16. 贖罪ソリューション

「遅い」


  屋上には既に鷹瀬カンナはいた。つまらなそうに屋上の柵に寄りかかって、スマホを弄っていた。こちらを見る気配はない。

  屋上には何人か人がいる。前は誰もいなかったが、今日はテスト後で新鮮な空気を浴びたいのか、ちらほらと昼食を摂ってるグループが見かけられる。

  その何組かは俺と鷹瀬が別れたことを知ってるようで、何事かとちらちら見てくる視線がチクチクと体に感じられる。


「掃除当番だったんだよ」

「任せればいいじゃん、そんなの」

「俺はお前ほど傍若無人じゃない」


  ふん、と鼻であしらわれる。もう俺が遅れたことには興味を失ったらしい。相変わらずの……いや、やめておこう。

  鷹瀬はゴソゴソとブレザーのポケットから手紙を取り出してくる。それには見覚えがあった。まあ、俺が差出人だからなんだが。


「これどういうつもり?」

「どうもこうも見れば分かるだろ」

「なんで手紙なの? もう化石でしょ、こんなの。メールでいいじゃん」

「意趣返しだよ」


  前に俺の下駄箱に鷹瀬から手紙が入っていたことをラブレターと不覚にも勘違いしたので、同じ気分を味わわせてやりたかったので手紙を下駄箱に突っ込んでおいたんだが……。態度を見るに自分が何をしたか、覚えてなさそうだ。

  てか化石って酷いな……。約一週間前は同じ方法を使っていたのにその扱いとは、幾つかを跨ぐ革新的出来事でもあっただろうか。

  実はメールも考えたが、鷹瀬のアドレスはとっくに消してしまったので、送りようがなかったのもある。


「とにかくキモいからやめて」

「はあ……」


  もうなんか疲れてきてしまった。こんなにも堂々とダブルスタンダードを使われると参ってしまう。

  いつになく不機嫌なのも、疲れに拍車をかけている。これについての理由は明白なのだが、思ってた数割増で不機嫌なのにまた参る。


「何よ、ため息吐いて。何か用があるから呼んだんでしょ?」

「そういう所だよ」

「そういう所って何?」


  思わず漏れでてしまったぼやきに、スマホを操作するのを止め、やっとこちらを見てくる。だが鷹瀬の目はこちらを見て欲しくないほど、眼光が鋭かった。……いや、怖いからホントに止めてほしい。

  そしてそのドスの効いた声に、様子見をしていたオーディエンスがびくつくのが分かる。恐らく好奇心と俺への同情と鷹瀬への恐怖がない交ぜになっていることだろう。

  だが今はそんな推測より鷹瀬の質問が優先だ。


「…………お前に抱いている印象は前と変わらない」

「……ふん、あっそ」


  平淡な声でそれだけ言うと、鷹瀬は歩みを進め、やがて俺の横を通りすぎる。その態度と表情には鷹瀬の失望が滲み出ていた。


  仕方ないじゃないか。先週の金曜日から鷹瀬の見えていなかった部分を探し求めた。けどそこから形成した像は結局、元のまま。傲慢で我が儘で態度も大きい、玉座に肘をつき座る女王そのものであった。

  けど俺は言わなければならない。この一言だけは。


「待ってくれ!」


  振り向いて鷹瀬を呼び止める。その振り絞った声に鷹瀬は思わず立ち止まり、怪訝そうな表情を浮かべる。

  同時に今まではチラチラレベルで済んでいた視線も自分に集中するのが分かる。けど不思議とそれが全く気にならなかった。


「ごめん、俺が悪かった」


  いつからかずっと言わなければならないと思った言葉と共に、鷹瀬に対して頭を下げる。

  頭を下げて気づく。そういえば俺、こうやって鷹瀬に謝ったことなかったな。付き合ってからも、別れてからも。上手くいかなかったのはこういう所にあるのかもしれないとぼんやりと思った。


「頭を上げて」


  言われるがまま頭を上げる。見つめ合う。勘違いかもしれないが、鷹瀬は微笑んでいるように見えた。僅かな期待と共に俺は次の言葉を待つ。


「いや謝ったとか関係なしで、あんたのこと許さないから」


  毅然と元からの切れ目を更に鋭くして、俺を睨め付けている。

  ……やっぱり勘違いだった。俺の誠心誠意は彼女には届かなかったらしい。なんとなく許してはくれないだろうな、とは予想できていたが、高低差が……。

  だからこそ別プランを準備をしてきた。テスト期間をフルに使って。あとはその流れにできれば……。


「まずあんたは何を謝ってるの?」


  やはりそう来たか。謝るべきことを挙げればいくらでもある。鷹瀬の印象を全てぶちまけたこととか、小鳥を匿ったこととか、そのせいでデートをドタキャンしたこととか。まあ、それを言い表すとこうなる。


「それは全部……だな」

「全部って、デートの時荷物持ってくれなかったことも? メールしたのに返信が遅かったことも? 他の女子と楽しそうにお喋りしてたことも?」

「いや……それは違います……」

「じゃあ何なの? 全部ってそういうことじゃないの?」


  こういう詰め将棋には定評のある鷹瀬。少しでも優柔不断な所を見せれば、これでもかとつけこまれる。

  だから逆にこれを利用する。今度は俺が突っ込む番だ。


「逆に訊くが……俺が素直に謝って、全部隠してたことを教えたとして、お前は俺を許すのか?」

「はあ? 逆ギレ? 謝ってんじゃなかったの?」

「逆ギレじゃない。単純な疑問だ」

「ふん。許さないに決まってるでしょ」

「やっぱりな……。多分だけど、俺はその怒りの理由を当てれない。それと同じでお前も当てられないと思ってるんだろ」


  鷹瀬は目を見開く。やっぱり間違っていなかったみたいだ。だがすぐに鷹瀬は口元にニヤリと笑みを浮かべる。例えるなら……そう悪魔的笑みだ。


「へぇ、鋭いじゃん。なんで分かったの?」

「そのくらいはお前を知ってるってことだ」


  せいぜい余裕そうに笑いかけてやる。けど鷹瀬も笑みは全く崩さない。

  やはりか、そう思った。別に根拠はない。けど今までの鷹瀬との関係が、経験が、思い出が、鷹瀬が一筋縄ではいかないことの全ての証明だった。

  鷹瀬の怒り一つにしても俺は一生、理解できることはないのだ。この一週間ほど過去に向き合うことで出た結論。だからその怒りを真摯に受け止めるしか方法はない。怒りの理由なんて考えるだけ無駄だ。


「ふうん。そうね、あたしの怒りがどこにあるか、あんたは分からないと思ったわよ。でもあたしが満足する謝罪があるまで、許しもしないわよ」

「別に端から許してもらおうなんて考えてねぇよ。俺がやったことはそこそこ業が深いからな。

  だから……。せめて償いだけはしようと思ったんだよ」

「……償い?」


  鷹瀬の言葉には疑念が含まれていた。やっとその余裕を少し崩すことができた。後はプランに沿って、押し込むだけだ。俺は学生ズボンから手紙と同じくらいの大きさの紙を取り出し、鷹瀬に差し出す。


「詳しくはこれを見てくれ」

「なにこれ」


  眉をひそめながら、渋々という風にその一枚の紙を受け取る。鷹瀬の視線が紙に落ちる。そしてその瞳がどんどん開いていくのが分かる。

  その反応に内心ほくそ笑みながら、俺は一言口添える。


「……これが俺の償いだ」

「あんた正気?」

「至って正気だ」

「……あんたってやっぱバカよね。こんな方法でとするなんて」


  俺はニヤリと笑う。まるで小学生のガキが先生に対して、いたずらを思い付いたかのように。

  鷹瀬に渡した紙には鎌谷先生にストーカーを止めさせる、いわば解決法が書かれている。この約一週間、鷹瀬と小鳥の希望を取り入れ、自分なりに思い付いた解決法が。そしてその影響も。

  確認のため念押して訊いておく。


「ダメか?」

「いや不思議と……」


  そう言いながら、鷹瀬の悪い笑いを堪えられないでいる。どうやら相当お気に召したようだ。まあ、そうだろうな。この解決法は今までの鎌谷先生の目に物見せれるものだから。


「悪くない」

「よし、じゃあそれで決定だな」


  トントン拍子で話がまとまる。鷹瀬が果断なやつで助かった。真面目に考えたら、この作戦は上策でもないし、警察に頼むのが最上と言うだろうから。ま、お互いにバカだということだ。


「そうだ。警察といえば、お前被害届出してないんだってな」

「……父親から?」

「ま、そうだ」


  実のところ、この鎌谷先生対策には父親の力も借りた。俺みたいな素人が首を突っ込もうとしていたので、あまり協力的ではなかったが、最低限必要なことは引き出した。被害届をまだ出していないということはその時聞いた。


「こういっちゃ悪いかもだけど……、あの父親は変人ね」

「知ってる。別に悪口でもなんでもなく事実だ。てかなんであんなに意気込んでたのに、被害届出してないんだ?」

「いや、考えたんだけどさ……」


  鷹瀬の声がワントーン落ちる。その急に暗さを仄めかす感じに嫌な予感がして、思わず身構える。


「警察が逮捕してもさ、鎌谷がまたストーカーになる可能性もあるじゃん?」

「まあ、絶対辞める確証はないな」

「だよね。しかもこのままやられっぱなしなのも、腹立つじゃん?」

「うん?」


  話の方向が見えなくなってきた。どういうことか問い質すつもりで、鷹瀬の顔をちらりと見る。

  天使がいた。クラスでも可愛いと評判の顔に、極上の笑みを浮かべる天使が。しかしこういう時、鷹瀬は……。


「やっぱり一発シメとかないと、怒りが収まりそうにないんだよね。だからあんたの計画、サイコーだよ!」


   やっぱり人をいたぶることですよね……。そう思った頃には、柔道で鍛えた鷹瀬の手でバンバンと背中を叩かれ衝撃が走る。思わず「うえっ」と変な声が出る。

  よほど俺の解決法をお気に召したらしい。それなら俺も考えた甲斐があるってもんだ。

  しかしやはりこいつの怒りはどこにあるのか分からんし、それと同様に喜ぶポイントもどこにあるのか、まるで分からない。前述の通り、きっと一生分からないのだ。

  もっといえば、鷹瀬の怒りの矛先が報復に向いていたなんて誰が分かるだろうか。思わず、ふふっと笑いが漏れる。それはこの高く青く澄んだ空に溶け込んでいく気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る