4. 修羅場シークレット

「来ちゃった」


  来客を迎え入れた俺は自分の家の玄関でげんなりとしていた。これが女子ならまだいいさ。その発言も含めて、それなりに気分が浮かれただろう。

  だけど来た相手は……。


「謎の高音を出すな、昴」


  俺と古くからの付き合いのある千葉昴だった。


「いやね、彼女と別れて傷心かと思って、疑似彼女体験を味わってもらおうと……」

「俺はどんだけ見境ないと思われてんだ。疑似でも相手選ぶだろ」

「僕ならギリ……」

「ギリってなんだよ。てか何の用事だ。土曜日に構ってられるほど暇じゃない」


  この状況に思わずため息が漏れそうになってしまう。

  待ち望んでいた休日。しかも昨日はひょんなことから鷹瀬と会ってしまい、フィジカル的にもメンタル的にも非常にきつい状態なのだ。

  はっきり言って昴に構っている時間がないというより、エネルギーがないのだ。


「いやー、昼食に近くのラーメン屋寄ってね。ほらあの……」

「『明々亭』か?」

「そう、そこ。それでね……来ちゃった!」

「因果関係が成立してねぇよ。お前が現文できないことは知ってたが、まさかここまでとは……」

「諦めてるし! まあ、とにかくここらへんに響太郎の家があったこと思い出して、なんとなく寄ろうと思ったわけなんだけど」

「そんななし崩し的な」

「ま、最近来てなかったしね」


  ふと考えると、確かに昴は家に一年近く来ていない気がする。中学校の頃はしょっちゅう来ていたのだが。

  もちろん下校中に寄って駄弁るだけで何かしたりしない。けどそんな感じが中坊の俺には心地いい時もあった。


「まあ、とにかく入れてくれよ。ここまで来たし。あ、お菓子も持ってきたよ」

「別にいいけどよ……」


  昴を家の中に誘導し始めた時、はたと気づく。しまった。今、家に入れるのはまずい。

  しかも相手はあの情報通、千葉昴。あの事がバレれば最後、鷹瀬にフラれた挙げ句、そんなことをしでかす最低野郎の刻印を押されかねない。

  これを突破する方法は一つ。


「やっぱお前帰れ」

「え? 暇でしょ?」

「暇じゃない。急用を思い出した」

「って言うやつはだいたい暇なんだよね。そもそも急用を忘れてるってどうなの? 響太郎」


  ぐっ、と喉が鳴る。全くもって昴の言うとおりだ。やはりこういう言い合いは経験のある昴の方が一枚上手。常套句で逃げられるのは織り込み済みなのだろう。

  だからといって今日ばかりは本当に駄目なのだ。なりふり構わず、追い返すしかなさそうだ。


「あのなあ、家の人間の俺が帰れって言ってるんだ。帰れよ」

「ひどいじゃないか。ここまで遠いんだよ」

「知ってる。てかお前の本来の目的は昼食だろうが」


  確かに昴の家からここまでは遠い。うちは中学校から近いので、昴が帰宅途中にしょっちゅう寄るなんてことはあったが、実は俺は昴の家には行ったことがない。そもそもどこにあるかも知らない。

  それはさておき。昴の事情など俺には知らない。邪魔なものは邪魔なのだ。

  俺の方が昴より体格がいいこともあり、肩を押して家から追い出そうとする。一度閉め出してしまえばこっちのもんだ。謝罪は今度学校行った時にしよう。


「その人、誰?」


  昴の抵抗を押さえつけ、やっと玄関から出そうとしたその時、鈴が鳴るような綺麗な声が聞こえる。そちらを見なくても誰か分かる。そして同時に最悪な状態にいることも理解する。


「あ」


  その声は誰のものだっただろう。少なくとも俺はそんな間抜けな声が漏れでたことを自覚する。他の人もまあ、似たようなもんだろ。

  だがそんなことを考えたのが命取りだった。昴は今までどこに隠していたのか目一杯、力を振り絞り俺というを壁を突破する。そして今や興味の対象物に変わった彼女に話しかける。


「君が卯坂小鳥さんだね?」

「あっ、はい……」


  昴が差し出した手に卯坂小鳥が応じる。俺はその光景を見て、頭を抱える。この二人だけは絶対に出会わせたくなかったんだ……。

  その思惑が透けて見えたのか、からかう口調で訊いてくる。


「こんな素敵なショートカット眼鏡美少女を自分の家に連れ込んで何してたんだい? 破局後にこれとは、男の片隅にも置けませんなぁ!」

「うるせぇ! 黙れ! 帰れ!」

「いつになく落ち着きがないね。本当に疚しいことでもあったのかい?」

「そんなことは断じてない」

「どうかなあ」


  ニヤニヤ笑いを止めない昴。かなりウザイがこの際、どうでもいい。もっと言うならここで受ける誤解も俺にはどうでもいい。それより大事なことは……。

  ちらりと小鳥の方を見る。その瞳には確かに怯えがあった。……やっぱりな。


「おい。この話はもうやめだ。これ以上ほじくりかえすなら、お前を殴る」


  腕を組んでせいぜいドスの利いた声で言い放つ。ほんの演技のつもりだったが、思ったより力が入り俺は本気だという色が濃くなる。


「……分かったよ。僕も少しはしゃぎすぎた、悪いね。小鳥さんも気分悪くしたらごめん」

「分かるならいい」


  俺はため息交じりにそう言う。それに気づくのが少し遅かったな。

  小鳥は軽く会釈して、その場を離れて行ってしまう。おそらく仮の自室に籠るのだろう。昴はそっちの方を向いて呟く。


「……もしかして悪いことした?」

「してるな。だから帰れと言ったのに」

「本当に帰ろうか?」


  何か自分の興味があることに対してはヒートアップする昴だが、そうじゃない時は周りに気を使うし、謝罪することも厭わないから質が悪い。こいつはある側面で大人なのだ。

  既にテンションが元通り、いや、罪悪感からかいつもよりローテンションな昴に声をかける。


「いや、いい。リビングに入れ」

「いいのかい?」

「見たままの状態を噂されても困るからな」


  そう言った直後、昴の口がごもごもと動くのが分かる。なんとなくそれは読み取れた。こいつはこう言おうとしたのだ。

  ――僕にも言って悪いことがあるくらい分かる、と。

  知ってる。知ってるさ。一応、腐れ縁だからな。


「それでどうして卯坂さんを家に連れ込んでるんだい?」


  昴が持ってきたスナック菓子と家にあったサイダー片手にミニパーティー的なことをしながら、そんな質問が出た。


「人聞きの悪い」

「じゃあ響太郎はどう表現するのさ。この非日常を」

「言っとくが、連れ込んだんじゃなく親の許可の上だ。あと二階で母親寝てるし」

「……公認? それとも空気読んだ?」

「ちげぇよ。理由分かってんだろ」

「もちろん。夜勤帰りだろ」


  首肯でそれに返す。うちの親は揃いに揃って警察官をやっている。そのため家を開けてることが多いのだ。だからと言うべきか。


「それも少し関係あるんだが……まあ、端的に言えば卯坂小鳥を家で匿ってる訳なんだ」

「…………は? ま、待ってくれ。陰謀物の小説の話でもしてるのかい?」

「いやリアルだ。現実離れしてると言われても否定はできないが」


  それを聞いて昴はポカンとしている。まあ、無理もない。俺も同じ状況なら到底、受け入れられないだろうし。

  本当ならより強固に口止めするためどうして匿っているのか、理由を言いたい所なのだが……。こればっかりは自己判断ではどうにもならない。やはり小鳥の許可が必要だ。

  どうしようかと、悩んでいるとリビングにおそるおそる入ってくる人影がある。小鳥だった。

  先ほどはほとんど寝間着みたいな服装だったが、今はうってかわってオフホワイトのワンピースで清楚な感じにまとめている。つまり来客用の服装ということなのだろう。


「小鳥、どうした?」

「えっ、いや、あの……、話しにくそうだなって」

「ん?」

「アノ事喋ってるんでしょ?」

「まあ……」


  真っ直ぐ小鳥に見据えられ、ばつの悪い気持ちになる。もしかしたら小鳥はその事自体、話されるのが恥ずかしくつらいことなのかもしれない。

  自分の行動に少し罪悪感を覚えているが、かけられたのは全く違う言葉。


「私が言うよ」


  笑いかけながらそう言う。だがその笑顔をどこか痛ましく感じて、目を逸らしてしまう。頭をポリポリと掻く。


「いや、でもな……」

「私のことだから。響ちゃんに言わせるのは気が引ける」

「響ちゃんは止めてくれ」


  くくくと昴が笑う。だから会わせたくなかったんだ。小鳥は変に抜けている所があるから、俺の恥部を無自覚にさらけ出す可能性がある。

  その証拠に俺が止めてくれと言った理由も分からないようだ。まあ、この付き合いももう15年近くに及ぶ。今更呼び名を変えろというのも酷かもしれないし、何より逆に不自然だ。

  そんな幼なじみだから分かるのだ。一度覚悟を決めたら小鳥は絶対に折れないことを。

  はあ、とため息を吐きながら、俺は話してみろと顎をしゃくる。

  小鳥はそれを受けて一つ頷き、ゆっくりと口を開く。まずこんな語り口からだった。


「私はストーカーされてます」

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