18. 天秤カンシャスネス
*
今後鷹瀬と小鳥は鎌谷先生とは学校の授業以外で、一切接触しないこと。
また俺を含めた三人は鎌谷先生に対し、一切ストーカーの話題を持ち出さないこと。
最後に鎌谷先生がストーカー行為をエスカレートさせるような刺激を、一切与えないこと。
それが親父の出した俺達が鎌谷のストーカーの解決を許す条件であった。
はっきり言って接触しない、言葉にしない、刺激を与えない、のないないない三点セットでどうやって解決なんて出来るんだと始めは思った。だがその隙間を突く解決法が今日水曜日までに上手く思い付き、一つの形にまとめることができた。
それを今日、自信を持って鷹瀬に開陳し、案の定と言うべきか一定の理解、いやそれ以上の確かな満足を与えられたようだ。
計画の立案はほとんど俺がやっているが、そこには部屋に入る直前に父から貰った助言が盛り込まれている。その助言とはこの通りだ。
「誰でも犯罪を犯す性質を持ってると前に言ったね。けど明確に犯罪を起こしにくいやつはいる。そうでないと、世の中犯罪者だからね。
その犯罪を犯しにくいやつっていうのは……一定の地位とか名誉を持ったやつだ。お前なら理由は言わなくても、少し考えれば分かるだろ?」
もちろん分かるさ。一定の地位やら名誉を持った人間は犯罪を犯して得る利益より、圧倒的にそれらを失うという損失がでかすぎる。現状に満足してるやつが現状より見劣りする未来を選ぶはずがない。必ず最低限維持することを望むだろう。
そういった意味では鎌谷先生は本当なら現状に満足できる立場にあるはずだ。教師という安定した職業で、まだ独身とはいうが三十四歳ならまだ焦るような歳でもない。むしろ花の独身として楽しんでいるという推測も成り立つ。
なのにストーカーという下手したら懲戒免職のリスクもある行為を選ぶのは、本当なら利益と損失の天秤が釣り合っていないはずなのだ。
しかし鎌谷先生がストーカーをするのは利益の方が大きいと考えているからだ。それかリスクヘッジをしない馬鹿とか狂人か。後者ならどうすることもできない。
しかし前者ならその天秤のバランスを逆転させない限り、鎌谷先生がストーカーをやめることはないだろう。
じゃあ逆転させるためにどうするか。単純なことだが、利益より損失の方を大きくすればいい。つまり失うものを大きくすればいいということだ。
そのために俺が思い付いた方法は「逆に鎌谷先生の付加価値を上げる」というのが根底にある。狙いは鎌谷先生に付加価値を上げることで失う名誉を肥大化させる。そうすれば損失に重石が乗せられ、天秤が逆転し、割に合わないストーカー行為をやめるというものだ。
まあ……この方法については実際にやってみるしかない。あくまで机上で考えた現時点では絵空事なのだから。
それよりも今は助言をくれた後、部屋に戻る父親の背中が目に焼き付いている。撫で肩で少し猫背なその背中。いつもと変わらないはずなのに、どうしてか疲れてそうに見えた。その理由も……言われなくても分かっている。だからこそ俺は、この作戦を成功させなければならないのだ。
作戦を家で更に詰めようと思い、足を早め家に到着する。ドアノブをガチャリと回した時、今の順風満帆さに水を差す不都合を思い出す。
それを回避するため「ただいま」の一言も言わず、さっさと自分の部屋に籠ろうと二階に上がろうとする。だが。
「あっ、響ちゃん、おかえりー」
「ああ……た、ただいまー」
ちょうど二階から降りてきた卯坂小鳥とバッティングしてしまう。これなんだ。唯一の不都合というのは。
「今起きたとこか?」
上から降りてきた小鳥はパジャマを着ていた。ライトブルーをベースに花柄をあしらえた少し子供っぽさを感じさせるデザイン。けど小柄でフェミニンな小鳥にはよく似合っていた。
まあ……もう何回も見たパジャマだけど。それでもそういう感じに小鳥の服装とかを意識するようになったのは、やはり金曜日の深夜のあの出来事からか。
「うん、今起きたとこー。さすがに眠いや、えへへ」
寝癖がついた頭を手櫛ですいている。恥ずかしそうに目を細めて笑う感じが、男子のなんというか……本能を刺激する。
「お昼ご飯、もう食べた?」
「いや……。まあ、大丈夫」
確かに昼食はまだでお腹は減っている。さっき時計を見たら、午後二時前だった。限界は近いが、食事なら後で摂れば大丈夫だろう。
それ以上に今は、このむず痒い状況を早く脱却したかった。ここらへんが潮時だろうと見切りをつけ、すれ違いで二階に上がろうとする。
だが不運と言うべきか当然と言うべきか、ぐぅぅとお腹が悲鳴を上げる。ばっと凄まじい早さで小鳥を見る。小鳥はただ笑って一言。
「二人前作るね」
「……はい、よろしくお願いします」
猛烈に恥ずかしい思いをしている。なんかカッコつかないなと、思わず肩を落としてしまう。大人しくキッチンに向かう小鳥についていき、同じ部屋内にあるダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
既にてきぱきと小鳥が料理を始めている。小鳥が居候を始めてから両親が不在の時は、料理をしてくれているので、料理の腕前は知っている。かなり上手い、と俺は思っている。
少なくとも自分のような野菜を炒め、味噌汁を作るだけのお手軽な感じな感じではない。ちゃんと凝ったものを作っている。けどこうして作っている姿を見るのは初めてだ。なんだか気分は新こ……いや、やめておこう。とにかく今の俺には、これもむず痒い。
小鳥はキャベツ半玉を千切りにする片手間に、ふと話しかけてくる。
「テストどうだった?」
「そこそこかな」
「じゃあ私も大丈夫そうだね!」
「俺のこと凄い舐めてませんかね……。これでも成績、中の上はあるのに……」
そう抗議はしてみるが実際、小鳥はそこそこ頭がいい。真面目で勉強を欠かさないから、自動的に成績は良くなる。なので言ってることはあながち間違いではない。
そしてなんせあの昴が赤点回避できたテストだ。小鳥ならかなりの高得点を取るに違いない。
けどそれは仮にテストを受けたら、の話だが。受けていないのだから、実際どうなるかは知らない。なんならこの推測を口にしようとも思わない。
「あ、後でテストの問題見せてよ」
「なんだ、カンニングか?」
「えっ、これってカンニングってことになるの?」
「それは知らんけどよ……」
よくテスト当日に休んだやつは小鳥のようなことを言うが、その行為をなんていうかは知らない。少なくともこの行為にいい思い出はない。
前に昴がその作戦を使い、のちのテストで赤点を回避しようとしたが、結果的に先生がテストの問題を変更するという天才的手法で、俺がせっかく横流ししたテストが全て泡沫と消えた時は流石に笑った。
あ、いい思い出がないというのは、昴にとってである。俺はなんの恨みもない。
「まあ、とにかく見せてよ。いつ学校戻れるかも分からないし」
小鳥はなんでもない風で、その一言をあまりにも爽やかに放つ。そのおかげで、現在直面している問題を忘れそうになる。
そうだ。金曜日のあの出来事から小鳥を見ると、どうも心がふわふわして大事なことを伝え忘れていた。危ない。もう少しで事後報告になる所だった。
「……なあ、一つ大事な話があるんだが、訊いてもらっていいか?」
「大事な話?」
「そう大事な、本当に大切な話」
「分かった。なんだろ、緊張するね」
小鳥が少し顔を赤らめるのに気づく。心なしか落ち着きがないようにも感じられる。
ま、それは置いといて、許可も貰えた所で何から話を切り出そうかと考える。これだ、と決まった所で口を開く。
「これは前の……」
ぐぅぅぅぅぅ。前よりもお腹がでかいボリュームで鳴る。本日二回目の痛恨に恥ずかしい思いをする。
ゆっくりとキッチンに立つ小鳥の方を向く。それでも小鳥は先ほどと変わらない笑みを浮かべたままだ。
「……お昼ご飯、先に食べようか。ちょうど出来上がったし」
「はい……。頂きます……」
ああ、もう! なんでこんなに今日は上手くいかないんだ!
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