと言うと、今では『陰陽師といえば安倍晴明』という認識が一般的です。

 しかし晴明が活躍する前は加茂氏という別の一族が、陰陽師という役職についていました。

 

 その為、晴明が若い頃は加茂氏が活躍していたから、なかなか表舞台に立てなかったのです。なので晴明の出生に関してわかっていない事が多いんですね。

 実際、安倍晴明という人物の記録がハッキリしだすのも、晴明が加茂保憲かもやすのりという陰陽師の所に弟子入りしてからになっています。


 さて、なかなか歴史の表舞台に立てなかった晴明ですが40歳の時、当時の天皇に占いを依頼されています。出世は遅れていた晴明ですが、陰陽師の才能や技術は既に朝廷から認められていたんですね。

 晴明の師匠である保憲が亡くなると、陰陽師として頭角を現すようになります。

 

 天狗を退治したり、病魔を退散したり、雨乞いを成功させたり、こうして陰陽師として活躍した晴明は、朝廷から一目置かれる存在となります。そして、晴明神社を創建する一条天皇から大きな信頼を得るようになりました。


 晴明の子供達も父と同じ陰陽師となり、師匠である加茂氏と並ぶ陰陽道の一族としての地位を確立したのです。


 この為、陰陽道には安部流と加茂流という感じで、流派が分かれているのです。

 

 ちなみに陰陽道に飛天御剣流ひてんみつるぎりゅうという流派は存在していませんw



【晴明伝説の始まり】

 陰陽道というのは魔術や超能力というより古代科学であり、それを行う陰陽師は公務員というのがわかってくれたと思います。


 しかし、やっぱり安倍晴明と言ったら、不思議な力を使って妖怪を退治したり、呪術師でありライバルの『道魔法師』とバトルを繰り広げたという熱い展開ですよね。

 では、これら中二病患者が喜ぶようなヒーロー伝説は、どこから来たのでしょうか?


 それは平安文学や江戸時代の浄瑠璃から来ています。


 安倍晴明が亡くなってすぐ、平安の文学者達がこぞって晴明を取り上げるようになりました。第一次晴明ブームと言っても過言ではありません。現代の鬼滅ブームに通じるものがありますねw


 晴明の死後に訪れた晴明ブームによって『大鏡』『今昔物語集』『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』など、歴史や古文の教科書にも載っているほど有名な平安文学に、神秘的に脚色された安倍晴明の逸話が書かれるようになりました。


 また江戸時代になると『芦屋道満大内鏡あしやどうまんおおうちかがみ』という浄瑠璃作品で、陰陽師や安倍晴明が取り扱われており、『お母さんはキツネ』という伝説はここからきています(浄瑠璃とは現代でいうところのミュージカルなので、芦屋道満大内鏡は“陰陽師のミュージカル作品”と思ってください)。


 平安から江戸にかけての文化によって、現代の神秘的な安倍晴明像が作られていったのです。



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